Ⅴ 涙 ー9
「なんだ、帝国軍じゃないか」
針森の端から、ガザ方面を眺めた信は、黒い点の兵たちを見つけて、ため息と共に言った。
「嫌よね、昔のことを思い出しちゃう」
隣で妻の蘭が、なんとも言えない顔で、呟いた。
もう二十年以上前、ガザ帝国の兵が針森の村を襲撃し、村の大部分が焼失した。火を付けたのは、命を取られない為の村の苦肉の策だったが、その為に失ったものは、忘れられない咎となって、当事者である二人の心に残っていた。
その襲撃者が、現ガザ王、炎である。
めぐり合わせとは不思議なものである。
その炎の愛する妻が、蘭の妹の凛である。
その事件のこともあって、凛王妃は帝国軍が針森に近づくことすら、絶対に許さなかった。
「凛に隠して来たのかしら」
「何のために?」
「杏がいたこと…ではないわね」
「そのために、あの子に教えなかったんだろ」
杏…ターシャが自分で針森から出て行くように、蘭はターシャに彼女の父親の居所も、婚約者の動きも、敢えて教えなかった。そうすれば、いずれ自分で探しに出ると思ったからだ。
針森でずっと彼女を隠し続けるのは無理だ。死んだことになっているラン(自分)とは違う。いずればれれば、針森に対する不可侵が破られてしまう。
ただ、何も教えなかった理由は、それだけではなかった。
「アランに頼まれたのよ」
蘭があっさり白状すると、信は嫌な顔をした。アランが絡むと、信は昔からこの顔をする。こんな時なのに、蘭はその顔が懐かしくて、笑ってしまった。
「連絡が来たのか?」
不満そうに、信が訊ねる。
「一度だけね。キースが運んできた積荷の中に紛れていたの。まだ事が起こる前よ」
「なんて」
信の追及に、蘭は首を横に振りながら言った。
「これから何が起っても、ターシャには何も教えないでくれ。それだけよ」
「アランの居場所は?」
「知らないわ」と言った後、蘭は思い直したように、「うーん、たぶんね」と続けた。
周りには誰もいないのに、信に耳打ちする。信は最初驚いた表情を見せたが、すぐに「ああ、確かに」と頷いた。
「それなら、誰にも分からないな」
「でしょ?」
「じゃあ、あれは空が言っていた方か?」
再び黒い点に目を向け、信が言った。空に会った話は、当然蘭にも伝えている。
「『神のくすり』を隠しておけって言っていたわね。さっき薬室を見て来たけど、持ち出された様子はなかったわ。陽はそんな物持っていなかったのに、話に出したってことになる。そんなハッタリにつられて、帝国軍がここまで来たのかしら?」
信は急に表情を緩めた。
「あれは何を考えているのか、分からないからな。でもきっと、何か企んでいるんだろう」
「あなたそっくりだものね、笑顔も」
信が時折繰り出した、人を凍り付かせるあの笑みを、陽だけがそっくりそのまま受け継いでいる。
悪魔の微笑み。
まだあの子に見せていなければいいけど。
忙しく動く、帝国軍の動きを見つめながら、蘭は息子の恋の行方を案じた。




