Ⅴ 涙 ー8
すごいな……。
二十年以上前から知っていたつもりなのに、自分はまだまだ認識が甘かったらしい。
ガザ帝国国軍大将の櫂は、久々に帰ってきたこの国の王妃を、まるで初めてかのように、仰ぎ見た。
跪く櫂に、得意な顔を隠そうともしない。
あ、凛様だ。
櫂はすぐに正気に戻った。
この人はたいして考えることなく、すごいことをやってのける。いや、考えないから出来るのかもしれない。
得意満面で仁王立ちしている凛の少し後ろで、崑の翁と名乗る者が片膝をつき、頭を垂れていた。
その名だけは、大きく深く帝国民の心に存在しているが、実際に彼に会った者は数えるほどである。
崑の翁は滅多に姿を見せない。そのことが、彼の存在を化け物じみた、ある意味神秘的な存在に祭り上げていた。
それは畏怖や、ともすれば恐怖を伴って、翁の顔を見た者は、崑家の隠密に消されているとまで、まことしやかにささやかれるほどだった。
炎王の片腕と言われる櫂ですら、会うのは初めてだ。
崑の妖怪を引きずり出してくるとは……。
「まさかそなたの顔を、王城で拝める日がくるとはな」
王妃と崑の翁を出迎えた炎は、顔を上げた崑の翁に向かって、感慨深そうにそう言った。
それに対して、翁は「はて?」と首を傾げる。
「おかしなことをおっしゃいますな。まるでわたしが王城を避けていたようなおっしゃり様ですが、わたしは一度もこちらにお招き頂いたことはございません。今回、王妃様がご招待下さったので、まかり越した次第でございます」
厭味ったらしい言い方だが、それを咎められない自信があるのだろう。そうでなければ、実は自分に執着がないのかもしれない。
翁からは、状況を楽しんでいる者の余裕が感じられた。
それがはったりでなければ、たいしたものだし、はったりだとしたら、それはそれで、さすがと言わざるを得ない。
「王妃様がわたしを参謀にして下さるとおっしゃるので、お受けすることにしました」
声は出さずとも、櫂たち控えていた兵士たちが動揺するのが、分かった。
凛は相変わらず、挑むような笑顔で、炎を見ていた。
「崑の連中が黙っているとは思えないが」
至極当然なことを炎が言うと、凛は初めて声を出した。
「大丈夫よ。崑の人たちは結局、翁の意向に逆らえないもの。それに、もし翁に反発する者が現れて、翁を崑から除こうとするのなら、それはそれで良いと思うの」
炎はチラリと翁を見た。明け透けすぎる凛の話を、平然と聞いている姿に、つかの間驚く。
なおもしゃべろうとする凛を、炎はやんわりと目で制した。これ以上、他の人間もいるこの場所で、繊細な話をするべきではない。
凛も承知していたようで、口を噤んだ。
凛の作戦に乗せられたようで癪に障るが、どちらにしろ、ようやく手の内どころか、御本尊自ら現れた崑の翁を、内に入れない手はないだろう。
「正式な役職はこれから考えるが、この国の難を乗り越えるのに、手を貸してもらえるのなら有り難い。我らと共に、その知恵を絞ってくれるか、崑の……」
そこで炎は崑の翁の名を知らないことに気が付いた。正式に役職を与えるなら、名は必要である。
「お初にお目にかかります、崑桜と申します、陛下」
先ほどの無礼な態度はどこへやら、老人とは思えない、流れるような所作で、ゆっくりと平伏する。
「わたしとて、この国を憂える民の一人です。わたしでお役に立てるのであれば、喜んでお受けいたします」




