Ⅴ 涙 ー7
「奏が来るわよ」
馬車に揺られながら、唐突に少女はそう言った。肩で切りそろえた黒髪は軽やかに揺れ、出会った者がハッとするほど整った顔だちだが、その目は閉じられたままだった。
だが、そんなことは関係ないとばかりに、楽しそうに笑う。
隣に座る昂は、呆れ顔で少女を見ていた。
「勝手に視るのはのぞき見になるんじゃないか、彩」
「不可抗力よ」
さらりとそう言い、彩は狭い馬車の中で、大きく伸びをした。当然手が昂に当たる。昂が非難の声を上げるが、彩は構わずグイグイと昂に伸ばした手を押し付けた。
彩が七つの頃からのつきあいだが、身体も振る舞いも大人に近づいてきたこの頃でも、昂に対しては未だに子どものようなことをする。
彩とは双子である奏は、耳が聞こえず、口もきけない。訳あって、今は離れて生きているが、子どもの頃は二人で一人のように、ぴったりくっついて離れなかった。そんな二人は思念でつながっており、奏が見たものを彩は視ることができ、彩が思ったことを奏は感じ取ることができた。
だが何年も、しかも違う国で離れて過ごすうちに、思念を共有する能力は弱まっていった。長年離れていることも、二人の身体の成長も関係があるのかもしれないが、何より二人ともそれでよいと思っていた。
二人で一人ではなく、それぞれ一人の人間になるためには、お互いを切り離す必要がある。だから何年も近づかなかった。
その奏が、公国ではナルと呼ばれている男である。
「それにしても、陽は燦に対して、ひどいわね」
彩は言葉とは裏腹に、楽しそうに言った。
奏には干渉しないようにすると言っていたのに、奏がガザ入りしたのを感じてから、好奇心が抑えられなかったらしい。積極的に視ることはしないが、入り込んでくる映像を嬉々として分析している。
「すごい剣幕で怒鳴っていたわよ」
奏は耳が聞こえないので、陽が何を怒鳴っていたのかは分からない。だがその場の険悪さは、見るだけで十分だった。
昂は反論することなく、ため息をつく。
「誤解が……解けないんだよなぁ」
どうしてそうなったのか分からないが、王女である燦が、昂を弄んでいると思っているらしい。
彩が「うふふ」と含み笑いをした。
「誤解かなぁ。燦は結構好き放題しているしね」
まだ成人もしていない少女に、大人のような意見を言われて、昂は思わずむきになってしまう。
「それでいいんだよ。俺は燦に自分の好きなように生きて欲しかったんだから」
「陽にはそれが、昂ばっかり我慢しているように思えるんでしょ」
正論を言われて、昂は「ウッ」と詰まる。
「でも俺だって、好きなように生きてるよ」
言葉の割には、声に力がない。彩は「フン」と鼻を鳴らした。
「そう思うんなら、いいんじゃない?」
彩は明らかに面倒になった調子でそう言い、「それより」と付け加える。
そっちが言い出したんだろうと、釈然としない気持ちながらも、昂は黙って彩の言葉を聞いていた。昂としても、「それより」違う話がしたい。
「凛は大丈夫かしら」
この国の王妃を捕まえて、呼び捨てにするのは、家族以外では、王妃の故郷である針森の人間くらいである。
「凛なら、うまくやるさ」
そう言う昂の声音に、少しの不安が混じっているのを、耳の良い彩はすぐに気が付いた。
「昂が信じていなかったって、凛に言ってやるわ」
「……うまくやると思うよ」
昂はもう一度繰り返した。
「だけど、これからが大変だろう。翁がまるっきり俺たちの思い通りに動くとは思えない。カエルムの汚染だって、食い止められていない」
家族を残してきた村が、カエルムに侵されたらしいと、仲間が一人、何年も戻っていない村に、慌てて帰っていった。
世の中の風は、どうも悪い方に吹いている。
だが、深刻さを帯びた昂の言葉をものともせず、彩は軽やかに言った。
「とにかく、全員集合ね」




