Ⅴ 涙 ー4
「俺は城に行くって思ってたんだけどな」
ナナライは不満を恨み言のように呟きながら、重い足を引きづって、凛の後をついていった。先頭は昂が歩いている。大店の商人のような恰好をし、後ろに続いている二人は軽装だ。三人の行先には大きな邸宅が見える。
「一介の商人が会えるのかよ」
ナナライはもう及び腰だ。
「だいたいリンさま…がばれたらどうするんですか。あそこは仇敵でしょう」
「そういう思い込みが、世の中をややこしくしていると思うのよね」
凛は上機嫌で歩いている。鼻歌でも歌い出しかねない様子だ。
「実は会うのは初めてなの」
「楽しみだわ」と付け加えたところで、門にたどり着いた。
当然だが、門には衛兵が立ち、三人をギロリと睨んだ。
「万屋の昂という者ですが、崑の翁さまにお取次ぎ願えますか」
途端に、衛兵が構えていた槍を振り下ろした。昂の目の前を通り過ぎ、足元の土を深く抉った。
「万屋の昂などという者は、聞いていない。不詳の者を館に入れるわけにはいかん。去ね」
昂は動じることなく、目の前の槍の柄を、トントンと叩いた。
「よく分からない者に、初っ端からこの仕打ちはないでしょう」
槍の柄を掴むと、自分より背の高い衛兵を見上げた。
その目が全く怯えていないことに、兵士の方が動揺する。自分はとんだ間違えを犯したかもしれない、と臆したのが、ありありと見て取れた。
相手の懸念になど昂は構わず、自分の用件を伝えた。
「では、千を呼んでもらえますか」
「なんであんたがここに……」
「千」と呼ばれる崑の隠密頭は、いつもの人を喰ったような余裕はどこへやら、取り乱した様子で、昂たちのいる部屋に飛び込んできた。
彼女自慢の豊満な身体が熱を帯びているようで、ナナライは思わず生唾を飲み込んだ。
昂が千の名前を出すとすぐに、衛兵は慌てたように昂たちを中に入れ、館の一室に通した。「千」の名前を知るものは少ない。その名を知っているだけで、敵であろうと味方であろうと、「特別な客」だ。
もちろん扉の前には、兵士が張り付いている。
「よかったよ、入れてくれて。あそこにずっと立たされたら、どうしようかと思った」
ふかふかの肘掛椅子に身を沈めると、昂はそう言って安堵の息を吐いた。
だが、飛んできた千は、そんな昂ではなく、寝椅子に腰を下ろした女を睨んでいた。
「なぜ我が国の王妃様が、こんなところに、そんな形でいらっしゃるんですかね」
「あら、崑ではお茶も出してくれないの」
凛は涼しい顔で千を見上げた。
千は一瞬ポカンとすると、すぐに凶悪な顔に戻る。その顔のまま、それでも礼節を守り、王妃の前に跪いた。
「崑で出されたお茶など、王妃様は飲めないでしょう」
「毒が入っている可能性があるものを」と、千は暗に告げる。慇懃無礼とはこのことだが、凛は笑顔で受け流した。
「まぁ、あなたもナナライと同じことを言うのね」
それから、くすりと笑ってみせた。
「心配してくれてありがとう」
千の背中がブルッと震えた。顔は俯いていて見えないが、怒りと屈辱に歪んでいるのは容易に想像できた。
凛は跪く千を見下ろして言った。
「崑翁に会わせてもらえるかしら」
千がスッと顔を上げる。さすがにもう私情を交えていない。冷めた目は、怯むことなく凛を見つめた。
「ご用件は」
「翁に直接言うわ」
「ご用件が分からない方を、翁に会わせるわけには参りません」
「千」
凛は怒鳴ったわけではなかった。だが、その場の空気が、一瞬で変わった。
ナナライが思わず目を見張った。
凛はゆっくりと、千の頭に注ぐように言葉を放った。
「では翁にわたしが会いに来たことを伝えなさい」
「しかし……」
「わたしはあなたと話しに来たのではないわ。崑翁に用があるの」




