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宵の姫君  作者: さら更紗
Ⅴ 涙
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77/101

Ⅴ 涙 ー4



「俺は城に行くって思ってたんだけどな」

 ナナライは不満を恨み言のように呟きながら、重い足を引きづって、凛の後をついていった。先頭は昂が歩いている。大店の商人のような恰好をし、後ろに続いている二人は軽装だ。三人の行先には大きな邸宅が見える。

「一介の商人が会えるのかよ」

 ナナライはもう及び腰だ。

「だいたいリンさま…がばれたらどうするんですか。あそこは仇敵でしょう」

「そういう思い込みが、世の中をややこしくしていると思うのよね」

 凛は上機嫌で歩いている。鼻歌でも歌い出しかねない様子だ。

「実は会うのは初めてなの」

「楽しみだわ」と付け加えたところで、門にたどり着いた。

 当然だが、門には衛兵が立ち、三人をギロリと睨んだ。

「万屋(よろずや)の昂(こう)という者ですが、崑の翁(おきな)さまにお取次ぎ願えますか」

 途端に、衛兵が構えていた槍を振り下ろした。昂の目の前を通り過ぎ、足元の土を深く抉った。

「万屋の昂などという者は、聞いていない。不詳の者を館に入れるわけにはいかん。去(い)ね」

 昂は動じることなく、目の前の槍の柄を、トントンと叩いた。

「よく分からない者に、初っ端からこの仕打ちはないでしょう」

 槍の柄を掴むと、自分より背の高い衛兵を見上げた。

 その目が全く怯えていないことに、兵士の方が動揺する。自分はとんだ間違えを犯したかもしれない、と臆したのが、ありありと見て取れた。

 相手の懸念になど昂は構わず、自分の用件を伝えた。

「では、千(せん)を呼んでもらえますか」


「なんであんたがここに……」

「千」と呼ばれる崑の隠密頭は、いつもの人を喰ったような余裕はどこへやら、取り乱した様子で、昂たちのいる部屋に飛び込んできた。

 彼女自慢の豊満な身体が熱を帯びているようで、ナナライは思わず生唾を飲み込んだ。

 昂が千の名前を出すとすぐに、衛兵は慌てたように昂たちを中に入れ、館の一室に通した。「千」の名前を知るものは少ない。その名を知っているだけで、敵であろうと味方であろうと、「特別な客」だ。

 もちろん扉の前には、兵士が張り付いている。

「よかったよ、入れてくれて。あそこにずっと立たされたら、どうしようかと思った」

 ふかふかの肘掛椅子に身を沈めると、昂はそう言って安堵の息を吐いた。

 だが、飛んできた千は、そんな昂ではなく、寝(カ)椅子(ウチ)に腰を下ろした女を睨んでいた。

「なぜ我が国の王妃様が、こんなところに、そんな形(なり)でいらっしゃるんですかね」

「あら、崑ではお茶も出してくれないの」

 凛は涼しい顔で千を見上げた。

 千は一瞬ポカンとすると、すぐに凶悪な顔に戻る。その顔のまま、それでも礼節を守り、王妃の前に跪いた。

「崑(ここ)で出されたお茶など、王妃様は飲めないでしょう」

「毒が入っている可能性があるものを」と、千は暗に告げる。慇懃無礼とはこのことだが、凛は笑顔で受け流した。

「まぁ、あなたもナナライと同じことを言うのね」

 それから、くすりと笑ってみせた。

「心配してくれてありがとう」

 千の背中がブルッと震えた。顔は俯いていて見えないが、怒りと屈辱に歪んでいるのは容易に想像できた。

 凛は跪く千を見下ろして言った。

「崑(こん)翁(おう)に会わせてもらえるかしら」

 千がスッと顔を上げる。さすがにもう私情を交えていない。冷めた目は、怯むことなく凛を見つめた。

「ご用件は」

「翁(おきな)に直接言うわ」

「ご用件が分からない方を、翁に会わせるわけには参りません」

「千」

 凛は怒鳴ったわけではなかった。だが、その場の空気が、一瞬で変わった。

 ナナライが思わず目を見張った。

 凛はゆっくりと、千の頭に注ぐように言葉を放った。

「では翁にわたしが会いに来たことを伝えなさい」

「しかし……」

「わたしはあなたと話しに来たのではないわ。崑翁に用があるの」


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