Ⅴ 涙 ー2
「予想通りですか?予想外ですか?」
櫂の尋問のような問いかけに、炎はうんざりして、ひとまず汚泥のように溜まりまくっている、報告書から顔を上げた。
最近、かつての「カエルム」と似た症状の中毒者が出ているとの報告が、急増しているのだ。その結果の報告書の沼である。
「お前、俺が今、何をしているのか分かっているのか」
最大限厳めしい声で叱責してみるが、最愛の妻よりも付き合いの長いこの側近には、何の効果もない。
「一つのことに縛られると、頭が働かなくなりますよ」
と、それらしいことを言って、自分を正当化する。
「その沼と化した報告書の内容と、大公の事件は無関係ではないでしょう」
炎は諦めて、執務机の布張りの椅子に、深々と腰掛けた。
「大公追放の宣旨のことか」
炎が確認すると、櫂は「そうです」と軽い調子で頷いた。
「大公を本気で排斥しようとするのなら、予想範囲内だ。だが、ラウル公だけではできない」
ラウルと大神殿は仲が悪い。ラウルは昔から、太陽神など信仰しないと公言し、大神殿に足を運んだこともないのだから、当然だろう。ラウルが大公追放を進言したとしても、大神官は聞き入れないだろう。
「ユースティスが間に入ったのかもしれない。そういう意味では予想外だ」
「ユースティス殿が?」
事件が起こってすぐ、ユースティスはラウル邸に幽閉されたと聞いた。
アランと共にガザ帝国に入ったことも何度かあるので、櫂たちはユースティスの人と為りを知っている。清潔で実直な男だ。
とてもアランを裏切るとは思えないが、人は表の顔だけではないことも、二人はよく知っていた。
「アラン大公を助けますか?」
ガザは先の事件で、アラン大公を容疑者にしたとは、一度も公式に言っていない。属国であるアウローラ公国が、大公を勝手に追放しようとするのなら、領土を侵してそれを止めるだけの理由と力が、ガザ帝国にはある。
「……いや」
炎は短く答えた。
ユースティスが動いたのなら、そういう可能性もある。
「アランなら、大丈夫だろう」
大国の隣国で属国という、心もとない位置にいながら、公国がほぼ自治領であるということは、何もガザ王の炎が心が広い、というだけの話ではない。
「あの男も狡猾だ。そう簡単にやられないだろう」
そう言って、もう一度、報告書の沼に目をやる。
「針森の国境への配備はどうなった?」
問うと、櫂は急に国軍大将の任を思い出したのか、直立敬礼した。
「完了しております。後は命令を待つだけです」
「あ」と、続いて櫂の口から間抜けな声が漏れた。
「凛様に怒られるんじゃないんですか?」
炎は口を歪めて笑った。
「だから、極秘で、と言っただろ」




