Ⅳ 狂気 ー13
今年の豊穣祭は、初っ端から異様な光景だった。
「まぁ、こんな時でもやるんだなぁというのが、正直なところだよな」
都に住む織物問屋の主人キースが、祭事の行われる会場に目を向けたまま、呟いた。話しかけているのか、独り言なのか分からない。
「そんなことより、よかったのか。家族と来なくて」
それに対して、連れの男は関係のない話をする。
キースは気を悪くしたふうでもなく、手をヒラヒラと振った。
「アラン大公さまがいないなら、行かないとさ。結局やっぱり、豊穣祭にはアラン大公を見に行っていたんだな、と思ったよ」
キースには、同業種から嫁いできた妻との間に、娘ばかり三人の子どもがいる。家だけではなく、店の中も、女の天下だ。
「それにしても」と、キースは今更ながら身震いする。
「信がそんなふうに気を使ってくれるなんて、どうしたの?」
信は醒めた目でキースを一瞥すると、「奥方には世話になっているからな」とさほど感謝していない様子で言った。
「それにしても、やっぱり違和感があるな」
例年は、大公一家が座っている中央の貴賓席には、国軍の関係者や、大公失脚の後、台頭してきた高官の姿があった。
「全く華がないね」
つまらなさそうにキースが言い、「来なくて正解だったよ」と家族の英断を褒めた。
言いながらも「おっ」と身を乗り出す。
「まさか豊穣祭で、サボン公の姿を見る日が来るとは」
太陽神国の頃から、太陽神信仰を軽視していたラウル・サボンは、今まで豊穣祭で姿を見たことはない。そんな過去など素知らぬ顔で、堂々と貴賓席に腰掛けていた。
「ユースティス殿の姿はないな」
信はそう言い、考え込むような顔をする。
ラウル邸に捕らえられていると聞いたが、まだ拘束されているのだろうか。
「完全に隠密みたいになっちゃったねぇ、あの人」
第三者の声が聞こえて、キースも信もギョッとして、信の隣に座る男を見た。
空がにこにこと手を振っている。
二人とも空の名前を呼ぶのを、すんでの所で我慢した。豊穣祭の会場は隠密だらけだろう。空はその業界では有名人だ。
「なんで、お前がこんなところにいるんだ。この国にはもう来ないんじゃなかったのか。ガザ(あっち)も今、大変だろう」
信が言うと、空は拗ねたように口を尖らせた。
「ちょっと、嘘つかれちゃってさ。俺、今、ガザに肩入れしたくない感じなの」
ちっともそうは見えないが、こいつもいい歳だ。子どものように拗ねる空に、信は苛立ちを隠さず睨んだ。
「お前が嘘に気が付かないなんて、どうせ凛がらみだろう」
この最強といっていい元隠密は、報われない恋ながら、一途に思い続けている凛のことになると、急にポンコツになる。
「あの国で、凛のことでお前に嘘が付けるのは、一人しかいないな」
獅子の鬣のような見事な金髪をもつ、あの国の王を思い浮かべながら信が言うと、取っ手付けたような空の笑顔に、青筋が立ったような気がした。
キースは信の陰から、恐ろしそうに空を見ている。
信はため息をついて、話を変えた。ガザ帝国随一の元隠密から得られる情報は、得ておいた方がいい。
「あの人っていうのは、あれの息子か?」
ぞんざいにラウル・サボンの方を顎でしゃくって尋ねると、空は「ん」と短く返事をした。
「お父さんの為に、力を尽くしているみたいだよ」
空がさらりと言うのを聞いて、信はぐっと驚きを飲み込んだ。
ユースティスがラウル側についたのか。
「嘘だ」
となりでキースがぼそりと呟くのが聞こえた。
信はユースティスにきちんと会ったことはない。だが、キースはターシャと親しい。もちろん、その婚約者であるユースティスとも、懇意だろう。二人の間柄をよく知っている。信でさえ、ターシャのユースティスへの言動で、その信頼と愛情を感じていた。キースが「嘘だ」と言うのも理解できた。
本当にそのままの意味か?
父親に監禁され、結局父の意に逆らうことが出来ず、付き従うようになったのか。
だが、信が聞いたユースティスのイメージは、隠密のように陰で画策するような人物と一致しなかった。
針森の村に飛び込んできた、公女の顔が思い浮かんだ。この国を救おうと、必死に蘭に縋り付いていた。
「アランは見つかったか?」
わざとこの国の大公の名前を呼び捨てる。アランという愛称は、この国では多い。まさか大公を呼び捨てているとは誰も思わない。
空はとぼけた様子で、「うーん」と首を傾げた。
「今は探さなくてもいいかな、と思ってね」
「は?」
信が空の方を向いたその時、豊穣祭の始まりを告げる鐘が鳴った。
大神官が太陽神を寿ぎ、神に奉る神酒と白い反物が、神官たちによって捧げられる。これは、数十年変わらない神事だ。だが、その神酒を造り、反物を織る巫女の数は、最盛期の半分にも満たないという。
「それより、村に帰った方がいいかも」
信が神事に気を取られている間に、空は世間話をするようにしゃべり始めた。
「村が気になり始めた人たちがいるよ。特に北からは注意した方がいい」
信に口を挟ませず、空は話し続ける。
「あー、アレを隠しておいてよ。ややこしくなるから。あんたの息子が余計なことをポロッと言っちゃったせいで、興味持たれちゃったんだよね」
信は「おいっ」とやっと声を出した。
「神の薬」
空の言葉が信の耳に届いた時、人々のどよめきが地鳴りのように響いた。
反射的にキースの方を振り返ると、キースは呆然と大神官を見ていた。
大神官が両手を広げ、天を仰いでいる。
大神官の歌うような声が、朗々と響いた。
「かつての太陽王アウローラは、ついに神に反逆を起こしました。偉大なる太陽神のもと、大神官の名をもって、アウローラ大公を、この太陽神国から追放することを宣言します」
信は空の腕を掴もうとした。「どういうことだ?」と問い質そうと、空に詰め寄ろうとした。
だが、もう空の姿は、そこになかった。




