Ⅳ 狂気 ー12
「困りましたな」
ちっとも困っていない様子で、その男はそうぼやいて頭を振った。
この男は昔からそうだ。悪いことしか考えていないような顔なのに、どうしてか胡散臭いその言葉に一縷の望みをかけてしまう。
そうして破滅していった者を何人も見たはずなのに、自分もまんまと同じ轍を踏もうとしていることを、元陸軍大将ハヌスは他人事のように不思議に思った。今は総司令官となり、瓦解した近衛兵団の代わりとなる、国軍を編成している。
アラン大公が起こした謀反事件は、近衛兵の一部との暴走とされ、近衛兵は解団を余儀なくされた。公国に残っていた近衛兵を含めた全兵士に、大公と共謀した近衛兵隊の捜索を命じたが、元近衛兵隊はこれを拒否、一夜を待たずに一人残らず姿を消した。
だがこれは、ハヌスたちにとっても悪くない状況だった。近衛兵たちは守るべき国民を見捨てて自分勝手に姿を消したと、散々非難し、謀反事件を大公と近衛兵が起こした事件に違いないと、国民に印象付けた。
ガザ帝国から糾弾されたわけでもないのに、このままでは戦争になると、そう国民に思わせたのだ。
だが、一つだけ誤算があった。
いまだに大公の行方が分からないのだ。
「それで、どうされるおつもりですかな」
嬲るように言われて、ハヌスは押し黙る。
「まさか、まだ呑気に、見つかるまで探すなどと言うわけではないでしょうな」
重ねて男は言い、薄く笑った。その酷薄な笑みにぞっとする。
その時、扉をノックする音が聞こえた。
ハヌスは一瞬緊張したが、館の主であるラウル・サボンはすぐに「入れ」と促した。
「ただいま、戻りました、父上」
「……ユースティス殿」
ハヌスは思わず声を漏らしてしまった。
いつぶりだろう。ここに入ってきて、この男のことを「父上」などと呼ばなければ、すぐには彼だと気が付かなかったかもしれない。
そのくらい面変わりしていた。
以前は清廉でありながら、どこか理想主義すぎるきらいがあった。父親と違って潔癖であることを頼もしく思いながら、頼り切るのは躊躇する。そんな青年だった。
だが今、目の前に現れた男は、甘っちょろい理想など、瞬時に踏みつぶしそうな、冷たく鋭い目をしていた。頬は以前より痩せ、眼光ばかりが鋭くなっている。
父であるラウル・サボンとは仲が悪く、ほとんど会っていなかったが、大公の事件が起こるとすぐに、ラウルによって幽閉されたと聞いた。
婚約者であった公女とは、結果、事件後会うことも出来ず、引き離されたことになる。
館に閉じ込められている間に、何があったのだろうか。一体何をされれば、こんなに人が変わったようになってしまうのか。
ユースティスは部屋に先客がいることを認めると、「失礼を」と断り、ハヌスに向かって一礼した。傲慢にも卑屈にも見えない絶妙な美しい一礼に、ハヌスはつかの間目を奪われた。
「それで、大神官はなんと言っていた?」
ラウルがそんな二人のやり取りも意に介せず、そう息子に尋ねた。
ハヌスは心臓がキュッと締まった気がした。ハヌスの世代は昔の太陽神国を知っている。大神官は太陽王と同等の地位を持っていた。神殿の勢力が弱まっている今、それは昔の話だと分かっているが、赤ん坊のころから骨の髄まで沁み込んでいる大神官に対する本能的な畏れは、そう簡単に抜けるものではない。
ラウルもハヌスとそう歳は変わらないはずだが、大神官に対する言い草に、ハヌスは驚いていた。
ユースタスは顔色一つ変えずに答えた。
「ご賛同いただけました」
そして目線をハヌスに移した。
「大神殿は、来月の豊穣祭の折、アウローラ大公追放の宣旨を出してくださるそうです」
「なんと」
そう言ったきり、ハヌスは何も言えなくなってしまった。アラン大公はひと時でも、太陽王になられた方だ。ハヌスは最近まで大公の金の髪を見ると、やはり太陽神の化身ではないかと錯覚してしまうことがあった。大公自身がそれを否定したのだと分かっていても、そう感じてしまうのを止められなかった。
自分ですらそうなのに、大神殿が追放の宣旨を出すとは。しかも、豊穣祭に。
勢力は衰えたとはいえ、大公の地位が落ちた今、大神殿の宣旨は大公を追い落とす勢力の味方を得れば、絶対的な大義名分となる。
さらに、豊穣祭は太陽神殿にとって、最も重要な祭事の一つだ。この時ばかりは、さほど太陽神信仰に熱心でない公国民も、こぞってお祭り騒ぎになり、大神殿には、祭事を見届けようと、人が集まる。
そこで大公追放の宣旨を出す。人々に衝撃を与え、大公の有罪を明らかにするには、絶好の舞台だ。
大神殿の追放は追討を意味する。国内で見つかれば、命はない。
「ではもう捜さなくてよいですな、総司令官殿」
ラウルはつまらなそうに言った。
「これで大公は生きていたとしても、何も出来ますまい。出てきたら、潰せばよい」
ユースティスはまだハヌスをじっと見ていた。ハヌスはまだ何も言えずに、自分がまんまとこの館にいて、この親子の企みを聞かされたことを呪った。
「この国はやはり太陽神国なのですよ。太陽神の意思には逆らえない」
太陽神など少しも信じていないだろうに、ラウルは満足そうにそう言った。
目の前の執務机には、白い封筒が置かれている。特に変わったところはない封筒だ。ラウルは無造作にそれを指で挟んで、二人に示した。
「神意ですぞ」




