Ⅳ 狂気 ー8
結果的には、翠の訪問を拒まれることはなかった。
親方とおかみさんは、変わらない態度で接してくれたし、力は親友のようになっていった。館に帰れば、心を開けるものが一人もいない翠にとって、その存在は大切なものとなり、銀細工の作業に一つも手をだせなくても、翠はこの家に来ることをやめられなかった。
十五になると、力の修行が本格的に始まった。
「おまえさぁ」
翠が持ってきた差し入れのキロを口に放り込みながら、力がおもむろに言った。
「允家のぼっちゃんなんだろ」
「誰にきいたの」
少し声が震えてしまった。口に入れていたキロを苦労して飲みこみ、翠は水をグイッと喉に流し込んだ。
力は知らないはずだった。念押ししたわけではなかったが、親方もおかみさんも、翠が力には知られたくないという気持ちを察して、隠してくれていた。
「たまたまさ……聞こえちまって」
言いよどむ力に、翠を慮っているのが分かった。
自分から尋ねたくせに、どう答えればいいのか分からなくて、翠は馬鹿みたいに「うん」と言った。
力がどう思っているのか不安だった。言葉遣いが変わっていないことに望みを持って、翠は勇気を出して力に言った。
「だけど、変わらず接して欲しい」
「あ?」
翠の言葉に、力は心底不審な顔をする。くじけそうになりながらも、翠は声を張って言った。
「僕の友人であって欲しい」
これではまるで愛の告白だ。翠は息を詰めて返事を待った。
「そんなの当たり前だろ」
事も無げに力が言うのを聞いて、翠は安堵のため息を付いて顔を上げた。
「でも、変わらず接するのは無理だな」
「は?」
今度は翠が不信な顔で力を見る。そんな翠を力はギラギラした目で見返した。
「允の次期当主のおまえに頼みがある」
「なに?」
嫌な予感と、それに相反する高揚感が、翠の胸に湧き上がってきた。
さっきからビクビクしすぎだ。力に何を言われるか、こんなに身構えてしまうなんて。
父に知られたら、鞭で打たれるだけではすまないかもしれない。
そんなことを思いながらも、翠はまるで王の言葉を待つ騎士のように、力の言葉を待っていた。
「大店をなくしてほしい」
「え?」
思ってもいない言葉だった。
職人の町は常に貧しい。
この町は全輪中央にある大店を基軸に回っている。職人たちは自分たちが仕立てた品物を、必ず大店に卸す。それは流通を円滑に進めるものとして、定められたものだった。
だが、その卸値は、実際貴族たちが買う値段から考えると、驚くほど安い。
だが、日々の生活にも事欠く職人たちは、売り渋って、値を交渉するだけの体力がない。
しかも必要な材料は、大店から買う。大店の機嫌を損なえば、自分たちが手の届く価格で材料を売ってもらえなくなると、結果、大店の言い値で売ることになっていた。
材料がなければ、命を繋ぐ糧がなくなるのだ。そうなれば、一家で首を括らなくてはならない。
「大店があるかぎり、俺たちの暮らしは一向によくならない。それどころか、技術が失われてしまう。」
翠は言葉もなく力を見つめた。
大店をなくす。そんなことは不可能だ。大店には氏族の力がかかっている。職人たちからすれば、逆らってはならない神のような存在である大店の主も、氏族の子飼いにすぎない。言い換えれば、大店に逆らうことは、氏族にも逆らうことになる。
だから力は、允の氏族長の息子である翠と知り合えたことに、千載一遇の好機を見出したのかもしれないが、氏族の中でも最弱である允では、当主になったとて、何の力にもなれない。しかも今は、その最弱の允当主にすら、虐げられている。
「それは……無理だよ」
大店は世の中の構造そのものだ。壊せるわけがない。今の氏族制度に亀裂が入る。
「どうして?」
力の目は容赦がなかった。難しいことは分かっている。しかし「あきらめない」という強い意志が、その射すくめるような目にありありと現れていた。
翠は絶望しか感じなかった。どうやったら、力を諦めさせられる?
力は氏族に逆らうということが、どういったことか分かっていないのだ。
「大店の上には氏族がいる。平民が氏族に逆らうと、自分だけの問題じゃなくなるんだぞ」
彼らは事の真偽など気にしてはいない。自分の不利益になりそうなものは、あらかじめ駆除していく。力が目障りになれば、その家族、友人、面倒と思えばその地区ごと…直接的な表現をすれば、消されてしまう。
翠は父にそう教わった。憂いを残すなと。
力を失いたくなかった。
「そう。俺だけの問題じゃない」
必死に説得しようと焦る翠と対照的に、力は落ち着いていた。
「このままいけば、俺たちは氏族に使い潰されて終わりだ。最低限の材料だけ寄こされて、氏族が決めた品物をつくる。何の発展もない。設備は古くなる一方だし、販路は限られ、先細りだ。貧しさから子どもが減り、後継者は育たない。衰退したこの町を、氏族の連中はさっさと捨てるだろう」
力の言葉を翠は否定できずに、奥歯を噛みしめた。
どんなに彼らが作るものが全輪で流行っても、彼らの懐は一向に温まらない。ただ量産の指示が下りてくるだけだ。こなせなければ、次回から他に回される。
無理をしすぎて、結局身体をこわした者もいた。
分かっている。ただ、それでも、力の話に乗ってやってはだめだ。
「大店という梯子を外されたら、立ち行かなくなるぞ」
いくらひどい扱いだとしても、唯一の販路と仕入先には違いない。
「奴隷扱いよりましだ」
言い切る力に、翠は父の言葉を思い出す。あれは職人に対する言葉ではなかったが、允家の薬草農園を任せている農家に対して、父は「あれらはうちの奴隷みたいなものだ」と言っていた。
現ガザ王が奴隷の所持と売買を禁止してから十数年。だが、別の名で氏族に繋がれている者は多い。
「おまえが手を貸したくないのなら、それでもいいよ」
憤った様子もなく、力はまっすぐ翠を見た。
ああ、無理だ。翠の絶望は色濃くなる。こんな目をする力は、どんな甘言にも脅しにも、たとえ自分を思いやっての言葉だと分かっても、絶対に折れない。
「……」
だが駄目だ。力たちを死なせるわけにはいかない。
「僕が策を考えるよ」
どうにか氏族の怒りに触れずに、力たちが納得してくれる妥協点を探りたい。
翠の思惑を読んだように、力は薄く笑った。
「大丈夫。俺に考えがあるんだ」




