Ⅳ 狂気 ー7
王都全輪でも、王城から白水湖の対岸にある、職人が多く住まうこの辺りでは、氏族と呼ばれる者の姿は見かけない。
氏族が使うあらゆる高級品のほとんどが、この地域で作られるが、使う本人たちがここを訪れることはない。
すべての品は、職人の町から商人の町にある大店に卸される。氏族たちは大店から買い付けるのだ。
だが、その細工の見事さに魅了され、作っているところが見たいと思う変わり者がたまには現れる。翠少年もそんな一人だった。
タンタンタンタン
拍子を刻むような規則正しいその音が、少年翠は大好きだった。こっそりと銀細工師の家に潜り込み、耳を澄ます。
拍子はやがて翠の身体に沁み込んでいき、翠はその音以外の周りのもの、自分自身の存在さえも、ないような感覚に陥る。
「おい、邪魔だ」
親方の苛立ちのこもった声に叱られ、翠は慌てて身体を引いた。
「手元が狂う。頭をひっこめてろ」
おかみは親方の言い草にオロオロしていたが、翠は見ていてもいいのだと安堵する。
過熱してやわらかくした地金を、木槌で打ち込む。加熱と打ち込みを繰り返し、地金を絞り込んでいく過程が、翠は好きだった。
生き物のように形を変える地金を(親方に言わせると、本当に生きているらしい)、翠は神でもみるような気持ちで見ていた。
「あ、また来てる」
弾んだ声が背後から聞こえて、翠は振り返った。ここの次男坊である力が、仕事場の入り口から顔を出していた。力は翠と同じ歳である。人見知りの翠と違い、誰にでも興味を持って、すぐに友達になろうとする。ともすれば強引な力が、翠は嫌いではなかった。
「遊びに行こうよ」
力と遊ぶのも魅力的だが、翠はこの作業を最後まで見届けたかった。
「ちょ、ちょっと待って」
もごもごとそう言うと、力はすぐに察して、翠のそばにきて、同じようにしゃがみこんだ。
「いいよ」
そう言って、翠と同じように、親方の手元を覗きこむ。
熱して叩かれた地金は、冷やされるために、水に入れられる。そしてまた、熱して叩かれる。
水に入れられた地金が、微かに震えた。
「きれいだ……」
思わず翠は呟いた。となりで力が「クッ」と笑う。
「ほんとに熱心だな。翠が跡を継げればいいのにな」
力がそう言うと、おかみの顔が一瞬で険しい顔になる。
「馬鹿なこと言うんじゃない」
低く鋭い声で怒鳴ったのは親方だった。
「跡を継ぐのは、お前だろう」
翠は黙って、親方の作業を見続けた。
そうだ、僕がこの仕事ができるなんて、万に一つもない。
「二度と言うな」
力を叱責したその言葉は、自分に言われているようだと、翠は思った。
「あんなに怒んなくてもいいのになぁ」
ザクザクと枯葉を乱暴に踏みしめながら、力は口を尖らせて言った。
力は単純だ。まぁ、十一歳の自分たちは、力のような単純さが年相応だ。
力は自分が父親の跡を継ぐことに消極的と、叱られたのだと思っている。
だが、あれは二人が慌てたのだ。翠がこんなところで銀細工師の作業に見惚れている。翠が允当主の嫡子であることを知っている親方たちは、少し誇らしい気持ちがあったかもしれない。
しかし、息子が何気なく放った一言で、親方たちは気が付いたのだろう。翠がこの仕事をしたいと言い出す可能性があるということに。
そうなれば、親方たちはただではすむまい。氏族である允の嫡子が、職人になりたいなどとは言語道断だからだ。
「そうだね」
翠は前を歩く力の背中に向かって、適当に相槌を打った。
「なんだよ、そのいい加減な言い方は」
力は翠にも怒りの矛先を向け、更に乱暴に枯葉を蹴散らす。
「でも力は、親方の跡を継ぐんだろう?」
そう水を向けると、途端に力は肩をすぼめた。
「まぁ」
さっきの勢いは瞬時に消え、言いにくそうに、口をモゴモゴさせた。
「兄貴が出ちまったからな」
力より七つ年上の兄の練は、官吏になるために高等学舎に通っている。高等学舎は氏族が住む地区と商人が住む地区の境にあるが、職人の子が通うなど、異例中の異例だった。だが、志があり、とびきり頭が良かった連を、職人にしておくのは惜しいと、両親が無理をして息子の願いを叶えたのだった。
「兄貴は俺たちの暮らしを絶対によくしてくれる」
兄が技を継がず家を出る代わりに、自分が父の技を継ぐと、力が請け合ったらしい。
十一歳の子どもの口約束だが、親方たちは心強く思っただろう。
力があんなことを言ったのは、完全に口から出まかせだ。翠を、ちょっと裕福な家の子どもだと思っている力は、あまりに熱心な翠をからかったにすぎない。
翠はそれが歯がゆかった。力の単なる冗談が、親方たちに恐怖を与え、自分はもうここに来られなくなるかもしれない。




