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宵の姫君  作者: さら更紗
Ⅲ 激流
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Ⅲ 激流 ー13



「あの男、どう思われますか?」

 そう問われて、書類から目を上げた。白い部屋。問いかけた男も白い。もちろん自分自身も。

「あの男、と言いますと?」

 そのまま返してみると、男はあからさまに苛立った顔をした。

 太陽神に仕えるより、世俗にいざこざの方が好みらしい。神官より、貴族の秘書にでもなった方が良かったのではないだろうか。

 だが、こうもすぐに顔に出る性質(たち)では、出世は望めないだろう。言葉の選び方も配慮に欠ける。

「サボン家のユースティス殿です。彼は公女の婚約者でしょう? 信用できるのでしょうか?」

 意気揚々と言葉を繰り出す男に、内心ため息を付く。この神官は大神官の側付きに任じられてから、自分の地位が上がったと勘違いしている。

 本当に人材不足だな。

「これをデミルに渡してください」

 静かにそう言い、机の上にあった白い紙に何事か書付け、二つに折りたたむと、空いたカップと一緒に、不満顔の神官に渡した。

 デミルはこの神官の上司だ。これでこの神官が、自分の部屋に入ってくることは、もうないだろう。

 これでは神官より、従僕の子どもを付けてもらった方がまだましだ。

 デミルにはまた小言を言われるかもしれないが、それより自分の平穏な環境の方が大事だった。

 何も知らない神官は、何か大事な書簡でも授けられたように喜色を浮かべ、恭しく頭を下げた。

「かしこまりました、大神官様」

 神官が退出し、部屋の扉が閉められると、また部屋全体が真っ白になった。

 神聖なる太陽神殿の大神官の部屋。

 自分が少年神官の時から、部屋自体はあまり変わらない。磨き上げられた白。

 だが、神殿自体の活気は昔と比べようもない。ただの祭事場に成り下がっている。

 ……わたしが太陽(こ)神殿(こ)に来た意味をお考え下さい。

 彼の言葉に心を動かされなかったと言ったら、嘘になる。

 太陽神国から公国となって以来、神殿は政治の中枢から、すっかり切り離されてしまった。

 その言葉が持つ意味も、それゆえの危険性も、大神官には痛いほど分かっていた。

 今まで希望がなかった。今舞い込んだ希望が、たとえ危険であるとしても、無視を決め込むには、虚しい日々が長すぎたのだ。

 大神官は立ち上がり、白い衣の裾を払った。

 希望をもたらした客人のところに向かうため、廊下に出る。

 大神官が客人の許へ自ら足を運ぶなど、あまりないことだった。

 昔の名残で大神殿の廊下は長い。大神官や大巫女、巫女姫の許に、簡単にはいけないように、廊下が入り組んで迷路のようになっているのだ。

 だが、大巫女も巫女姫も、今はいない。

 死をもって太陽神の花嫁になるという巫女姫の制度を、アウローラ大公が廃止してから、巫女姫はもちろん、それを輩出するための重要な役割であった巫女という存在自体も、だんだんと軽いものになっていった。実際、当時の大巫女が亡くなってから、新たに大巫女を立てることもなかった。

 巫女は舞や機織り、神酒の製造など、することは昔とあまり変わらないが、地位は神官よりだいぶ低くみられる。もう巫女は選ばれし者ではなく、熱心な信者の女子が自ら請うてなるものとなった。

 ふいに目の前に誰かが立っている気がして、大神官は思わず足を止めた。

 目を瞬(しばた)かせる。窓から入る光は、長い廊下の白さを明るすぎるほど浮き立たせていた。

 目の前には誰もいない。眩しさに目が眩んだだけだ。

 あの時も、自分たちを守るように立ちふさがった人は、目を覆いたくなるほど眩しかった。

 やっと目的の扉の前に立つと、大神官は遠慮がちに扉を叩いた。

「はい、どうぞ」

 その声は思ったより冷静で、大神官は自分が今からぶつけようとしていた言葉の数々が、見当違いに熱いのではないかと危惧した。

 ゆっくりと扉を押し開けると、中にいた男は大神官の姿を認め、跪いた。

「これは大神官様自ら、おいで下さるとは」

 言葉とは裏腹に、男の声音は熱を帯びていなかった。大神官が一人で誰かの部屋を訪れるなど、あるはずがないことだというのに、男はそれにさえ気づいていないようだった。

「二人で話がしたいと思ったので、参りました」

「はい」

 大神官のそんな言葉でさえ、この男の前では価値がないものに思えた。この男は今、何歳だろう。自分より年上だったか。普段は全く気にしない相手の年齢を、気にかけている自分を発見して、大神官はにわかに動揺した。

 自分の神殿なのに、男に勧められて、部屋中央にある椅子に腰掛けた。

 男は言葉を待っている。大神官は唇を湿らせてから、口を開いた。

「ユースティス殿」

 緊張が表に出ないように気を付けたつもりだったが、いつもより少しだけ高い声になってしまった。

 自分に向けていたユースティスの目が、更に自分の目の奥を見つめてきた。

「あなたは太陽神様を信仰していらっしゃるのですか」

 ユースティスは微笑んだ。その微笑みを見て、大神官は自分が何か間違いを犯したのではないかと、ギクリとした。

 ユースティスは微笑みを湛えたまま、滑らかに言葉を紡いだ。

「わたしの言いたかったことを、分かって下さったのですね」

 ……わたしが大神殿に来た意味……

「神殿のこのような状態を、放っておくことは出来ません。かつてこの国がなんという国だったか、もちろんご存知ですね」

 もちろん、知っている。大神官がまだ少年神官だった頃。あの、神々しい時代。

 太陽(たいよう)神国(しんこく)。

 あの頃の神殿がすべて正しかったとは思わない。太陽神の御為(おんため)と称した数々の間違いを正そうと、大公と共に力を尽くしたのは自分だ。

 だが、その結果得たのは、名ばかりの抜け殻のような神殿だった。実のない外側だけの入れ物。

「大公の罪を太陽神殿が糾弾するのです」

 いつの間にかユースティスは大神官に近づき、耳元で囁いていた。

 落ち着いた声が大神官の耳に流れ込んでくる。

「だが……」

 大神官はユースティスから少しばかり身を離した。

 この男は何年も前から、公女の婚約者だ。

 年が離れているにも関わらず、二人の仲は良いと聞く。彼は婚約者をも裏切る気なのだろうか。

「あなたは公女様の婚約者でしょう。公女様をも裏切るおつもりですか」

 そう言うと、ユースティスは驚いたような顔をした。

「裏切る?」

 それから否定を示すために、首を二度横に振った。

「大公の過ちをこのまま放置しておけば、それは必ず公女様の仇(あだ)になります。わたしは公女様を助けたい」

 そう言ってから、また微笑んだ。

「ですから今、大公を追い落としたいのです」

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