1 幻の村 ー5
「こんなことをしている場合じゃないわ」
ターシャはブツブツ文句を言いながら、チィの実を干し台の笊の上に並べていた。チィの実は小さいうえにまん丸で転がりやすい。
「あ、また」
癇癪を起しかけて、ターシャはまた大きくため息を吐いた。イライラしている彼女は、先ほどから並べている実を崩してしまい、一向に仕事がはかどらない。
「こんなこととは、ひどい言いようだね、杏」
隣で薬草の下処理をしていた陽が、呆れたように言った。
「そういうことではなくて……ヨ、ヨ、よう」
「陽」
一生懸命、陽の名前を呼ぼうとしたターシャは、バッサリと本人に発音を直されてしまった。
ターシャがガザから来たと偽るために、陽はターシャが名乗った「アン」を「杏」に改めてくれた。
「素性を隠した方が、確かにいいかもね」
そう賛成してくれた時は、優しさからかと思ったが、「それなら村の者の名前も正しく呼べるようにならないと」と、強制的に特訓が始まったのだ。
最近では、単に陽の嫌がらせなのかもしれないと、思い始めている。
ようやく会えた蘭と、陽が連れてきた蘭の夫の信に、ターシャは事のあらましを語った。
蘭以外の人間に話すのは躊躇われたが、信は大丈夫という蘭の言葉に、ターシャも心を決めて語った。
といっても、ターシャにも分からない事の方が多かった。
父である大公アランが、出かけていった公務先のガザで行方不明になったと、知らせが届いたこと。追って届いた知らせは、「帝国への叛意の疑い」とあった。
お母様は冷静だった。嫁いだ姉に連絡し、自分たちも準備しようとした。
お父様に叛意などあろうはずがない。
それは分かっていても、真実が必ずしも勝つわけではないということも知っていたからだ。
だが、支度をしようと私室を出ようとしたところで、外が騒がしいことに気が付いた。それが兵士たちの怒号だと気が付いた時、初めて、母の顔が真っ青になった。
それから、隠し通路に押し込まれたのだ。
お母様は一緒に来なかった。
ラン様を頼ってと言い残し、通路の蓋を閉め、閂を掛けたらしい。ターシャが押しても、扉は開かなかった。
もう進むしかなかった。
あとは自分でもよく覚えていない。隠し通路は都の外まで続いていた。下水路に沿うように作られていたらしい。
外に出ると、ただ、必死に西に向かい、針森を目指した。
よくたどり着いたものだと思う。
日常用とはいえ、ドレスを着ていた。目立たないわけはない。すぐに豪奢な裾を破いて短くして、髪に飾った装飾品もすべて取って、一つ括りにした。できるだけ町の娘の恰好に近づけようとはしたが、不自然であることは自分でも分かっていた。
途中で行商人の馬車に同乗することができたが、ほとんど徒歩だった。お金を持っていく暇などなかったし、大公家の装飾品は高価すぎて怪しまれる。
ろくに食べ物も食べられず、宿場町でも宿には泊まれなかった。
ただの公女の自分が、一人でここにたどり着けたのは、奇跡だとしか思えなかった。
だからこそ、焦るのだ。
この奇跡を無駄にしたくない。
真相を知り、間に合うのであれば、父と母を助けたい。
だが、真相どころか、父と母の安否すら分からなかった。
蘭は途中で口を挟まず、最後まで聞くと、ターシャの頭を撫でてくれた。
「よくがんばったわ。とにかく、今は体を休めなさい」
一刻も早く、と急いて詰め寄るターシャに、「俺たちが探ってみるから安心しろ」と言ったのは信だった。
心配そうなターシャの顔を見て、蘭は微笑んだ。
「大丈夫よ。信はアランの親友なの」と蘭が言うと、信は思いっきり顔をしかめた。
大公である父を、蘭がそんな風に気軽に呼ぶことに、ターシャは驚いた。
その間に蘭は陽を呼び、ターシャはまた陽の家に戻されてしまった。




