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宵の姫君  作者: さら更紗
Ⅲ 激流
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45/109

Ⅲ 激流 ー2


 扉には外鍵が付けられていた。その意味に、ターシャの胸はスッと冷えた。

 だが、鍵はかかっておらず、施錠していたであろう南京錠が床に転がっていた。

 扉に隙間が開いている。

 恐る恐る扉を押してみる。

 拍子抜けするほど扉は軽く、すぐに開いた。

 中には男がいた。ターシャは踏み込むのを留まった。

 肩に届くか届かないかの黒髪。向けられている背中は、華奢だった。

 ユースティスじゃない。

 ごまかすか、逃げるか。

 一瞬迷っている間に、男は振り返った。

 踵を返そうとしていたターシャは、その目を見て動けなくなった。

 翡翠。

 男の目は翡翠のように、深い緑を湛えていた。

「やあ」

 男は驚く様子もなく、気安い様子でターシャに挨拶をした。

 逃げるタイミングも胡麻化すタイミングも失ったターシャは、唇を噛んだ。

 誰だ、この男は。

 この館に咎められることもなくいるということは、ラウルの知り合いだろう。

 ユースティスは?二階?

「ユースティス殿は、もうこの家にはいないよ」

 ターシャの考えを読んだように、男はあっさりそう言った。

「……あなたは誰?」

 動揺を押し殺して、ターシャは男に尋ねた。

 男がターシャの正体を見破っているかは分からないが、ユースティスを助けに来たということは、分かっているようだった。

 それでも咎めるわけではなく、情報を与えてくる。

 男はちょっと考えるように、首を傾げた。

「彼の友達だよ」

「その証拠に」と付け加えると、彼は背後にあるテーブルから何かを取り上げた。

 そのまま、ターシャに差し出す。

「これを君宛てに預かっているよ」

 彼の手にある白いものは、手紙のようだった。

 彼はそこから一歩も動かずに、ニコニコとターシャを見つめている。

 欲しければ取りに来いということだろう。

 言われるままに、部屋に入るのは躊躇われるが、確認しないわけにもいかない。あの手紙が本物かどうか分からないが、それでも可能性がある以上、無視できるものではない。

 躊躇していると、上の方から声が聞こえた。

 誰か来る。ターシャが身を固くすると、男が短く言った。

「早く、入って」

 ターシャは覚悟を決め、足元に転がっている南京錠を掴むと、部屋の中に入り、そっと扉を閉めた。

 聞こえた声は、だが地下に降りてくる様子はなく、遠ざかっていった。

 その間中、ターシャは目を逸らさず、じっと男を見ていた。

 男もやはり動かず、ターシャを見つめている。

 時が止まっているような緊張を、ターシャはフッと息をついて破った。そのままスタスタと男に近づくと、男が手にしている手紙を取った。

 男はあっさりと手を開いた。

 封筒に宛名が書かれている。几帳面な少し細長い手跡(しゅせき)。「ターシャへ」間違いなくユースティスの字だ。

「信用してくれたかい?」

 ターシャは硬い表情のまま、顔を上げた。

「まだ分からないわ。そもそも、どうしてユースティスはここにいないの?ここにいたでしょう?」

「どうして?」

 男の目が探るように瞬いた。

 やっぱり。

 彼はターシャがここに来ることを知っていた。そしてこんなことをするのは、ターシャが何を知っているか、知りたいからだ。だからわざわざ姿を見せて、ターシャを探っている。

 問題は、彼がユースティス側なのか、ラウル側なのかということだ。

 もっとも、どちらにしても、ターシャはたいした情報は持っていない。

「あなたがここにいるからよ。どうやってわたしがここに来るのを知ったのかは分からないけど、わざわざ手紙を持って私に接触した。ユースティスはここにいたけど、今はいないからでしょ。どうして?」

 反対にターシャが訊くと、男は面白そうに顔を緩めた。

「僕はただの伝言役だよ」

 手紙を読んだら分かることだけどね、と前置きする。

「ユースティス殿はラウル殿の名代で、太陽神殿に行ったよ。アラン大公の罪を大神官に告発するためにね」

 ターシャは意味が分からず瞬きした。いや、意味は分かる。分かるが、誰の話をしているのか分からなかった。

 ターシャが一言も返せないうちに、男は次の言葉を続ける。

「ターシャ殿、ユースティス殿は、あなたとの婚約を破棄したいそうだ」

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