Ⅱ 蠢動 ー20
「カエルムだと?」
ガザ帝国の王、炎は驚きを隠せない様子で、目の前の男に迫った。
だが男は少しも臆する様子はなく、両耳を覆って、迷惑そうに顔を歪めた。
「大きな声を出さないで下さいよ」
王は大きな声など出していない。内容が内容だけに、声を押さえていた。だから、この男の文句は、ただの嫌がらせである。
「どうしてお前はここにいるんだ?戻ってくるのか、空?」
王の隣で、まるで信用していないような顔で話を聞いているのは、泣く子も黙る国軍大将、櫂である。
「いいや、ちょっと弟子の不始末を片付けにね」
空はうんざりした顔を作ってみせた。
「崑か……」
炎が呟き、櫂はため息をついた。
隼は崑と相性が悪い。その最大の理由は相手方の隠密頭に勝てないからだが、そもそも隼が、相手を出し抜こうとか、勝とうという意欲を持っているのかが疑問だ。
崑相手なら、しくじれば自分はもちろん、主人にも害が及ぶ危険もあるのだが、それにもかかわらず、真剣みに欠ける。
実際、呼びかけに応じて空が出向くと、千はあっさり情報をくれた。身体を差し出したことを差し引いても、千は情報を勿体ぶる気はなかったのではないかと思う。
崑の隠密頭を張っているのだ。自分の欲の為に、機密を渡すようなことは、絶対にしない。
公国の大公によるガザ襲撃事件が、大公によるものではなく、ガザの人間も一枚噛んでいるということは、早い時期に見当がついていた。それが四大氏族のどれかだということも、規模を考えれば容易に分かる。
氏族以外でこんなことを起こせる人間はいない。それほどにガザの氏族とそれ以外とでは、天と地との差があるのだ。
絶望的なほどに。
それにしても……と空は、半ば喜びに似た懐かしさで、その名を反芻していた。
カエルム。かつて太陽神国の王を殺し、かの国を内側から壊していった、悪魔の麻薬。
隣国を滅ぼしかけたカエルムは、原産国であるガザでも禁止となった。
炎が徹底的に排除したので、違法に生産しても流通させられず、そのうち姿を消したはずだった。
それがまた、息を吹き返している。陰謀の底で、怪しく蠢いている。
まぁ、でもそうか。
空は一人納得する。いや、炎や櫂も、とっくに分かっているだろう。
あの手のものが、そう綺麗に消えることはない。呼び名を変え、姿を変え、永永生き続ける。
「ところで凛は?」
空がガザ帝国の王妃の名前を軽々しく口にすると、櫂は眉間にぐっと力を籠め、不快の意を示し、炎王のこめかみはピクリと動いた。
時間的には数秒に満たぬほどであったが、奇妙な間の後に、王は結局、口を開いた。
「……いつものところだ」
空は頷くと、二人の様子などまるで気が付かない様子で、窓に手をかけた。
そして思い直した様子で、炎を振り返った。
「戻るわけじゃないけど、気になるから、一応調べてみるよ。じゃあね」
大変なことを、気軽に告げる。この男は昔からそうだ。二人の前に、ひょっこりと現れた、あの少年の頃から。




