Ⅰ 幻の村 ー3
彼女が奥の部屋を覗くと、男は薬草を仕分けていた手を止めて、すぐに顔を上げた。
「お、ぴったり。よかったね」
軽い調子でそう言い、また薬草が入った籠に目を落とした。
「お腹すいてる?食べられそうだったら、何か作るよ」
そう言いながらも、手は止めずに作業を続けている。その顔は真剣で、話しかけながらも、意識は薬草に集中しているようだった。
柔らかそうな髪が、フッと横顔にかかって、影をつくった。
彼女は一瞬その横顔に見惚れたが、ハッと我に返って、口を開いた。
「助けてくれて、ありがとう」
男はまた顔を上げた。
「あの……ここは針森の村でしょうか?」
「うん、そうだよ」
意を決して尋ねたことに、男はあっさりと答えた。しかし作業から手を離すと、彼女の方に向き直った。
「それで、あんたはどうしてあんなところにいたの?どこから来たの?」
問い詰める風ではなく、心配から来る疑問を尋ねている、柔らかな口調だった。
信じて良い人だとは思うが、彼女はぐっと心の中で踏ん張った。
まだだ。
「ガザから。針森の村に通じている穴の通路を通ろうと思っていたんですけど、迷ってしまって」
針森と帝国ガザは、高い崖で寸断されているが、崖の中に抜け道のような通路がある。
ガザから針森に行くには、この通路を通るか、高い崖を登るか、大回りしてアウローラ公国を抜けるかである。当然、皆、通路を選ぶ。ただ、その入り口は、知っているものが同行しないと、見つけにくいものだった。
「ふーん」
自分から訊いた割に、男はたいして興味なさそうに相槌を打った。
「そうなんだ、ガザからね。身体がよくなるまで、ここにいるといいよ。さっきも言ったけど、俺は薬師だからね。俺に助けられたのは、だいぶ幸運なことだよ。あ、俺の名は陽。あんたの名は?」
怪しまれなかったのはいいとして、急に名前を尋ねられて、彼女は詰まった。思わず、唾を飲み込んで、答える。
「あ、アン」
陽はにっこり笑った。その笑顔に、彼女はなぜかぞくりと背中が震えた。
「じゃあ、よろしくね、アン。これが終わったら、ご飯つくるから、休んでいるといいよ。だいぶ身体が弱っていたから」
そう言って作業に戻ろうとする陽を、彼女は慌てて呼び止めた。
大事なことを訊いていない。
「あのっ、ヨウ」
「ん?」
陽が三度顔を上げる。
「ランという人を知らない?あの、母の知り合いで」
陽は「ああ」と呟いて、またにっこり笑った。
「蘭は俺の母親だよ。蘭に会いに来たの?公国のお嬢さん」
からかうような言葉に、彼女は息を呑む。
「え、わたしはガザから」
陽はすっと立ち上がると、いつのまにか彼女の目の前にいた。あ、と思う間もなく、手首を摑まれ、陽の顔が近くにあった。摑まれた手は痛くなかったが、振りほどけなかった。
「あのねぇ。ガザの人なら、針森の人の名前をちゃんと呼べるよ。それに『アン』なら、公国の人でしょ」
目を覗きこまれて、彼女を思わず目を逸らした。
「……確かに元々は公国にいたんです。それからガザに渡って……」
口の中がカラカラだ。うまく言葉がでてこない。自分でも悪手だったと、臍を噛む。
陽はそんな彼女を見て、手を離した。
「ガザからの通路のことは知ってたのにねぇ」
可笑しそうにそう呟くと、彼女が寝ていた部屋に入って行く。戻ってきた手には、水が入った器があった。
「そんな弱った身体だから、頭が働かないんだよ。とりあえず、横になって。明日、蘭のところに連れて行ってあげるから」
そう言うと彼女に器を押しつけた。
陽がそのまま動かないので、彼女は器に口をつけ、水を飲んだ。
水が身体に染みわたっていく。
まだ信じないと固く決心しながら、出された水をあっさり飲んでしまった自分に、呆れてしまう。
でも、水は必要だ。休息も。
言われるまま、身体を横たえながら、彼女はそう自分に言い聞かせた。




