Ⅰ 幻の村 ー2
最初に耳についたのは、火が爆ぜる音だった。
広間?
暖炉で火が爆ぜる音。
寝室ではないので寝台はないが、広間には寝椅子がある。そこで横になって、ウトウトしていたのか。
だが嗅ぎ慣れない匂いに、一瞬で目が覚めた。
見慣れぬ部屋。
部屋とさえ呼べないような、簡単な小屋のようだった。よく見れば、壁の一部は岩肌がむき出しになっていた。
岩屋みたいなものかもしれない。
嗅ぎ慣れない匂いは、隣室から匂ってくるようだった。
よく見ようと体を起こしかけたが、肩と腰に激痛が走った。声もなく断念する。
しばらくじっとして痛みが去ると、身体の様子を調べようと、そろそろと腕を持ち上げてみた。
「?」
腕は綺麗だったが、そこは何も覆われていなかった。
身体の上には一枚の布と、大量の枯れ草が掛けられていた。おかげで寒くはなかったが、嫌な予感がして、恐る恐る布をはぐってみる。
「ひっ」
声にならない悲鳴を上げて、とっさに布をきつく抱いた。その衝動でがさがさと枯れ草が彼女の身体から落ちる。
ごくりと唾を飲み込んで、もう一度布の中を見てみた。
そこには見慣れた自分の裸体があった。
「おっ?目が覚めた?」
奥から若い男が顔を出して、気軽にそう訊ねた。
今度こそ、彼女は盛大な悲鳴を上げた。
「な、なんで」
言葉にならない言葉が、あわあわと喘ぐように漏れた。
必死で布を体に巻き付け、可能な限り男から離れようと、起き上がって後ずさりした。
俊敏とは言い難い彼女の行動を、男は黙ったまま面白そうに観察していた。
「心外だなぁ。俺が悪いみたいじゃん。あのまま濡れた服を着ていたら、あんた、身体冷やして危なかったよ」
「だ、だからって……」
理屈としては分かる。だけど、だからといって「はい、そうですか」と冷静になどなれなかった。
何もされていないとしても、見られた。触られた。
いや、待って。もしかしたら、女の人がいるのかもしれない。
「あの、服を脱がせてくれたのは……」
一縷の望みをこめて、恐る恐る尋ねたその問いに、男はあっさりと答えた。
「ああ、俺だよ。ここ、俺しかいないし。大丈夫、何もしていない」
その言い方は軽かったが、男の様子にやましさは全く感じられなかった。男は彼女の困惑をよそに、つらつらと説明を始めた。
「俺、薬師なんだよ。天気が悪かったけど、どうしても必要な薬草があって森に入っていたんだけど、そしたら、あんたが木に引っかかっていてね。意識もなかったし、だいぶ体が冷えていたから、ちょっと危なかったよ。だからとりあえず体温上げるために、濡れた服を脱がして体を乾かしたんだ。替えの服を着せようかと思ったけど、その方が身体を触っちゃうから、嫌がるだろうと思って。代わりに枯れ草をいっぱいのせて温めた。だいぶ身体があたたかくなっただろう?」
「……服を下さい」
消えるような声で彼女がそう言うと、男は「うん?」と首を傾げた。聞こえなかったらしい。
「着るものを、下さい!」
恥ずかしさのあまり思わず叫ぶと、男は笑って奥に服を取りに行った。
……なんなの、あの男。
あの男のおかげで命が助かったことは分かる。確かに身体は温かくなっていた。
温かくなったと実感した今では、あの時の自分の身体がどんなに危険な状態だったか分かる。感覚が麻痺していたのだろう。
あのまま意識を失っていたら、多分死んでいた。
何が起って、あんなことになったのかも、分からないままで。
それだけは絶対に嫌だった。
男はすぐに戻ってきた。手に服を持っている。飾り気はなさそうだが、少し黄色がかった白っぽい布地だった。
「ああ、これこれ。これなら、着れるんじゃないかな。着てみてよ」
そう言って服を渡すと、さっさと奥に消えていった。
しばらくポカンとして、ああ、服を着るから、外してくれたんだと、やっと気が付いた。
慌てて服を着る。
服はいつも着ているものよりは柔らかくなかったが、清潔で気持ちの良いものだった。
少し大きかったが、着られないことはない。一緒に渡された紐を腰で縛ると、しっくりときた。
服を着ると、とりあえずホッと息をついた。
何も身に纏っていないというのは、恥ずかしさももちろんあるが、単純に自分を弱くする。
さて、どうしようか。
先ほどは動転して、周りをよく観察できなかった。
狭いと思っていた小屋は、奥まで部屋が続いているようで、案外広いのかもしれない。
嗅ぎ慣れない匂いは薬草の匂いだろう。男は薬師と言っていた。
ということは、村まで無事にたどり着いたのか。あの隠された村に。
彼女はかけてあった布をたたみ、そろそろと立ち上がってみた。恐る恐る歩いてみる。
身体は痛いし、多少ふらつくが、動けないことはない。
……誰も信じては駄目よ。
母の声が脳裏をよぎるが、さりとて、何もしないわけにはいかない。情報を得なければ始まらない。




