Ⅰ 幻の村 ー21
森の麓の広場では、いくつか天幕が張られていた。その中央にはひときわ大きな天幕が、周りの木の太い枝に結び付けられて、張られている。そこがまつりの主会場らしく、大きな丸台が三つあり、その上に馳走が並んでいた。丸台の高さは低く、腰掛けるものは見当たらないので、地に敷かれた敷物の上に座して食べるのだろう。
まかない所には椅子があったので、特に違和感を持たなかったが、公国では坐して食事をすることがない。ターシャは改めて、ここが自分の国とは違うのだなと思った。
丸台に並べられた木の実は、蜂の巣の蜜で甘く煮られている。甘く煮られた木の実はハナと呼ばれ、それをパチェ(雑穀で作ったクレープのようなもの)で包んで食べる。
これが「はなまつり」で食べられる、伝統的な御馳走である。肉のようなものは一切出ず、ハナと食用の野草、蒸されたチェ(ノイと呼ばれるパンの生地を発酵前に干して砕いたもの)、そしてそれらを包むためのパチェが並べられていた。ハナの種類は様々で、それぞれ味はもちろん、食感も違うので、いろいろ試して楽しめる。
針森の人間は、十六歳ではもうラシャ(針森特有のお酒)を飲んでいるが、はなまつりではラシャは出ない。
飲み物は森の上流から採ってきた、朝一番の水である。
天幕に入ると、その御馳走を前に、若者たちの緊張も解けたようで、仲間内で話す声が聞こえてきた。
ほとんど針森の奥の薬師小屋で過ごしていたターシャには、もちろん顔見知りなどいない。
ちらちらとターシャを見る視線を感じながら、どうしたものかな、とターシャは内心苦笑いをしていた。
蘭も陽も、はなまつりを楽しいまつりだと言っていたが、それは針森の人間だけではないだろうか。互いに気心の知れた村の若者の中に、わたしのようなよそ者が入っても、感じるのは困惑と疎外感だけだ。
そうケチを付けながらも、円台の上の華やかな御馳走には心が惹かれた。
好奇の視線は一旦無視して、ターシャは円台に近づいて、パチェを手に取った。
「あなた、陽のところにいる子でしょう?」
声をかけられて、驚いて振り向くと、女がいつのまにかターシャの隣に座って、パチェを頬張っていた。
細く長い三つ編みを顔の横に垂らしている。
ターシャに声をかけたにもかかわらず、一心不乱にパチェにがっついていた。
ターシャが一度とったパチェの皮をどうするか、先にこの人の問いに答えた方がいいのか迷っているうちに、彼女はとうとう一つのパチェを食べきってしまった。
ハナの甘い蜜が付いた指を舐めながら、やっとターシャを見た。
「あんた、何してるの?早く食べなきゃ」
そう言いながらも、もうパチェの皮に手を伸ばしている。
呆気に取られて見ていたターシャは、彼女の言う通り、まずパチェを食べることにした。
「このハナが美味しいわよ」
食べながらハナの一つを指さしたので、ターシャは素直にお勧めのハナをパチェに入れた。それからチェを加え、そっと包むと、口に運んだ。
蜜の絡んだ木の実の甘酸っぱさと、チェのプチプチとした食感が、なんとも不思議で美味しかった。
思わず驚いたように口元に手をやると、女はプッ笑った。
「わたしたちもハナのパチェは初めてだけどさ、みんな大人ぶって驚いたりしないように振舞っているのよね。あんたみたいに、あけすけに驚いているのを見ると、安心する」
これは褒められているのか、けなされているのか。いや、けなされているんだろうな。
そう思いながらも、ターシャは最後までパチェを食べた。
この村の人がどうであろうと、ターシャは気にならなかった。美味しかったから、驚いた。それだけだ。
「予想もしない味で美味しかったから、驚いたの。自然なことだと思うけど」
ターシャがそう答えると、女は大きな目をより大きくして、カラカラと笑った。
「そうね。違いないわ」
それから初めて食べるのを止めて、ターシャの方に向き直った。
「わたしは虹。あんたは?」
陽の所にいることは知っていても、名前は知らなかったらしい。
「杏……よ」
最近、この村の名前もうまく発音できるようになってきた。自分に付けられた「杏」、そして「陽」「蘭」はほぼ完ぺきに発音できる。
ただ公国では「コウ」と発音する名前は、針村では微妙に違う発音で、多く存在する。
ターシャは口の中で「虹、虹」と何度か呟いて練習した。
虹はパチェを一通り食べると、水をくいっと飲み、ターシャの方に顔を近づけてきた。
「ねぇ、杏。あんた薬師になるつもりなの?」
その声音が媚びるように聞こえたので、ターシャは思わず虹の顔を見た。
虹は真剣なようで、上目遣いでターシャの顔を見ている。虹がどういうつもりで訊いてきたのか分からなくて、ターシャは曖昧に首を横に振った。
「ううん。そういうつもりはないの」
「じゃあ、どうして陽の家にいるの?陽のことが好きなの?」
「まさか。ちがうわ」
ターシャは驚いて、強い口調で否定してしまった。
村の人たちはそんな風に思っていたのだろうか。水場で睦みあっていた陽と萌の姿を思い出して、ターシャは冗談じゃないと思った。
「ちょっと事情があって、居させてもらっているだけ。もうすぐ出て行くつもりだし」
虹はターシャのことにはあまり興味がないらしく、「あら、そうなの」と言っただけだった。その割に満足そうだ。
ターシャは「あ」と思いついて、その思い付きをそのまま声に出していた。
「もしかして、虹は陽が好きなの?」
しかし、虹は首を横に振った。
「ううん。そういうわけじゃないけど、気になってね」
じゃあ、なんだと言うのだ。
ターシャの言いたいことが顔を見ただけで分かったのか、虹は「ふふっ」と含み笑いをした。
「わたし薬師になりたいのよね」
唐突な話題にターシャは「へぇ」と曖昧に相槌を打った。針森の村では、生業は親から子に伝えられると聞いた。
「だから、なんとか陽とつながれないかと思って」
「つながる」とはどういう意味かターシャが考えているうちに、虹は腹が満たされたらしく、その場に寝転がってしまった。
「それにしても馬鹿げているわね。女にならないと、大人扱いしてもらえないなんて」
心底うんざりしたような口調に、ターシャは驚いた。針森の人間でもそんな風に考える人がいるのか。
「じゃあ、虹も今日は…その…契らないの?」
恐る恐るターシャが訊ねると、虹は「ふんっ」と鼻を鳴らした。
「そんなわけないじゃない。まだ大人になっていないのかなんて、見下されると思ったら、たまらないわ」
「でも、じゃあ、こんなところでわたしと二人でいていいの?」
他のテーブルでは男女が楽しそうに談笑しながら、パチェを食べている。その後いい雰囲気になったところで、そういう運びになっていくのだろう。
「ああ、わたしはもう予約している男がいるからね」
虹はそう言ってから、今初めて気が付いたように目を丸くした。
「て、あんた。あんたもしかして、契るつもりはないのかい」
虹の剣幕に押されながら、ターシャは「うん」と頷いた。
「べつに契らなくてもいいって、蘭と陽が言っていたし。楽しいお祭りだから、見に行くだけでも行って来たらって」
「そりゃ、まぁ、そうだけど」
答えながら、虹は何か考えているようだった。
「でも、杏。その気がないのなら、もう帰った方がいい」
ターシャは包みかけたパチェを片手に、「え?」と眉を顰めた。
「もうすぐ香が焚かれるわ。そうしたら、皆昂ってくる」




