Ⅰ 幻の村 ー18
ターシャは十歳の時から婚約者がいる。それも親同士が決めたものではなく、ターシャ自ら望んでその男を婚約者にと請うた。
十歳の公女ターシャが婚約者に望んだのは、十二歳年上の貴族、ユースティス・サボンであった。
そしてユースティスの父親がラウル・サボンである。この親子はとても仲が悪かった。父親のラウルは野心家で俗物であるのに対し、息子は公明正大で清廉な人物だった。
ターシャがユースティスと婚約を望んだのは、ユースティスという青年が切れ者だが真面目過ぎるところに興味を抱いたからだが、公国内の権力抗争に野心を燃やすラウル陣営から、優秀なユースティスをこちら側に引き入れたかったということもある。
逆にラウルは、大公家とつながりができると、躊躇することなくその婚約に賛同した。結婚適齢期である二十二歳の自分の息子が、十歳の少女と婚約するという不自然さなど、全く意に介さなかった。
幸いなことに、ターシャとユースティスの関係は、良好なものだった。ユースティスが興味深い人物であるという、ターシャの見立ては間違っていなかったし、ユースティスはユースティスで、歳に似合わないターシャの機知を、素直な驚きと共に愛しんでくれた。
もちろん、十歳と二十二歳では恋愛感情が湧かない方が健全であり、二人ともそういったことでは真っ当であったので、そのまま同志から親友へ、そして家族愛に近いものに発展していった。
二人が婚約してほどなく、ユースティスは大公の側近として、アランの実務の補佐を担うようになった。これはユースティスが娘ターシャの婚約者だからではない。彼女が見出した男を、大公が信頼したからだ。ユースティスにはそれだけの能力があった。彼が父の信頼を得ることは、ターシャの狙い通りであった。
この国を愛し、何より国の為を優先するユースティスは、きっと父の良い片腕になってくれるだろう。
ガザ王国へ出立するアランの傍らに、ユースティスの姿はなかった。軍に近い家門の出にもかかわらず、ユースティスは武芸に秀でてはいなかった。それより執務能力に優れていた彼は、大公により文官として専従することを認められていた。
ユースティスは、公国での留守番役を任されていた。
そのユースティスの姿がない。
その事実はいろいろな可能性を示している。
ハヌス側に襲われた可能性。
そして、その反対に……
働かせようとした頭を押さえて、ターシャはうつむいた。
だけどその前に…わたしは……
ふわりとターシャの頭を、蘭が抱きしめた。
蘭の心臓の音を聞きながら、ターシャはじっとしていた。
「大丈夫よ」
蘭が囁く。その言葉を信じたくなる。
「彼はきっと無事よ」
「きっと」蘭もユースティスの無事を、確認したわけではないのだ。
なんの変哲もない、安易な慰め。だけど、その言葉に縋りたくなる。
無事でいて欲しい。
祈るようなその言葉を、ターシャは口に出せなかった。
ただ蘭の腕の中でじっとしていた。
お願い、無事でいて。




