Ⅰ 幻の村 ー11
「君が最近、陽のところに来たっていう人?」
自分に目を向けられて、ターシャはベトベトになった手を広げたまま、慌てて立ち上がった。
「はい!ア、杏と申します」
癖で膝を折って挨拶しそうになって、慌てて頭を下げてお辞儀をする。
ターシャの勢いに、洋の方が驚いたようだった。
ハハハと笑って、「元気だねぇ」と評している。ターシャは助けを求めようと陽をチラリと見たが、陽は腹を押さえて笑っていた。
「大変でしょう。こんな偏屈者と一緒にいたら」
洋は濡れた布をターシャに渡しながら、そう言った。
ターシャは一瞬何かと思ったが、脂で汚れた手を拭くために渡してくれたのだと気が付いて、ありがたく受け取り、指を拭った。
それにしても自分の親ほど年上の人から、偏屈呼ばわりとは、やはり陽は変わり者なのだ。
陽は「ひどいなぁ」と言いながらも、笑っている。どうやらその自覚はあるらしい。
「あら、陽じゃない。珍しいわね」
今、まかない所に入ってきたばかりの女性が、陽に気が付いて声をかけてきた。
陽と一緒にターシャが振り返ると、陽と同年代の女性が目を丸くして、ターシャを見た。
「しかも、知らない女の子連れてる」
思ったことをすぐに口に出してしまうたちなのか、ターシャを目にした途端、驚いた顔でそう言った。
「やあ、萌、久しぶり」
陽は親し気に彼女に応じた。
当たり前のことだが、陽が蘭や信以外の人間と普通にしゃべるのを目の当たりにして、ターシャは少しだけドキンとした。
萌と呼ばれた女性は小柄で目が大きく、クルリと大きく巻いた髪が耳の下で揺れていた。
陽には陽の生活がある。ターシャとの関りが全てなわけではない。
「杏だよ。針森で遭難していたところを、たまたま俺が見つけたんだ」
確かにそのままの事実を陽が口にしたので、ターシャは驚いた。なんとなく、自分のことは秘密だと思っていたのだ。「杏」と名乗ろうと言い出したのだから、尚更だ。
「そうなんだ。大変だったね」
だが、萌はそう労わっただけだった。
すぐに洋と同じように、陽の「変人ぶり」を暴露し、杏に気を付けるように念を押すと、薬師として弟子入りするのか、真剣な顔で訊いてきた。
表情がクルクル変わる人だ。自分も喜怒哀楽が激しいと言われるが、この人はもっとだろう。
そう思いながら、若干ターシャが気圧されていると、萌は「あ!」と何かを思いついて、飛び跳ねた。
「杏ちゃん、歳いくつ?」
「十六です」
ターシャが答えると、萌は急に慌てだした。
「十六?もうすぐ、はなまつりじゃん!どうするの?」
「はい?」
ターシャが聞き返すのに一歩遅れて、陽の「あー」という声が聞こえた。陽を見ると、口を開けて天を仰いている。
「そうか、杏、十六だったか」
そう言えば、年齢をはっきり伝えてはいなかった。そもそも訊かれなければ、わざわざこちらからは言わないだろう。
ところが萌は心から呆れたように、「あんたねぇ」と陽を詰っていた。
「年頃の子を預かっているのに、それはちょっとないんじゃない?」
それからターシャの方に向き直ると、顔を近づけてきて、真剣にこう尋ねてきた。
「杏ちゃん、もう大人になってる?」




