Ⅵ 断罪 ー7
今頃父はどうしているだろうか。
息子が館にいないことを、もう知っているだろうか。
小心者の父は、息子がやらかしたことの意味が分からず、怒りのまま息子を見つけ出すよう、執事や使用人に当たり散らしているか、事の重大さに気が付き、自分は知らぬふりを決め込んでいるか、どちらかだろう。
ここにたどり着くまでに、追跡の噂も聞かなかったということは、後者の方かもしれない。
ここまでくれば、どちらでもいい。
父は典型的な允当主そのものだった。四大氏族の長であるという自尊心と、四大氏族最弱の氏族であるという劣等感を、分かりやすく体現していた。
自尊心と劣等感を慰めるために、自分の息子ですら、自分の従属物としてしか見ていなかった。
後継者がいないわけにはいかないから、妻に男子を産ませたが、党首の座が脅かされることを恐れ、息子を疎み、無能扱いし続けた。
幼いころは、自分の出来が本当に悪いのだと思っていたが、大人になれば、いい加減気が付く。
出来が悪いのは、自分ではなく、党首である父だった。
「神の薬」があると思われる薬室は、驚くほど無防備だった。
この村に薬師がいないのは調査済みだが、それにしても、だれもいないこんな岩屋の、簾一つで仕切られた部屋で、きれいに並べられた薬草や薬を見るのは、子どものおままごとに入り込んだような、不思議な気持ちになった。
翠も薬を扱う允家の者だ。多少の知識はある。
「神の薬」が新カエルムのことなのか、それとは違う麻薬なのかは分からないが、材料と調薬したものが見つかれば、予想はつく。
辺境の変わった村とはいえ、薬棚に並ぶ薬草のほとんどは、翠も見知ったものだった。
自分が仕組んだ新カエルムの流布は、おおむね予想通りだった。王女たちにはああ言ったが、公国のドムの町よりは被害が小さくなることは予想していた。そのことに安堵し、実行した自分の欺瞞と醜悪さに、反吐が出そうだと思っていた。
だが、そこに別の麻薬が入ると、話が変わってくる。自分の予想を超え、もしかすると国が壊滅するかもしれない。
「神の薬」を狙うほかの勢力は、目的が違うだろう。利潤を生む麻薬を、他に奪われるわけにはいかないと、この村に向かっている。
「神の薬」の情報がどこまで信用できるのか分からないが、その存在が本当であれば、そういった連中に奪われるわけにはいかなかった。
一見しただけでは分からない。何か書付でもあればと、身をかがめたとき、背中に声がかけられた。
「神の薬なんてものは、ないのよ」
女の落ち着いた声。気配など感じなかった。
動揺が現れないようにゆっくり立ち上がると、声のした方に体ごと振り返った。
薬室の戸口に体をもたれさせ、女が一人腕組をして、こちらを見ていた。
豊かな黒髪の美しい女。歳は若くないが、老いは感じられない。
「話題の神の薬を探しに来たんでしょう?悪いけど、そんなものはないわ。今まで来た人たちにも、言ったけど」
女の側には誰の影も見当たらなかった。彼女一人で、侵入者である翠を恐れる様子はない。
「あなたは?」
翠が尋ねると、女は鼻を鳴らした。
「泥棒のあなたに名乗るわけがないでしょう」
それはそうだ。
翠はぐっと拳を握りしめた。
先に手札を見せたくはない。
だが、
「わたしはガザ帝国の允翠と申します」
女の翠を見るまなざしは変わらなかった。
氏姓が付く意味がもしかしたら分からないのかと思い、言葉を重ねようとして、女の声に遮られた。
「それで?允のご子息自ら、泥棒をしに来たの?」
翠は驚いて、瞬きする。
「あなたは…」
「先に人を遣ったでしょう。悪いけど、連れて帰ってくれる?邪魔になって仕方ないわ」
確かに翠が自ら動く前に、練が探っていたはずだった。しかし待っても音沙汰がないので、翠が自ら動いたのだ。
「……たどり着いてはいたんですね」
もしかしたら、他の氏族に消されたのではと危惧していた。
ほっとしたのが顔に出たのか、女が少し笑った。
「生きているとは言ってないわよ」
女の口調は意地悪だが、残酷な響きは感じられなかった。
この女の正体も分からないのに、翠は逃してはならないと焦った。
「新カエルムを広げたのは、わたしです」
「そう」
予想に反して、女は頷いただけだった。
冷汗が脇を伝わる。
この女の口から、どうにかして真実を引き出さないと。
それまで殺すわけにもいかない。
「あら、殺気」
女が呟いた。呟いただけだが、翠の耳には届いていた。
思わず身構える。
思考を読まれたのでなければ、この女はわずかな殺気でも感じ取れるほど、実力があるということだ。
「違う麻薬も広がれば、あなたの国も公国もボロボロになってしまうわね」
女は翠の態度など気にしないという風に、話を続けた。
「どちらにしても、わたしたちの村には関係ないわ」
「なんてことを…」
表情一つ変えずそう言い切る女に、翠は激しい怒りを感じた。ドムの悲劇を知らないのか。生者か死者か分からない中毒者の群れが見せる悪夢を。
「あなたがそれを言うの?」
震える翠を冷たい目で見て、女は笑った。
それからくるりと翠に背を向けた。
「とにかくここに、『神の薬』などないわ。この森の奥にいるお友達を連れて、飼い主のところに戻りなさい」




