8 幽霊城の貴婦人
足場の悪い坂道を登り、墓地も教会も越えた先、霧深い森が見えてくる。
森の奥、冷たく湿っぽい霧につつまれたその古城は私たちを待っていた。
あれこそが、幽霊城だ。
「さぁ参りましょう、ヒルダ。」
カメリアは躊躇うことなく城の玄関へと足を進め、扉に付けられた金属のドアノックを叩いた。
「突然の訪問、申し訳ございません。
私はシュテルンベルク公爵令嬢、カメリアにございます。」
カメリアはよく通る声で古城の住人に語りかけた。
驚いた私に彼女は振り返って、「名乗りもせずにお邪魔しては無礼ですから。」と微笑んだ。
城の中は、冷たく水分を含んだ重たい空気に満たされていた。
石造りの高い天井に下げられたシャンデリアは埃をかぶっているが、蜘蛛の巣は張っていない。
時が止まった古城の中で、命あるものは私とカメリアだけなのではないかとすら感じた。
広間の南側は背の高い窓ガラスが嵌められているのに、木々と霧に光が遮られていて薄暗い。
北側には螺旋階段であがれる吹き抜けの通路があり、その先に北に向かって部屋が3つ造られている。
「コンラート氏の使用人の話では、遺体があったのは2階の1番奥の部屋でしたね。」
「ええ、行ってみましょう。」
私たちは左側の螺旋階段を登り、3つ目の扉を開けた。
一瞬、美しい女性がベッドで眠っているように見えた。
その豊かな巻き毛と華やかなドレス、滑らかな肌が、彼女を美しくみせている。
けれども、生きていない。
これは死体だ。
ぴくりとも動かない身体は息をしていないことが明らかだ。
だが、この遺体は亡くなってから5年も経っているのだろうか。
腐敗しておらず、白骨化していない。
ミイラのように乾いているでもない。
肌は瑞々しく、それでいて生きている人の肌とは明らかに違っている。
「この遺体は、屍蝋化したのですわ。」
隣に立つカメリアはそう言った。
「それはどういうことですか、カメリア様。」
「一定の条件が揃うと死体が蝋のように変化することがあるそうですわ。
私は医師でも化学者でもないので詳しくはないのですが、低音で多湿であることが必要なのだとか。」
石造りのこの古城は外気を通しづらく、さらにこの部屋は北側で日が指さない。
天井の石の僅かな隙間から、霧が雫となって滴り落ちている。
低音多湿の条件が揃っているのだ。
「この城は高地に建てられていますから、酸素が比較的少ないのも影響しているかもしれませんわ。
窓枠には埃が溜まっていますから、長い間閉め切っていて密閉されていたのでしょう。
それで遺体は眠っているように見える状態に保たれていましたの。」
眠るように美しい死体は、怪異ではなく、環境が生み出したものだった。
「ミヒャエル神父が、遺体はクラウゼ伯爵令嬢クリスティーネだと判断したのはこの指輪のためでしたのね。」
カメリアは遺体の手を見て言った。
細い指にはクラウゼ伯爵家の紋章指輪が嵌められていた。
その時、背後で物音がした。
私は咄嗟にカメリアを庇い、後ろを振り返った。
そこには。
赤黒く溶け出したような顔の女がいた。




