表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/9

9 冥府の門

振り返れば、恐ろしい顔の女がこちらを見ていた。


やわい皮膚のうえに、血と混ざって赤黒く変色した蝋が張り付いていて、ひどく痛々しい。


「これがクラウゼ伯爵令嬢クリスティーネの亡霊…。」


「ヒルダ、それは違いますわ。」


背に隠したカメリアが言った。


「彼女は確かにクリスティーネ様ですが、亡霊ではありませんわ。

クリスティーネ様は生きています。」


「生きている?」


私はカメリアの言葉が信じられず、がばりと彼女に顔を向けた。


「ラルフさんの話を思い出してくださいまし。

ラルフさんが怖がるのは、生きた女性だけですわ。」


ラルフは、亡霊を見たとは言っていないのだ。


「でも、そこに遺体があるじゃありませんか!」


ベッドの上には、屍蝋化した伯爵令嬢の遺体があるのだ。

しかしカメリアは「いいえ、あれはクリスティーネ様の遺体ではありませんわ。」と言う。


「あれは、クリスティーネ様のお姉様ですわ。」


クリスティーネの姉は5年前に行方不明になったと、ミヒャエル神父は言っていた。

その行方不明の姉が、この屍蝋の正体だというのか。


「クリスティーネ様、貴方はずっとこの古城でお姉様を守っていた。

違いますか。」


カメリアに問われ、女はざらりとした声で答える。


「おっしゃる通りです。

そこに寝ているのは、わたくしの姉エリザにございます。」


眠っているような美しい遺体と崩れた顔の亡霊は、別人だったのだ。

   

火傷を負わせた蝋が皮膚の上で固まり、顔が崩れたように見えているのだ。

私は生きた女性を亡霊と誤解した自分を恥じた。


同時に、べつの恐怖を感じていた。

この女性は、5年ものあいだ屍蝋化した姉とともに暮らしているのだ。


それでも、カメリアは冷静さを崩さぬまま話し始める。


「ミヒャエル神父がこの古城を訪ねたとき、彼はまだ神職について日が浅かったと言っていましたわね。

ですから彼はクラウゼ伯爵家姉妹の顔を知らなかったのでしょう。

ミヒャエル神父は、この遺体をクリスティーネ様だと誤認してしまったのですわ。」


ミヒャエル神父はそもそも病で伏せっているクリスティーネを訪ねてきたのだ。

彼はこの城にはクリスティーネとゲラルトの2人が暮らしていると思っていた。

クラウゼ伯爵家の紋章指輪をした女性をみて、クリスティーネだと誤認してもおかしくはない。


「それならなぜクリスティーネ様はその遺体は自分ではないと言わなかったのですか。

5年もの間、なぜ自分は生きていると名乗り出なかったのです。」


「わたくしが名乗り出るはずがないでしょう!」


クリスティーネが、鬼気迫る声で叫んだ。


「わたくしはあの男を今でも心底恨んでいるのです。

あんな男の妻になるくらいなら、喜んで死人になります。」


崩れた顔の中に浮かぶ瞳は、憎しみの炎を宿してらんらんと燃えていた。


「貴方にその怪我を負わせたのは、ゲラルトですわね。」


クリスティーネは頷く。


「あの男は、お姉様と結婚してクラウゼ伯爵家の家長になるため、両親と義理の兄を手にかけました。

お姉様は、ご自分の命を犠牲にして、あの男の企みを阻止したのです。」


エリザは自ら毒を煽った。

彼女が死んだことで、ゲラルトはエリザと結婚することはできなくなり、彼の企みは阻止されたかに思われた。


しかし、ゲラルトは諦めなかった。

姉のエリザが駄目ならば、妹のクリスティーネと結婚することで伯爵家の財産と地位を奪うことを考えた。

そしてクリスティーネは病のため教会に来られないと偽り、挙式をせずに婚姻を結ぼうとしたのだ。


クリスティーネは、「神父さまはわたくしとお姉様を救ってくださった。」と語る。


「神父様がわたくしを幽霊にしてくださったから、あの男に復讐を果たすことができたのです。」


ゲラルトは死者と婚礼をはかったとして破門され、家からも勘当されたのだ。

地位と財産を求めた男にとってこれ以上にない復讐だ。

 

それから5年、クリスティーネは誰にも気づかれることなく、この古城でひっそりと生きていたのだ。


けれども、まだ謎は残る。


「クリスティーネ様は、どうしてエリザ様の遺体を埋葬せずこの部屋に寝かせたままにしていたのですか。」


私の問いに、クリスティーネは「当然でしょう。」と答える。


「美しいままのお姉様を土に埋めるなんてできません。

お姉様はわたくしが寂しくないように、何年経っても美しいままで、そばにいてくださるのです。」

 

理不尽に家族を奪われたクリスティーネは、姉の死を受れられず、すぐに埋葬することができなかったのかもしれない。

幸か不幸か、エリザの遺体は屍蝋化した。

その奇跡は、クリスティーネの傷ついた心を歪めてしまった。


「貴方はこのまま、幽霊としてこの城にいるおつもりですか。」


カメリアはクリスティーネに問う。


「私は依頼人のコンラート様にすべてをお伝えするつもりです。

この城には正当な持ち主がいる、と。

コンラート様は正直な方ですから、クリスティーネ様に交渉するでしょう。

貴方はこの城を売り渡し、新たな人生を歩むことも選べるのですわ。」


「お気遣いありがとう。

でも、わたくしはこの城を出るつもりはありません。」


黒い蝋と赤い肌の下に微笑みが見えた。


「わたくしはこの城で、お姉様と慎ましく暮らしていますの。

これまでも、これからも、ずっと。」


私は悟った。

彼女は生きながらにして、冥府の門の向こう側へ行ってしまったのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ