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第三話:彼女たちの神殿

雨がまだ降り止まない。シェーラは部屋の出窓に近づき、厚いベルベット生地のカーテンをそっと手の甲で優しく押し上げた。


「ずいぶん長い雨」

そう呟くと、お茶の準備をしていた侍女が、ええ本当に。もう一週間でしょうか、と返す。

シェーラの瞳は雨の中、指南役に稽古をつけてもらう義弟カイルの姿を見つめた。


雨の中、義弟は熱心に剣を振るっていた。その動きからして、もともとある程度は武術を習ったことがあるのだろうとシェーラは察した。確か、彼の母は隣の領地を統べるローゼンタール家の、傍系の血族だ。


汗と雨が混ざり合って、指南役も義弟もひどく濡れそぼっていた。カイルに至っては何度も打ち込みを退けられているため、膝まで泥だらけだ。


シェーラは窓から離れると、席についてティーカップを手に取った。


授業は、今日は魔術学から始まった。

「南部、東部共に獣人の居住地があります。ですが南部では比較的温和な部族が多い中、東部では黒狼族や黄虎族など獰猛な種族が支配圏を拡大しています」

教師からの質問に、澱みなく答える義弟。目の下にクマを作っている姿からは、寝る間を惜しんで勉強していることが偲ばれた。

シェーラ、何か意見はと教師に問われ、少し考えた後、獰猛な種族が支配圏を拡大しているのは、彼らを傭兵として重用している東部の事情があるためだと付け足す。

よく調べています、と教師がシェーラを褒める声に、義弟の唇は悔しそうに引き結ばれた。


授業の合間、談話室で少しの休憩を取ろうと、カイルは豪奢な椅子にどさりと腰をかけた。

キィ、と白く重厚な扉が開いて、姉が入室してくる。少し息を呑んでしまう、なぜか彼女の前では落ち着かない。


シェーラは、義弟の髪を見つめた。ツンツンと、すこし寝癖が残っている。

「ブラシを持ってきて」

侍女にそう言いつけ、黙って彼女が所望した品を持ってくるまで待つ。彼女は義弟に近づいた。

うろんな表情を浮かべる義弟の髪を、ブラシを手にして彼女は梳きはじめた。


「なっ...何をする!!」

ぱっと飛び上がるように立ち上がると、顔を真っ赤にしてカイルが叫んだ。

「髪を整えなさい。寝癖がついているわ」

そう、当たり前のように答えるシェーラに、放っておいてくれと頬を紅潮させてカイルは返した。

「嫌なら、自分で整えなさい。どうせマナーの授業でも習うわ」

そういうと、シェーラは相手にブラシを渡した。まごついて受け取りつつも、カイルはぎっと娘を睨んだ後、不承不承ブラシを持って、談話室の鏡に近づいた。

カイルは髪を整えながら、難しい顔をしている。変な顔をするものだ、親切にされたなら喜べばいいのに、と思ったが、シェーラは義弟から目を離して、談話室の椅子に座ってくつろいだ。


それから何日かたち、すっかり雨も上がった日の夕方。

シェーラは祖父の書斎に呼ばれ、重厚な木製の扉をノックしていた。

「入りなさい」

失礼します、と挨拶しながら、歩を進める。毛足の整った、足音を全て吸収する絨毯。暖炉の中には小さく炎が焚かれていた。


「新しい家族とは馴染んだか」

領主の書斎に相応しい、マホガニー製のどっしりしたデスク越しに祖父がシェーラに微笑みかける。だが、その口調には心配は含まれていなかった。

「はい。お義母様とはあまり話しませんが、弟とはいつも授業で一緒ですから」

そう答えるシェーラは薄く儀礼的に微笑んだままだった。

「彼らは我がヴェルフレア家に相応しいと?」

どこか、悦を含んだ笑みで祖父が言う。この赤龍の血さえ取り込んだ、誇り高い我が家への隠しきれない自負。

シェーラはただ、祖父に向かって微笑みを深くした。


「彼の様子はどうだ。お前と一緒では、やりにくかろう」

そう続け、祖父は苦笑した。シェーラの能力の高さを、一番報告でよく聞くのは祖父なのだろう。

「彼はとても熱心ですよ。雨の中でも、稽古していました。きっと上達しますわ」

シェーラはそう答え、姉としての微笑みを顔に貼り付けた。


そうか、と答えて祖父は書類へ目を落とした。もう帰っていいという合図だと受け取り、シェーラは軽く礼をして扉から姿を消しました。


どこかひんやりした空気の中、廊下を歩くシェーラの瞳は少し、普段と違っていました。瞳が、希望を写しているのです。

もし、彼がもっと成長すれば。優秀だと認められれば。

そうすれば、後継者として認められる。父のあと、彼が領主になる。そして私は...


ぴたりと、彼女の足が止まった。そっと、どこか忘れられたような、古く大きな扉を押し開き、彼女は「その部屋」に入った。


赤龍が住んでいた頃、初めて彼女を迎えるために整えられた部屋。


天蓋のついた、豪奢な、そしてシーツにシワひとつない寝台。

白い大理石で作られた、存在感のある鏡台。シェーラは一度も開けたことは無かったが、引き出しの中には、化粧品がびっしり詰まっていることをなぜか知っていた。

カーテンは厚手の赤いベルベット生地。シェーラの部屋と同じ。

そして、今も活けられている、みずみずしい赤い牡丹の花。

シェーラの形の良い鼻は、わずかに残った香油の匂いを嗅ぎ取る。優しく、どこか誘惑的で、花のような。


シェーラはそれらを無視して、目的のものに近づいた。


壁にかけられた、大きな肖像画。


豊かな赤い髪、紅玉の瞳。肖像画だというのにこの高貴さはなんだろう。


シェーラは決心のもと、母の姿を見つめ続けた。

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