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かすむ記憶と光の少女⑩

「うおっほん!」


 話題が完全に愛奈の英語力へ逸れかけたところで、松丘がわざとらしく咳払いをした。


「朝丘の残念な英語力については、また別の機会に語り合うとして」

「語り合わないでよっ! というか、松丘だって英語はダメダメじゃん!」

「ぐっ……。とにかく! 今は俺の話を聞いてほしい」


 松丘はそう言うと、改めて教室の面々を見回した。


 先ほどまでの笑いが、少しだけ収まる。

 怪物だの、人の消えた街だの、普通なら笑い飛ばされてもおかしくない話だ。だが、松丘の表情は、やはり冗談を言っているものではなかった。


「巨大なヘビの怪物……スネーギーと悲鳴を上げていた女性の間に、俺は割って入った。だが、あのヘビの怪物の正面に立った瞬間の重圧は……凄まじいものであった」


 教室の空気が、わずかに重くなる。松丘はゆっくりと拳を握った。


「金属バットを構えていた。だが、それでどうにかなる相手ではないことくらい、すぐに分かった。身体が動かなかった。声も出なかった。怪物の目が、じっと俺を見ていた……」


 当時の緊張を思い出したかのように、松丘の声が硬くなる。その雰囲気は、周囲にも伝わっていった。


「あのヘビの怪物は、俺など一瞬でどうにでもできただろう。しかし、威嚇するだけで攻撃してこなかった。今にして思えば、何かを待っていたのかもしれん。だが、その時は怪物の重圧でそんなことを考えられる余裕がなかった……」

「それで……どうしたんだよ?」


 周りの男子たちが松丘の言葉に引き込まれ、息を呑んで続きを促す。


「巨大なヘビの怪物に殴りかかろうと、俺が一歩を踏み出しかけた、その時――」


 話がそこで少し止まる。


(も、もしかして……)


 愛奈の肩がピクリと跳ねる。松丘が話している状況は、覚えがある。

 まさしく、自分が見た光景であると。そう思い、愛奈は無意識に背筋を伸ばし、唾を飲んで話の続きを待った。


「夜空から来た流れ星が、俺を救ったのだ」


 松丘は目をつむっていた。まるで、瞼の裏に焼き付いた光景を思い起こすかのように。


「淡い桃色の光だった。暗い街の中で、その光だけがはっきりと輝いていた。深い闇を払うかのごとく、怪物の頭を蹴り飛ばしたのだ……」


 閉じていた瞼を開き、まるで遠い景色を見るように窓の外へ視線を向けた。


「おいおい、星が蹴り飛ばすってどういうことだよ」

「今日の松丘はやけにポエマーだな」

「衝撃体験で頭がおかしくなってしまったか……」

「保健室まで自分で歩けますかー?」

「松丘、まだ夢でも見てんじゃね?」


 男子たちの集中力は長くは続かず、松丘の言葉尻を捉えて茶化し始めた。


「ええい! 頭は正常だ! 目の前でとてつもない速さで飛び蹴りが炸裂したのだ!」


 松丘は声を荒げ、周りの茶化しをいったん黙らせた。

 そして、一息ついてから話を再開し――


「そう、あれはまさに――」

「〝流星キック〟だね!」


 愛奈のドヤ顔によって、見事に妨害された。


(ふっふ~ん! 我ながらナイスなタイミングだったね! 松丘からも流れ星に見えたのか~。わたしの〝流星キック〟、技名すらも完璧だね!)


 一人、悦に浸る愛奈。

 しかし、話し始めようとしてまたしても止められた松丘。口の端をピクピクと動かしたが、相手にしないことにした。


「……まぁいい。流れ星の正体は女性であった。だが、もちろんただの女性ではない。浮世離れした格好と圧倒的な存在感……そして、なにより光り輝いていた」

「おいおい、なんだよそれ……」

「戦乙女的な感じか? ゲームかアニメだな」

「まぁ、ヘビの怪物が出てきたんだから今更か」

「人知れず悪と戦うスーパーヒーローってか!」

「女性ってことだから変身ヒロインという線もあるな」


 松丘の言葉を受けて周りの男子がざわめき出した。それらの言葉を聞きつつも、松丘は話を続けた。


「戦乙女、スーパーヒーロー、変身ヒロイン……いずれかは分からん。だが、そう呼んでも差し支えないほど、その女性の戦いはすさまじかった。鮮烈で、華麗で、そして燦然としていた」

「そんなに、すごかったのかよ……」


 松丘の熱のこもった言葉に、周囲の男子だけではなく、クラス中が話に集中する。


「彼女の振るう剣は速すぎて、目で捉えることはできなかった。軌跡に残る桜色の光が、その剣の軌道を俺に教えてくれた。彼女の動きは速すぎて、目で追うことはできなかった。軌跡に残る紅色の残光が、彼女の足跡を俺に教えてくれた。彼女は文字通り、光をまとい、光と見まがうほどの速さで戦っていたのだ……」


 ゴクリ、と誰かが固唾を呑む音が伝わる。もはやクラス中が松丘の言葉に引き込まれていた。


(なっ、なにそれーっ! わたし……かっこよくない!? いや、絶対に……超カッコイイ!)


 ――ただ一人、愛奈を除いて。





(いや~、惚れ惚れしちゃうなぁ。意外と話すのが上手いなぁ、松丘。そこだけは見直しちゃった。さぁ、もっと語るのだ! わたしの華麗なる……大活躍を!)


 クラス中が引き込まれている話題の中心に、自分がいる。もちろん、誰もそのことには気づいていない。だが、それでも愛奈の気分はぐんぐん上向いていた。

 つい先ほどまで正体バレに怯えていたことなど、もう綺麗さっぱり頭から抜け落ちている。

 そんな愛奈の浮かれきった内心など知る由もなく、松丘の口からは、助けてくれた女性の活躍がなおも語られていく。


「そう、彼女は剣を持っていた。だが、ただの剣ではなかった。刀身は桜色に輝き、その剣を振るうたびに闇が裂けた。怪物の放つ威圧感すら、その輝きの前では意味をなさなかった。彼女が一歩踏み込むだけで空気が変わり、ひとたび剣を振れば、夜そのものが切り払われるようだった」

「桜色に輝く剣……綺麗そう」

「光をまとう女性か~。どんな人なんだろうね」

「ちょっと見てみたいかもー」

「なんか今日の松丘、語りが妙に上手くない?」

「命の危機って、語彙力まで上げるのね……」


 それまで遠巻きに聞き耳を立てていただけだった女子たちも、松丘の話に反応し始める。

 からかうような声も混じっていたが、それでも教室の関心は、確かに松丘の語る〝光の女性〟へと向かっていた。


「そして、彼女は一人ではなかった。彼女の傍らには、黒猫のぬいぐるみがいたのだ。当然、ただのぬいぐるみではない。明確に自我を持っていた。闇の中に紛れ、闇の中から矢を放ち、主である彼女を的確に援護していた」

「黒猫のお供……いいなぁ」

「私も猫ちゃんギューってしたい~」

「光る女性と黒猫のペアかぁ……」

「それって、魔法少女みたいね。ちょっと、良いかも……」


 女子たちの会話も少しずつ盛り上がり、その言葉はしっかりと愛奈の耳にも届いていた。


(ふっふっふ~! その〝魔法少女〟がここにいるんだなぁ! でも、みんなには……ヒミツだねっ!)


 クラス中の熱を感じ取ったのか、松丘の語りにもさらに力がこもっていく。

 いよいよ、話はクライマックスへ向かおうとしていた。


「ヘビの怪物は硬い鱗に覆われていて、普通に剣を振るうだけでは攻撃が通らなかった。だが、彼女たちの戦いは繊細で――かつ大胆であった。お供の黒猫が矢をもってヘビの怪物を牽制し、その瞬間に生まれたわずかな隙を、彼女は決して見逃さなかった」


 松丘はそこで一度、言葉を切る。

 教室中の視線が、彼の口元へ集まった。


「そう、彼女は剣で斬り込むのではなく、伏せた怪物の下顎を足で捉えた。そして、天へと打ち上げるように、豪快に蹴り上げ――!」

「〝昇天キック〟が炸裂っ!」


 盛り上がりが最高潮に達しかけたところで、横やりが入った。

 松丘のこめかみが、ぴくりと動いた。


「……そして、ヘビの怪物はひっくり返った。硬い鱗は地面を向き、柔らかい腹を無防備にさらすことになった。その好機を、彼女が逃すはずもない。彼女は高く飛び上がり、空中で身体を捻り、回転しながら、幾重にも怪物の腹を切り裂いた!」


 松丘は、最後まで言い切るつもりだった。今度こそ。

 目を閉じ、腕を組み、胸を張った。


「その剣の軌跡は、闇夜に咲く桜の螺旋。まさに――!」

「そう! 〝ぐるぐるカッター〟が決まったね!」


 松丘の頬が、ぴくり、ぴくりと引きつった。


 最後の最後。一番いいところを、またしても見事に潰された。

 そしてついに、松丘の我慢は限界に達した。


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