かすむ記憶と光の少女⑥
『ニャハハッ! おいらを呼び出すたぁ分かってるじゃニャーか!』
淡い桃色の光の中、甲高い声が響き渡る。
『だが、ここからじゃあちいとばかし遠いニャ! あらよっと!』
「ふにゅあっ!?」
光の中から飛び出した小さな影は、いきなりピュリステラ・ハーティアの頭の上へ飛び乗った。
『とっとと走って近づくニャ!』
艶やかな毛並み。丸みを帯びたぽっちゃりフォルム。ぴんと立った三角の耳――。
「分かったっ! 行くよ――〝オカフグ〟!」
『あいよ! 任せニャ! 我が主!』
【愛包の騎士】で呼び出したのは、黒猫のぬいぐるみ――〝オカフグ〟。
高速で駆けだしたピュリステラ・ハーティアの頭の上でふてぶてしく、しかしブレることなく鎮座する。まるでそこが当然の定位置であるかのように。
『さぁさぁ! おいらの超絶技巧をとくと見ニャ!』
オカフグが小さな前足を掲げる。すると、桃色の光粒が空中に集まり始めた。
光はすばやく形を成し、一振りの美しい和弓へと変わる。ぬいぐるみの身体には到底不釣り合いな大きさ。だが、その姿に違和感はない。
和弓は宙に浮かび、オカフグの傍らへ寄り添うように静止した。
『ニャニャニャ……』
オカフグの手には弓も矢も何もない。
それでも、前足をゆっくりと引けば見えない糸に導かれるように、和弓の弦が静かに張られていく。
きりきりと空気が張り詰めていく。弓の真ん中に桃色の光が収束して矢が添えられた。
『――ニャ!』
一閃、放たれた矢が鋭い風切り音を残しながら夜空を駆け抜け、一直線にスネーギーへ向かう。
「行けーっ!」
ピュリステラ・ハーティアが思わず声を上げる。
だが――
『シュー……?』
矢はスネーギーの鼻先をかすめ、そのまま虚空へ消えた。
「ちょ、ちょっと! 外れたじゃない!?」
「――っ!」
リーフィラが困惑と驚きで声を荒げる。ピュリステラ・ハーティアはスネーギーをにらみながら走り続ける。
『シャー!』
矢が飛んできた方向に向けてスネーギーはわずかに鎌首を引いた。
――その瞬間、桃色の軌跡が夜空を裂いて怪物の喉元に深々と突き刺さった。
『ギシャアアッ!』
怪物の苦悶の叫びが夜空に響く。
喉元を射抜かれたスネーギーは鎌首を激しく振り回し、周囲のアスファルトを叩き割りながら暴れまわった。
「ぬあ~っ! なんじゃこりゃ~!」
「いやぁぁっ! ムリムリムリ~っ!」
中年の男性と若い女性の二人は息を切らし、もつれるように足を動かす。
「速く走れーっ!」
その二人の背中を押しながら松丘が叫ぶ。集団の最後尾にいた三人は、暴れまわるスネーギーから紙一重の距離で走り続ける。
「あの人たちを巻き込まないため、一射目はわざと……まさか最初からそこまで計算していたの?」
「さすがオカフグ! わたしは信じてたもんねっ!」
『ニャハハッ! この距離であんなデカい的、外す方が無理ってもんだニャ!』
逃げ切った三人の様子を見たリーフィラが思わずつぶやき、ピュリステラ・ハーティアはしたり顔でうなずく。オカフグは得意げに尻尾をゆらゆらと振り、ひげをぴくぴくと揺らした。
『後は任せたニャ!』
「うん! ありがとっ、オカフグ!」
オカフグがピュリステラ・ハーティアの頭の上からひらりと飛び降りる。十分に時間は稼いだ。距離はもう、駆け抜けるだけで届く。
ピュリステラ・ハーティアは深く沈み込み、地面を強く蹴って鋭い角度で飛び出した。
「てやああぁぁっ――たぁ!」
『ギシュオオーッ!』
桃色の閃光が走る。
矢のように飛び込んだ勢いのままに、暴れまわるスネーギーの喉元を鮮やかに切り裂いた。
「もう一匹っ!」
『シュォー……?』
相方がやられたにも関わらず、残されたもう一匹のスネーギーは具体的な行動に移せていなかった。
つい先ほどまで、自分たちは獲物をいたぶるように追い詰めていたはずだった。なのにいきなり相方がやられていた。その目まぐるしく変わる状況に思考が追いついていない、それが致命的な隙となった。
「お腹は見えてない……けどっ!」
もう一匹のスネーギーは身を伏せたまま腹部を隠している。だが、ピュリステラ・ハーティアは構わない。
強く踏み込み、その硬い鱗へ向かって〝星光の剣〟を突き立てた。
「ふぬぬぬぬぅぅっ……!」
剣先が鱗を削り、バリバリと鱗が強引にはがされる音が響く。
力を込めるためにその場に留まる必要があるが、残りの一体なら問題ない。
「どりゃああぁっ!」
気合とともに力を込める。
桜色の刃が鱗を強引に切り裂き、そのまま横薙ぎに振り抜かれた。
『シャー……』『フシー……』
「ふうっ、これでよしっ!」
二匹のスネーギーが黒い染みのようなものを吹き出しながら消えていった。その様子を見てピュリステラ・ハーティアは一息ついた。
「ぜはーっ、ぜはーっ、なんなんじゃ、ここは……」
「もー……走るのムリーっ! お腹……いたいーっ!」
中年の男性と若い女性の二人は荒い息のまま地面にへたり込んだままだった。
「大丈夫ですかっ!? ごめんなさい、新手がいたことに気が付かなくて……!」
追われていた人たちの元へピュリステラ・ハーティアは慌てて駆け寄る。
「いえ……俺たちは、大丈夫……です。また、助けていただき、感謝しますっ」
松丘は膝に手を当ててうつむいているが、へたり込むようなことはせずに立ったまま息を整えていた。
「良かった~っ、あの二人がぎりぎり逃げられたのも松丘のお陰だね。ありがとっ!」
「はい……ありがとうございま――」
顔を上げた松丘が、不意に言葉を失った。
「……っ」
そのまま硬直する。
「どうしたの? 松丘?」
「あ、その……名前っ……というか近っ……いや、その……胸大きっ……ではなくてっ!」
しどろもどろになりながら慌てて首を振る。
顔は真っ赤だった。
「ん~っ?」
ピュリステラ・ハーティアは意味が分からず、小首を傾げる。
そして心配そうに、さらに顔を近づけた。
「もしかして、どこかケガしてる……?」
「お、おおぅ……」
松丘は思わず半歩後ずさった。
『主よぉ、そんなところでラブコメしてニャいで、まだ侵魔は残っているニャ……』
「ラブコメってなにっ!?」
追いついたオカフグが、ため息まじりにぼそりとツッコミを入れる。ピュリステラ・ハーティアはショックを受けながら強い勢いで振り返った。
「幻影でまいた二匹がこっちに来てるわよ」
「ああっ! そっか! 忘れてたっ!」
「忘れてたって……あなたねぇ」
続いてリーフィラが冷静に状況を告げる。
その言葉で、ピュリステラ・ハーティアはようやく残りのスネーギーたちの存在を思い出した。
「だ、だってー……はっ!」
いつもの調子で言い返そうとした瞬間、ピュリステラ・ハーティアの肩がびくりと跳ねる。
「どっ、どうかされましたかっ……!?」
「……」
松丘と目が合ってしまった。
(ああっ~! きまずいよぉ! せっかくカッコ良く決まってたのに! 侵魔の存在を忘れたおマヌケさんって、松丘にまでバカにされちゃうーっ!)
さっきまで自分は、颯爽と人々を助ける輝かしいヒロイン――だったはずだ。
なのに今は、侵魔の存在をすっかり忘れていたところをクラスメイトに見られている。
そう思った途端、ピュリステラ・ハーティアの頬が一気に赤くなった。
『どうしたのニャ、主?』
「大丈夫よ、オカフグ。どうせ、ろくでもないことを考えているだけよ」
オカフグは不思議そうに身体を揺らしていたが、リーフィラはすでに察しているのか、呆れた様子で首を振るだけだった。
「う、うるさいなぁ! 二人とも、早く行くよっ!」
『ぶニャ』
恥ずかしさを誤魔化すためか、ちょっと乱暴にオカフグを掴んだピュリステラ・ハーティア。そのまま胸元に抱えるようにして、遠目に見える残り二匹のスネーギーへ向かって駆け出した。
「はいはい」
その後を追うようにリーフィラが飛んでいった。
「ぁ……」
松丘は何か言いたげに口を開きかけた。だが、結局何も言えないまま、彼女たちの背中を見送ることしかできなかった。
闇の中へ伸びていく、薄紅の光。その鮮やかな残光だけが、松丘の目に強く焼きついていた。




