第4章:黄褐色の妖婦
『野辺でひとりの貴婦人に出会った。
妖精の血を引く、まことに美しい人だった。
長い髪に、軽やかな足取り。
その瞳は、野性的な輝きを宿していた』
ージョン・キーツー
そんな憂鬱な考えに沈んでいたとき、ふと、一人の女性の顔が脳裏に浮かんだ。
美しくも、薄幸の運命を背負った女性。
レベッカ。
ユダヤ人が差別と憎悪にさらされていた王国に生まれた、ユダヤ人の美女。
彼女は優れた医術の腕を持ち、危険や世間の偏見をものともせず、物語の始まりから終わりまで、献身的にアイヴァンホーの看病を続けた。
貧しい人々を救うためなら、自分の財産を惜しみなく差し出すこともできた。相手がどの宗教を信じていようと、彼女にとっては関係なかったのだ。
美貌も、知性も、優しさも兼ね備えた女性。
自分を貴族だと誇る人々の中にさえ、彼女ほどの人格者が何人いるだろうか。
才能も、品格も、そして心の美しさも含めて考えるなら、レベッカこそイングランド王国で最も美しい女性と呼ばれるにふさわしい。
僕は本気でそう思っていた。
それなのに、彼女はユダヤ人であるという理由だけで、本来ふさわしいはずの地位を得ることができなかった。
彼女は騎士アイヴァンホーに心からの愛情を捧げた。
だが、その愛が彼女に幸せな結末をもたらすことはなかった。
……どうしてですか、スコット卿?
どうして、あんなにも素晴らしい女性が、あれほど多くの不幸を背負わなければならなかったのですか?
そして、どうして彼女と同じように必死に生きている僕もまた、自分の人生に喜びを見つけられずにいるのでしょうか?
……分からない。
そもそも、僕なんかが小説の登場人物と自分を比べる資格などないのかもしれない。
何しろ、僕が直面している苦労など、レベッカが経験してきた危険や苦難に比べれば、取るに足らないものなのだから。
それでも、僕は彼女に共感せずにはいられなかった。
いつだって精いっぱい生きようとしているのに、世界はどういうわけか、自分に優しくしてくれない。
……なんて不公平な世界なのだろう。
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(〜〜睨んだりしないから、黄褐色。睨んだりしないから、黄褐色 〜〜)
『黄褐色』のメロディが、再び耳元で響いた。
僕はハンドルを握る手に力を込め、目の前の坂道を上るために、さらにペダルを強く踏み込んだ。
「……いや! 待てよ。僕には、まだあの人がいるじゃないか!」
そうだ!
僕には、まだ一人だけ、心の支えになってくれる人がいる。
大学の特別資料保管庫で働くたびに、僕に喜びを与えてくれる人。
彼女の笑顔を思い浮かべるだけで、気分がずっと明るくなる。
「絶対に間に合わせないと!」
僕は身体を前に傾け、残された力を振り絞ってペダルを漕いだ。
「よっしゃあ! やっと着いたぞ!」
腕時計の針は、ちょうど午後3時40分を指していた。
浅草大学の正門に到着だ。
「まずは自転車を停めないとな!」
僕は正門の左手にある駐輪場へ向かい、空いている場所にボロ自転車を停めた。
それから、大学の敷地に入る前に、シャツの襟とネクタイを整え、乱れた髪を手で直す。
よし、これで大丈夫だ。
次に向かうのは、敷地の北東に建つ建物。
特別資料保管庫がある場所だ。
ーーーーー
浅草大学といえば、長い歴史を持ち、教育の伝統と社会科学・人文科学の分野で知られる大学である。
僕が以前読んだ話によれば、もともとは浅草義塾という名前で、西洋人の教授たちを招き、明治時代の日本人に人文科学を教える場として発展したのだという。
現在でも文学部の各分野で全国トップの評価を受けており、日本を代表する著名な作家たちや、ノーベル賞受賞者を数多く輩出してきた大学なのだ!
西洋文学を専攻する僕にとって、まさに夢のような学習環境である。
……まあ、正直に言えば、僕がこの大学を選んだ理由は、そこまで崇高なものではなかった。
この大学には西洋文学の蔵書が非常に充実していて、ほかではなかなか見つからない貴重な初版本まで所蔵されている。
それを知っただけで、僕は受験を決意したのだ。
別に、将来は有名な作家や学者になりたいわけではない。
僕はただの「一次元オタク」だ。
大好きな小説の世界に、心ゆくまで浸っていたい。
それだけなのである!
ーーーーー
北東の建物に到着すると、自動ドアがゆっくりと開いた。
僕はすっかり明るい気分になって、特別資料保管庫へ足を踏み入れた。
そして、見慣れた人影を探して視線を巡らせる。
すると、受付カウンターのほうから、澄んだ声が聞こえてきた。
「林くん! こっちよ!」
その声を聞いた瞬間、僕は思わず振り返った。
「今日はまた一緒のシフトね! 嬉しいわ!」
「一条先輩、こんにちは! 僕も、今日ここで受付を担当するとは思っていませんでした。最近ずっと奥の資料保管庫で作業していたので、先輩に会うのも久しぶりですね」
「そうだったの? じゃあ、今日は二人で一緒に頑張りましょう!」
先輩は微笑んだ。
その頬には、愛らしいえくぼが浮かんでいた。
……ドキッ。
心臓が、一瞬だけ跳ねた。
そう、これだ!
この笑顔を見るだけで、頭の中を占めていた悩みが、まるで嘘のように消えていくのだ。
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一条玲香先輩は、同じ西洋文学専攻に所属する四年生の女子学生だ。
もし文学部のミスコンを開催したなら、彼女ほどその称号にふさわしい女性はいないだろう。
血色のよい、ふっくらとした唇。
すっと通った、整った鼻筋。
そして、まるで何かを語りかけてくるような、大きくて澄んだ黒い瞳。
それらすべてが、卵形の顔立ちの中に美しく調和している。
艶やかな茶色の髪は、肩のあたりでさらりと揺れていた。
身長はほかの女子学生と比べても高いほうだが、それでも僕よりは頭一つ近く低い。
仕草は上品で、声は澄み渡るように美しい。
人当たりもよく、誰に対しても親しみやすい。
その立ち居振る舞いには、日本女性らしい慎ましさと気品があった。
まさに、伝統的な理想の女性像――大和撫子を思わせる人だ。
どんな男子学生だって、彼女とすれ違えば思わず振り返ってしまうだろう。
……もし、僕の夢見ていた青春に登場するヒロインがいるとしたら。
間違いなく、彼女こそがその人だった。
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僕は玲香先輩を見つめながら、いつの間にか口元を緩めていた。
請求書、借金、そしてぎっしり詰まったアルバイトの予定。
そんな息苦しい日々の中で、先輩は、閉め切った窓から差し込む暖かな陽光のような存在だった。
もし、毎日仕事に出かけることを楽しみに思える理由が一つだけあるとしたら。
それは、間違いなく――。
彼女に会える、この瞬間だ。
(〜〜 黄褐色、美しい妖婦。代々、彼女は西へ向かい 〜〜)
そう。
僕にとって、先輩の存在こそが『黄褐色』なのだ。
(次回に続く)
注釈:なし




