第4話 黒い炎
僕の判断ミスだ。
もっと早く異変に気付いていれば。
——仲間が逃げる時間だけでも稼がなければ。
あんな数の魔物に飲み込まれたら、僕の盾なんてなんの意味もないかもしれない。
盾を構えた。盾を握る手が震えている。
それでも、退くわけにはいかない。
振り返ると、誰も逃げていなかった。
——お願いだ。逃げてくれ!
「ライル……下がってて」
「ティナ?」
ティナはそう言うと僕の前に進み出た。
「クレア、お願いがあるの」
「な、なんでしょう」
「危ないからシドの後ろに隠れて、目をつぶってて」
「は、はい! わかりました!」
クレアは素直に言われた通りにした。
「ありがと……」
誰に向けたものなのか、わからなかった。
……空気が変わった。
ひりつくような感覚。風もないのにティナの銀色の髪が激しく揺れていた。
足元から、影のようなものがにじみ出た。
そして、手をかざした瞬間、迫りくる魔物の群れが黒い炎に包まれた。
業火とは違う、熱を持たない炎だった。
炎に包まれた魔物は、断末魔の叫びをあげる間もなく塵になって消えた。
そして、その塵すらも消し去っていった。
後に残ったのは静寂だった。
「嘘だろ……」
シドの声が掠れていた。
「クレア。もう大丈夫よ」
「はい! ……え!? 魔物は、どこに行ったんですか?」
「ぶっ飛ばしたら逃げていったわ」
「そうなんですか。さすがティナさん! 凄いです!」
シドが、今度はクレアを見て絶句していた。
——絶対に怒られる……
あんな無茶をしたんだ。
僕は、覚悟を決めた。
ティナはしばらく僕を見ていた。
「ライル……帰るわよ」
「え……あ、うん。帰ろう」
怒られなかった。
帰ろうとしたところで、右手から土煙が上がった。
「今度はなんだよ……」
僕たちは身構えた。
だけど、どうやら騎馬の一団のようだった。
旗には王国騎士団の紋章が描かれていた。
その中から先頭の二騎が進み出た。
「貴様ら、ここで何をしておるか!」
青い裏打ちのマントを羽織った男が一喝した。
たしか、あの色は騎士団長の証だったはずだ。
「はぁ?」
いきなりの態度にティナが食って掛かろうとしたそのとき。
「私はイーサンと申すものです。巷では勇者などと呼ばれております。いきなりの非礼をお詫びします」
横の騎士団長が勇者を見て渋い顔をしていた。
イーサンと名乗った青年は、長髪で顔立ちも整っており、いかにも好青年という感じだ。
「勇者様がどんな御用で?」
シドが皮肉めいた口調で尋ねた。
しかし彼は、その皮肉を気に留める様子もなく続けた。
「近くで演習をしていたところ、見張りから大規模な戦闘の音がするとの報告を受けたのです。もしや最近このあたりを荒らしている魔物ではと思い駆けつけました」
今あったことを正直に話すわけにはいかない。
僕が返答に困っていると……
「いやぁ、大規模な戦闘なんて。ゴブリンの群れと遭遇しましてね。ちょっとつついたら逃げていきましたよ」
シドがさらりと嘘をついた。
騎士団長は、さんざんに踏み荒らされた地面を見つめていた。
何かに気づいたのだろうか。
しばらく考えていた。
「ゴブリンの討伐もできんとは……これだから冒険者は信用ならん!」
苛立った様子で、急に悪態をつき始めた。
「団長殿、村も冒険者の方たちも無事だったのだからよいではありませんか」
すかさず勇者が騎士団長をなだめた。
ティナも不満そうな顔をしてたが、口に出すことはなかった。
「イーサン殿がそうおっしゃるのなら……」
騎士団長はしぶしぶといった様子で馬首を巡らせた。
「我々はしばらく近くの村に駐留しますが、みなさんはどうされますか」
「僕たちも一度村に戻ります」
「では、一緒に参りましょう」
勇者はそう言うと下馬し、馬を従者に預けた。
そのまま僕たちと並んで歩きだした。
この人も貴族のはずなのに……僕は驚いてしまった。
「どうも馬上から人を見下ろすのは好きになれませんので」
「変わった勇者様もいるもんだな」
「はは……よく言われます」
なんだか、拍子抜けした。
村へ着くと村長が出迎えてくれた。
「これはこれは、騎士団長様。冒険者様たちもご無事でしたか。村の者が何やら黒い光を見たというので、心配しておりました」
「ほう……黒い光とな。やつらからはそのような報告を聞いておらんが」
騎士団長が目を細めて僕たちを見た。
「見間違いじゃないですかね。俺たちはゴブリンに出くわしただけでしたよ」
「……」
苛立った様子で何かを言おうとしていた騎士団長を勇者が遮った。
「団長殿、今日はもう遅いですし騎士団の皆を休ませてやりませんか」
「そうですな……先ほどの件、明日の朝、聞くとしよう。それまでに言い訳でも考えておくのだな」
そう言うと、騎士団長は部隊のもとへ戻っていった。
歩兵を含めると三百人以上いるだろうか。
さすがに村には入りきらないため、部隊は村の外で野営の準備をしていた。
「冒険者様、大変申し訳ございませんが宿を用意させていただきましたので……」
村長は申し訳なさそうに切り出した。
「もちろんです。すぐに荷物を移動しますね」
僕たちは、屋敷から新たに用意してもらった宿屋に移動した。
村長はかなり気を使ってくれたようで、一人一部屋ずつ用意してくれていた。
せっかくの好意に、僕とティナは夫婦なので、とは言い出せなかった。
ティナは僕の部屋にいた。
ベッドに腰かけて、落ち着かない様子で僕をチラチラと見ている。
「どうしたの?」
「私が魔法を使ったあと、クレアはどんな様子だった? 何か言ってた?」
——クレアに自分の正体がばれたのではないかと心配していたのか……
「何も言っていないし、クレアはいつも通りだったよ。それに……」
「それに?」
ティナらしくない、弱々しい表情だった。
「もし、ばれたとしても、クレアはきっと僕たちを信じてくれると思うよ」
「そんなのわからないじゃない……」
「少なくともシドは信じてくれているよ」
「あいつは変なのよ……あんたの言うことなら大抵、許しちゃうじゃない」
僕の幼馴染はひどい言われようだ。
「僕たちも仲間を信じよう。それに、僕はいつでもティナの味方だよ」
「ばか……」
その夜、ティナは自分の部屋には戻らなかった。
隣で寝ている彼女の手は震えていたような気がする。
——翌朝、さっそく騎士団長に呼び出された。
その場には、勇者のほかに村長も同席している。
騎士団長の後ろには、二人の騎士が立っていた。
そのうちの一人は、騎士にしてはずいぶん顔色が悪かった。
「さて……昨日、村の者が目にしたという黒い炎とやらについて答えてもらおうか」
騎士団長は、有無を言わさぬという雰囲気で問い詰めてきた。
さすがに言い逃れは苦しいかと思ったそのとき——
「そういえば、村長さん。団長様の忘れ物を預けていたと思うのだが……」
シドが急に村長に尋ねた。
「おお、そうでした! 少々お待ちくだされ」
村長は足早に自宅へ戻っていった。
騎士団長が、その様子を怪訝な顔で見ていた。
村長はすぐに戻ってきた。
「こちらは騎士団長様のお忘れ物ではないですかな? 先日、こちらの冒険者様がお屋敷で見つけて届けてくれました」
村長があの球を差し出した。
気のせいか、僕たちが見つけたときよりも輝きがなくなっている気がした。
騎士団長の動きが一瞬止まった。
「……これは、そうか。確かに私が忘れていったもののようだ。礼を言う」
そう言うと、村長の手からもぎ取るように球を取って、腰の革袋にしまい込んだ。
ずいぶん大切なものだったのだろうか。
心なしか、その様子を見ていたシドの目が鋭いものになっていた気がする。
騎士団長は先ほどの尋問のことなど忘れたように、一気にまくしたてた。
「イーサン殿から聞かされたとおり、しばらくは我々がこの村を警備する。したがってお前たち冒険者はさっさと街に戻るがよい!」
「冒険者の皆さん、我々がしばらくここに滞在しますので、ご安心ください。これまでのお働き、誠に感謝します」
すぐに勇者が言い直した。
本当によくできた人だと思う。
僕たちは、荷物をまとめてその日のうちに村を出た。
「なによ! あの青マント! ああいうのが貴族なわけ!?」
ティナが憤慨していた。
そういえば、ティナは人間の貴族と接するのは初めてだったかもしれない。
「僕も貴族にはあまり会ったことがないけど、さすがにあんな人ばかりじゃないと思うよ。ほら、勇者だって貴族だけどいい人だったでしょ?」
「ライルも少しは、あの青マントに言い返しなさいよ!」
なぜか騎士団長への怒りの矛先が僕に向けられた……
見かねたシドが助け舟を出してくれた。
「あのな、ティナ。お貴族様ってのは厄介でな……機嫌を損ねると後々面倒なんだよ。いきなり切られても文句は言えねぇからな」
「なによそれ。そんな横暴が許されていいの?」
「そういう世の中なんだよ」
「でもでも、きっとそういうことは神様が許さないです! きっとバチがあたりますよ」
ちょっとずれたクレアの言葉だったが、ティナは何かを思いついたように、ニヤッと笑っていた。
「そうよね。きっとバチがあたるわね……」




