第21話 嘘と真実
翌朝、朝食を終えた僕たちは、街の外れのおばばの家に向かった。
家の前に着くと同時に、おばばが扉を開けて出てきた。
「ひっひっひ。そろそろ来る頃だろうと思っておったよ」
おばばの頭は、クレアの胸のあたりまでしかない。
その小さな目が、シドとクレアを順に見上げた。
「ほう。姫様のお友達かね。二人とも、よい目をしておるの」
「は、はじめまして! クレアと申します。あの、おばば様に……」
「可愛い子じゃのう。おばばでかまわんよ」
——僕のときは、こそばゆいとか言っていた気がするけど……
家の中は、六人も入れば肩が触れ合う広さだった。
壁一面の棚に、乾いた草の束と、蓋に埃をかぶった壺が並んでいる。
おばばは奥の椅子に、よっこらしょと腰を下ろした。
「おばばに訊きたいことがあるの。ヨアヒムから聞いたんだけど……」
「……あんだって?」
「だから、ヨアヒムから聞いて……」
「……あんだって?」
ティナのこめかみがぴくっと動いた。
——これは長くなるかもしれない……
僕は荷物の底から革袋を取り出して、おばばの前の机に置いた。
固く縛っておいた口をほどく。
「おばば。これを見てもらえませんか」
袋の中を覗き込んだおばばの目が、すっと細められた。
その顔からは笑みが消えている。
黒い砂には、指一本触れようとしない。
「……どこで拾った」
とぼけた声ではなかった。
「グレンツという村の教会です。祭壇の上で、黒い球が割れていました。触ったら、砂みたいに崩れて……」
「その村は、どうなった」
「……魔物に襲われて、誰も残っていませんでした」
おばばは目を閉じた。
長い息を、ゆっくりと吐く。
その沈黙の中で、クレアが一歩前に出た。
聖典を胸に抱えている。
「おばば。私は昨日、大聖堂でこの国の聖典を読みました。私が教わってきたことと、違うことが書いてありました」
クレアは聖典を抱える腕に、ぎゅっと力を込めた。
「本当のことが知りたいんです。教えていただけませんか」
おばばは目を開けて、机の上の革袋と、クレアの抱えた聖典を順に見た。
「……なんの因果かのう。同じ日に、この二つが揃ってあたしのところに来るとは」
そう言って、椅子に深く座り直した。
「それじゃ、昔話でもするかね……」
◇◆◇◆◇
三百年ほど前、シルウェニアという国があった。
魔道が栄え、都は空に浮いていた。
都の縁からはとめどなく水が流れ落ち、真下に湖を作っていた。
シルウェニアには、遠く離れた国との交流があった。
角を持つ者や、千年を生きる者たち、いわゆる魔族の国である。
その国の名をエルデンハイムという。
都の底には転移の間があり、それを使って人々は互いの国を行き来した。
エルデンハイムの者が術を教え、シルウェニアの職人がそれを形にした。
都が空に浮いたのも、水が尽きなかったのも、エルデンハイムがもたらした技術だ。
多くの人と物が行き交い、国は栄えた。
シルウェニアの女王は、それを歓迎していた。
そして、彼女はエルデンハイムの王と恋に落ちた。
しかし、それを快く思わない者たちがいた。
『人は、人とだけ交わるべきだ』
『女神が守るのは、人だけだ』
彼らはそう説いた。
はじめは酒場の隅で、やがて大聖堂の中で。
頷く貴族が一人増え、二人増えた。
ある年、彼らは女王に退位を迫った。
女王はそれを拒む。
シルウェニアは二つに割れ、内戦に陥った。
反逆者たちはまず、都の底にある扉を封じた。
次に、都を支える礎を破壊した。
空にある限り、地上の兵は都に届かないからだ。
都は空から湖へと落ちた。
そのとき、多くの者の命が失われた。
それでも都は沈まず、湖の上に浮かんでいた。
ただ、礎を失った都からは、少しずつ魔力が失われていった。
さらに、兵の数で劣る反逆者らは、ひとつの術を作った。
掌に載るほどの、黒い球である。
それは、周囲の魔力を糧として力を増した。
球を置いた村の周りには、魔物が湧いた。
はじめは、ひとつの小さな村だった。
その次は三つ、その次は十と増えていった。
女王の兵は村を救うため、国じゅうに散る。
反逆者たちの狙いどおりだった。
好機と捉えた反逆者たちは、ついに都に球を置いた。
減り続けているとはいえ、なお膨大な魔力を残した都である。
球は、解除の呪言を唱えれば止まるはずだった。
しかし、魔力を取り込みすぎた球は暴走し、止まらなかった。
一気に魔物が溢れだした。
最初の村から数えて、ひと月のことだった。
エルデンハイム王は、シルウェニアの危機の知らせを受けてすぐに兵を発した。
扉はすでに反逆者によって封じられていた。
兵は海を越え山を越え、荒れ野を渡り、何日もかけて進むしかなかった。
それでも驚異的な速度でシルウェニアへと進軍した。
女王は生き残った兵士とともに奮闘した。
女王のかたわらには、女神の加護を受けた勇者がいた。
勇者もそれに加わり獅子奮迅の勢いで魔物を駆逐していった。
だが、数が多すぎた。
激戦のさなか、女王は命を落としてしまう。
エルデンハイムの兵がたどり着いたときには、都は焼け落ち、瓦礫となっていた。
残っていた魔力は球に吸い尽くされ、都の水は止まっていた。
干上がった湖の底で、魔物たちがうごめいていた。
エルデンハイム王は、かろうじて生き残ったシルウェニアの者たちを救い出し、庇護下においた。
南へ逃げる人々は、遠くからそれを見ていた。
燃え落ちた国と、その上を歩く異形の軍勢を見た。
愛する者を殺されたエルデンハイム王は怒りに震えた。
わずかな手勢を率いて南へと進軍する。
その勢いはすさまじく、反逆者たちは逃げるので精いっぱいだった。
エルデンハイムの手勢は、ありとあらゆる魔道具を砕き、魔導書を焼いた。
二度と同じような悲劇を起こさせないためだ。
だが、南へ逃れた人々が覚えているのは、恐ろしい形相で迫りくる魔族の姿だけだった。
球の暴走によって呼び出された魔物たちはエルデンハイムの兵によって一匹残らず駆逐された。
そのあとに残ったのは、人の住めないただの廃墟だった。
反逆者たちは、命からがら逃げおおせ、南の地にたどり着いた。
そこに国を建て、聖王国アウレリアと名付けた。
そして、聖典は書き換えられ、二柱いた女神は、一柱になった。
◇◆◇◆◇
おばばは語り終えると、静かに目を閉じた。
しばらく、誰も口を開かなかった。
棚の草の束が、どこかの隙間風でかすかに揺れている。
「……逃げた人たちは、嘘をついたわけじゃなかったんですね」
クレアだった。
泣いてはいなかった。
聖典を抱えたまま、まっすぐおばばを見ている。
「見たものを、そのまま信じただけで……それを、誰かが利用した」
「そうさの。じゃが……」
おばばは目を開けた。
「あのとき、あたしらもね……多くの人間を殺したんじゃよ」
遠くを見ているような目だった。
「反逆者とはいえ、やつらにも家族や守るものがあったはず……」
「どちらが正しくて、どちらが間違っているか……ということでは、ないのですね」
「さよう。さっきの話は、ばばあの独り言じゃ。お主は、お主の信じるものを大事にするがよい」
クレアはティナを見てはっきりと答える。
「はい。もう、決めています!」
ティナもそれを見て頷き返す。
「なぁ、ばあさん。黒い球が最近見つかったってことは、また同じことが起ころうとしているのか?」
シドがおばばに問いかけた。
——たしかに、僕もそれが気になっていた。
「……あんだって?」
「ばあさん。だから……」
「おばば様と呼ぶのじゃ」
「聞こえてるじゃねぇか。てか、なんで俺だけ様をつけるんだよ……」
「あたしゃ、いい男以外は好かん」
シドが肩をすくめる。
「おばば、教えてください。あの黒い球は、さっきの話に出てきたものと同じなのでしょうか」
僕は、おばばの目をまっすぐに見て尋ねた。
「完全に同じものではなさそうじゃな。ただ、危険なものには変わりないの」
「黒い球はどこで作られていると思いますか?」
「さあての。あたしに言えるのは、あれを作れる術がまだ残っていたということだけじゃ」
三百年のあいだ、それを隠していた者がいる。
黒い球、それに関わっていた人物……
「……ライル。覚えてるか」
シドの声は低かった。
「王国騎士団の団長は中央の人間だ。そしてもう一人、黒い球を持っていたやつがいたろ」
「うん、グレンツで会った副長の人だよね」
「スコットさんが言ってたよな、中央から派遣されてきたって」
「……!」
——そうだ……しかもあの黒い球も、王都の教会で洗礼してもらったと言っていた。
「王都の……教会!?」
シドが頷いた。
クレアが、抱えていた聖典に目を落とした。
聖典を書き換えたのも、女神を一柱にしたのも、教会だった。
僕は机の上の革袋を見た。
グレンツの教会の床で、この砂を集めたときのことを思い出す。
スコットさんは、黒い球の犠牲になった。
パン屋のおばさんも、リタや子供たちも……
このままでは、同じことがほかの村でも起きてしまう。
「王都に行こう」
自分でも驚くほど、すんなりと口から出た。
「あそこは、魔族を敵だって教えてる国の真ん中よ。わかってるの?」
ティナが僕を見ている。
「わかってる。だから、僕たちが行くんだ」
「そう言うと思ったわ」
ティナは笑顔だった。
「情報屋が王都を知らねぇってのも、格好がつかねぇしな」
「私も行きます。院長先生に、訊きたいことができました」
おばばは、ひっひっひと笑った。
僕は革袋の口を、もう一度固く縛った。
行き先は、王都だ。
——第一部 完——
第21話までお付き合いいただき、ありがとうございました。
これにて第一部完結となります。
こうやって書き続けられているのも、読んでいただいている皆様のおかげです。
本当は20話で第一部が完結する予定でしたが、物語を進めていく中で、書きたいことがどんどん増えていってしまいました。
第二部では、ライルたちにさらなる試練が待っています。
第二部は、9月28日より開始予定です。
引き続き、応援していただけますと幸いです。
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