第2話 看病代
「乾杯!」
木のジョッキが四つ、テラス席の真ん中でぶつかった。
ワイバーン事件から数日。
思いがけない大金が入ったので、当分は無理に依頼を受ける必要もない。
昼前から祝勝会をやろうと言い出したのはシドだ。
僕は奮発して、骨付きの炙り肉を頼んだ。
「ぷはぁ! しかし現金なもんだよなぁ。こないだまで化け物でも見るような目ぇしてた連中がよ、ギルマスが酒を振る舞った途端にこれだ」
当のギルドマスターは、騎士団の聴取や近隣ギルドからの問い合わせで休む暇もないらしい。
「ま、なんにせよティナ様のおかげだな」
「当然よ!」
「まったく、素手でワイバーンの首を吹っ飛ばしちまうんだからよぉ。あれには度肝を抜かれたぜ」
「本当ですよね!! やっぱりティナさんは強くてかっこいいです!」
「あ、あれはたまたまよ! いつもできることじゃないんだから!」
「……そうなんですかぁ」
なぜかクレアは残念そうにしていた。ティナさんがそう言うのならそうなのだろう、という顔だった。
純粋すぎるクレアを見て、ちょっとだけ、後ろめたい気持ちになった。
「しかしよぉ、ライルはほんと無茶ばっかりするよな」
「本当よ!!」
「ご、ごめん」
反射的に謝ってしまった。
いつの間にか僕に矛先が向けられているようだ。
「こいつよぉ、昔からこんなんなんだぜ」
「あ、それ聞きたい! シドはライルと同じ村の出身だったわよね。どんな感じだったの?」
ティナが身を乗り出した。
「ちょっと、ティナ……」
「では、このシドが奥様にお聞かせして差し上げましょう!」
にやっと笑ったシドが執事めいた口調で、うやうやしく頭を下げてみせる。
「こいつは昔っからお人よしで、困っている人がいたら見境なく助けに行くやつでよ」
「シド……」
「子猫や子犬を拾ってくるのなんてのはざらだな。それで、いじめられているやつがいたら、自分が勝てないのわかっていても助けにいくんだぜ……」
「ライルらしいわね……」
「いつだったかな。村の悪ガキ連中五人くらいに絡まれているやつがいてよ、こいつは何も考えずに助けに入ってボコボコにされてたな」
「……そいつら、今どこにいるのよ」
ティナが拳を握りしめてプルプルしている。
「いや、ティナ。昔のことだから! それに今はみんないい人たちだよ」
「ふん」
「ライルさんは、昔からライルさんなんですねぇ」
クレアがしみじみと言った。ティナの表情が少しだけ和らいだ気がした。
「あ、ではでは、ライルさんとティナさんとの馴れ初めってどんな感じだったんですか!?」
「えっと、それは……」
「……私が山賊に絡まれているところをライルが助けてくれたのよ」
僕は、咄嗟にティナの顔を見て反論しようとした。
「いや、あれは……」
だけどティナが目でそれを制した。
ティナの目が怖い……これ以上言うなということなんだろう。
「わぁ……ライルさん、かっこいいです!」
クレアが目を輝かせていた。
……本当は、そんなかっこいい話じゃない。
本当は……
——あれは、一年半くらい前。僕とシドでパーティーを組んで間もない頃だった。
僕は薬草採取の依頼を受けて、街道を外れた山道を歩いていた。
「こんな所にお嬢ちゃん一人たぁ、俺たちと遊びにきたのかぁ?」
「げへへ、いい女じゃねぇか。しかも丸腰だぜぇ……」
木の向こうから、下卑た声が聞こえてきた。
そっと覗くと、男たちが輪になっていた。十人はいる。
その真ん中に、銀色の髪が見えた。
「なによ、あんたたち」
囲まれている女性は動じた様子もない。きっと強がっているんだろう。
「大丈夫だよぉ、すぐに楽しくなるからよ!」
「早く、ひん剥いちまおうぜ……」
僕は無意識のうちに飛び出していた。
「おい! お前たち、何をやっているんだ!!」
「あぁ、なんだてめぇ」
「嫌がっているだろう!」
「兄ちゃんよぉ、一人なのか? あんまり調子に乗ってると痛い目みるぜ」
「その人から離れろ!」
僕は剣を抜いた。
「へぇ、やるってか。お前らぶっ殺しちまえ!」
山賊たちは各々の得物を手に、一斉に僕に襲い掛かってきた。
最初の一撃を盾で受け流しながら、素早く斬りつけた。
だけど、圧倒的な人数の差だ。
右の男に斬りつけた瞬間、左から棍棒の一撃。
かろうじて盾で防いだ。
身体をさばいて斬り返すが、今度は右から肩を打たれた。
剣を持つ手が痺れる。
視界の端で、誰かが背後に回るのが見えた。
振り向く前に、後頭部に重い衝撃が走った。
意識が飛んだ……僕の記憶は、そこで途切れている。
僕は温かい光を感じて目を覚ました。
全身が痛い……身体が動かない。
光が僕を包み込むと、その痛みが徐々に引いていった。
心地よかった。
銀色の髪の女性が、僕に手をかざしている。
回復魔法だろうか、彼女の手から淡い光が出ていた。
その女性と目が合った瞬間。
「あんた、馬鹿じゃないの!? 強くもないのに突っ込んで、死ぬ気なの?」
いきなり怒られた。
痛みは完全に引いていた。
身体を起こそうとしたけど、起き上がれない。
鉛のように身体が重かった。
「私の回復魔法、傷は治せるけどそのぶん体力を持っていかれるから、しばらく寝てなさい」
助かったみたいだ。
……山賊たちはどうしたのだろう。
僕は動かない身体で首だけを横に向けた。
さっきまで僕を殺そうとしていた男たちが、一人残らず地面に転がっていた。
頭が追いつかなかった……彼女は丸腰だ。
それなのに、十人いた山賊が全員動かない。
しかも、髪ひとすじ乱れていなかった。
「……君が、やったの」
「そうよ。それが何か?」
挑むような目だった。
「……ありがとう。凄いんだね」
彼女が、一瞬言葉に詰まった。
「……ふん。あれくらいの人間、大したことないわ」
「そうだったんだ……余計なことしちゃったね。ごめん……」
「なんで謝っているのよ! ……そういえば、あんたたちのところでは、こういうやつらってどうしているの?」
「えっと……普通は騎士団に引き渡すよ。手配されているような人たちだと結構な報酬がもらえるみたい」
「そう。じゃあ縛っておくわ」
彼女は山賊の荷から縄を引っ張り出した。
十人の手を後ろにひねり上げて、一本の縄で数珠つなぎに縛り上げる。
「とにかくあんた、しばらくは動けないんだからどこかに移動しないとね」
そう言うと、彼女は僕を麻袋みたいに肩へ担ぎ上げて歩き出した。
「……重くない?」
「これくらい平気よ!」
「ごめん……」
「だからなんで謝ってるのよ! 次、謝ったら置いていくからね!」
「ごめん……」
「……」
あきれたようだが、置いていかれることはなかった。
しばらく荷物のように運ばれていくと、砦のような建物にたどり着いた。
「あいつらの拠点ね。中にまだ十人くらいいるみたい」
「じゃあ別のところに……」
「ちょっと揺れるわよ」
最後まで言い切る前に、彼女は僕を担いだまま扉を蹴り開けた。
「なんだ、てめ……」
悲鳴と、何かが折れる音と、壁にぶつかる音。
僕の視界は彼女の背中とぐるぐる回る床と天井だけだ。
それも三十秒くらいだったと思う。
「片付いたわね。ちょうどいいわ。ここで休みましょう」
そう言うと、僕を床に下ろして山賊たちを縛り始めた。
「ちょっと行ってくるわ」
「え、待っ……」
ぱたん、と扉が閉まった。
床に転がされた僕と、縛られた山賊十人だけが残された。
非常に気まずい。
「……兄ちゃん、あの女いったい何なんだ?」
「僕にもわかりません……」
本当にわからなかった。
一瞬で武器を持った十人の男を倒すなんて人間にできることなんだろうか……
バン、と勢いよく扉が開いた。
ほんの数分しか経っていなかったが、彼女は山道に残してきた十人の山賊を引きずって戻ってきた。
引きずられた山賊たちはボロボロだ。
ちょっとだけ同情してしまった。
それから僕は、また担がれてベッドに放り投げられた。
「ティナよ」
「え?」
「あんたが名前を聞きたそうにしていたから」
「あ……僕はライル。助けてくれてありがとう」
「弱そうな名前ね!」
「あはは……」
僕は数日動けずにいた。
彼女の話だと、深い傷を回復魔法で治すと、ひどく体力を消耗するらしい。
彼女は付きっきりで看病してくれた。
その間、いろいろな話をした。
僕のたわいもない話でも彼女は初めて聞く話みたいに、目を輝かせてくれた。
「なんで君は僕を助けてくれたの?」
「ティナよ」
「ごめん……ティナはなんで僕を助けてくれたの?」
「私を助けに来た人間が目の前で死んだら嫌じゃない」
もっともな答えだった。
助けに来た人が目の前で死んだら僕も嫌だ……
「……ねぇ。あんたはなんで私を助けようとしたの? 勝てないのわかっていたでしょ」
「うん。でも放っておけなくて、気づいたらあそこに立っていたんだ」
「なにそれ……馬鹿じゃないの」
ティナはしばらく黙っていた。窓の外を見たり、僕を見たり、また窓の外を見たりしていた。
そして目が合ったとき、彼女はつぶやいた。
「……私ね、人間じゃないの」
「……そうなんだ」
不思議と、驚かなかった。
あれだけのものを見せられたあとで、今さら何に驚けばいいのかわからなかった。
「驚かないの?」
「驚いたほうがよかった?」
「普通は驚くんじゃないの?」
「でも、ティナはティナだし……」
ティナは長いこと僕を見ていた。
そして吹き出した。
「あはは! なによそれ」
ひとしきり笑ってから、ふいと横を向いた。
「ありがと……」
何に対する礼なのか、そのときの僕にはわからなかった。
ティナの耳が少しだけ赤かった。
街への帰り道は異様な光景だった。
一人の冒険者と、一人の女の子と、縄で繋がれた二十人の山賊がとぼとぼ歩いているのである。
最初は頑として歩こうとしなかった山賊たちだが、歩かないとティナに引きずられるので観念したらしい。
「兄ちゃん……あの嬢ちゃん、本当に何なんだ……」
「僕にもわかりません」
この街、リンドルに着いてからもひと騒動あった。
僕たち……いや、ティナが捕まえた山賊たちは、実は有名な手配犯だったみたいだ。
騎士団には根掘り葉掘り事情聴取された。
そこからは、もう滅茶苦茶だった。
二人で二十人の山賊を捕らえたなんて信じてもらえるはずもなく、ギルドマスターが駆けつけてくるまで半日くらい拘束されたと思う。
ギルドマスターはギルドマスターで……
「超大型新人の誕生だな! こりゃ楽しみだ! ガハハハッ」
って楽しそうにしていたし。
なんか半ばノリで僕らの冒険者ランクをFランクからDランクまで二つもランクアップさせてしまうし……
その後、話を聞いたシドが目を剥いたのは言うまでもない。
「ところで、このお嬢ちゃんは誰なんだ?」
ギルドマスターの問いかけにティナは……
「ライルの仲間よ!」
「え……?」
「今日から私もあんたのパーティーに入ってあげるわ!」
っていきなりパーティーメンバーが増えるし——
——カランと、ジョッキがテーブルに置かれる音で我に返った。
ティナとシドが何やら言い争っていた。
それをクレアが楽しそうに眺めている。
……結局、ティナはあの日から一度も本当のことを言っていない。
ギルドでも、騎士団でも、さっきのクレアにも。全部、僕がやったことになっている。
「な、なによ」
視線に気づいたティナが、目を逸らしながら言った。
「ううん。なんでもない」
「そう」
ティナは僕の皿から勝手に肉を取ると、何事もなかったようにシドとの言い争いを再開した。
「あっ、それ僕の……」
「うるさいわね。看病代よ」
あのときの看病代だとしたら、僕は一生かけても返せそうにない。




