第10話 千年
僕は、しばらくその言葉を理解できなかった。
——魔王?どういうこと……?
理解できない……理解できないけど、その圧倒的な存在感を前に訊くこともできなかった。
ティナが、あっと思い出したような顔をしていた。
「……言ってなかったっけ?」
「……」
——聞いてないよ!
だけど言葉が出てこなかった。
でも、ティナのお父さんに挨拶しないと。
「ラ、ライルと申します……」
必死に声を絞り出した。
「ライルと申すか……して、何用でここに来たのだ」
「……あなた」
そのとき、魔王の隣に座っていた女性がささやくように言った。
ただ、その声には逆らえない何かを感じた。
「う、うむ……」
僕に向けられた魔王の威圧が突然止んだ。
「ガレン、全員下がらせろ。お主もだ」
「はっ!」
僕たちの後ろで控えていたガレンさんは、魔王に言われた通り全員を謁見の間から退出させた。
そして、魔王と隣に座っている女性、ティナと僕だけが残った。
扉が閉じられた瞬間……
「あなた。そんなに威圧したらライルさんが何も話せません。この子たちが来る前にあれだけ言っておいたではないですか」
「す、すまん。つい……な」
「つい、じゃありません。そもそもあなたがこの子たちを呼びつけたのではないですか。意地悪するものではありません」
静かな口調だった。
先ほどまで威厳の塊だった魔王がタジタジになっていた。
「あら……失礼いたしました。ライルさん。私はティナの母のフレイヤです」
「は、はじめまして!ライルと申します」
「ようこそいらっしゃいました。歓迎いたします」
「ありがとうございます」
さっきの迫力とはうって変わって、優しい口調だった。
「お父様、お母様、お話があります」
ティナがこれまで見せたことがないくらい、うやうやしい態度で言った。
「うむ。なんだ?」
そこで、ティナが僕の袖を引っ張った。
僕から言えということなんだろう。
「おとうさん」
「貴様におとうさんと呼ば……」
「あなた」
「……」
「おとうさん。僕に娘さんをください!」
ティナは嬉しそうだった。
だけど、おとうさんは難しい顔をしていた。
「ライルよ」
「はい」
「魔族がどれくらい生きるかわかるか?」
「……いえ」
「千年以上だ……」
僕は絶句した。
ティナからしたら僕の寿命なんてほんの一瞬だ……
「そなたはもう気づいたかもしれぬが、寿命の差は覆せない事実なのだ。儂は、ティナが愛する者を失って悲しむ姿は見たくないのだ……」
僕は何も言葉を返すことができなかった。
「わ、私はそれでもかまわないわよ!少しでも長くライルといられるなら!」
「ティナ。そなたは、ライルがいなくなった後どうするのだ?長い時を一人で過ごすのか?」
なぜだろう。
おとうさんが悲しい目をしたような気がした。
フレイヤさんも目を伏せていた。
「一人でかまわないわ!」
「ティナよ。愛する者を失うということは辛いぞ。それが永遠に続くのだ。これは経験した者にしかわからん……」
僕とティナはぎゅっと手をつないだ。
絶対に離れたくないという、せめてもの意思表示のつもりだった。
「はぁ……」
その様子を見ていたおとうさんが、不意にため息をついた。
「これは儂の独り言だ。この国には王にのみ伝わる儀式があってな」
「あなた……」
フレイヤさんが驚いた様子でおとうさんを見ていた。
「すまぬ。だが、娘には同じ思いをさせたくないのだ。それにこの先を選択するのは、この子らだ」
「ふふ……見直しましたわ」
フレイヤさんがほほ笑んでいた。
「秘術ゆえに他言無用だが……ある儀式を行えば、ライルの寿命を延ばすことができる」
「ほんとなの!?」
ティナが身を乗り出して訊いた。
僕も希望に胸が躍った。
「儀式によって血を分け与えられた者は、与えた者と同じ寿命となるのだ。ただし……」
僕たちは息をのんだ。
「血を分け与えられた者に資格がなければ……その場で死ぬ」
「え……?」
「成功しても血を分け与えた相手が死ぬと、与えられた者も死ぬ。また、伴侶を裏切った場合も同様に命を落とす……呪いのようなものでもある」
「……そんな」
ティナが絶句していた。
目から涙がこぼれそうだった。
「つまりは、成功すればライルはティナと添い遂げることができる。ただし非常に危険だ……」
「やります!」
——考えるまでもない。ティナと添い遂げられるなら、どんなことでもしてみせる。
「だめよ!もし失敗したらどうするのよっ!!」
ティナが必死に引き留めてくれた。
でも、ほかに選択肢なんてない。
僕はずっとティナと一緒にいたい。
「ライルさん、ティナ。私からも少しお話しさせてください」
静かに語り掛けるような口調だった。
「実は私も儀式を受けているのです……私も、もともと人間でしたので」
「え?」
ティナもはじめて知ったようだった。
フレイヤさんも僕と同じ人間だった……
「儀式で得るものは非常に大きいです。ただし、失うものも大きいのです。ですから、できれば二人が納得した形で結論を出してほしいと思っています」
フレイヤさんが僕とティナの顔を交互に見て言った。
「どちらか一方ではだめなのです。それでは必ず後悔します。ですからゆっくり考えてみてください。それがあなたたちの母からのお願いです」
「そうだな。儀式は急ぐものでもないのでな。二人でゆっくり話し合うことだ」
僕とティナは見つめ合って頷いた。
「まずは、部屋に戻って休むがよい。そのあとは晩餐も用意しておくので迎えを遣わす」
「お義父さん、お義母さん、ありがとうございます」
ティナはうつむいたままだった。
それから僕たちは部屋に戻った。
ティナはずっと無言のままだった。
コンコン。
誰かがドアをノックした。
ドアを開けると、一人の侍女が立っていた。
「姫様、入浴の準備が整っております」
そう言うと、丁寧にドアを閉めて立ち去ってしまった。
「ねぇ、ライル……」
「どうしたの?」
「……お風呂、一緒に入る?」
「え!?」
突然のことに驚くことしかできなかった。
いつもみたいに僕をからかっているのかと思ったけど、表情は沈んだままだった。
「別にいいじゃない……」
「……うん」
ティナに連れてこられた浴場は、王族専用ということもあって立派なものだった。
不思議なことに、壁から湯が湧き出ていた。
そんなことよりも、目のやり場に困っていた……
二人で湯舟に浸かっているとティナが口を開いた。
「ねぇ……ライルは儀式を受けたいの?」
「……うん」
「……死ぬかもしれないのよ?」
ティナは泣いていた……
「それでも……儀式を受けなかったら、いつか必ずティナを悲しませてしまう日が来てしまう……」
「……」
「だから、少しでも可能性があるなら、僕はそれに賭けてみたいと思っているよ」
ティナは何も言わなかった。
「それにね。なんとなく大丈夫な気がしているんだ」
「どんな自信よ……」
ティナがちょっと笑った気がした。
「私ね……怖いの。儀式で死んじゃうってことは、私の血がライルを殺してしまうってことでしょ。そんなの耐えられない……」
たしかに、僕が逆の立場だったら同じように止めたと思う。
結局、浴場では結論が出なかった。
部屋に帰ってしばらくすると、晩餐の準備が整ったと知らせが来た。
僕もティナも用意してもらった服に着替えて晩餐に向かった。
ティナのドレス姿は本当にお姫様みたいだった。
「ドレス似合っているね」
「……ばか」
やはり、まだいつものティナじゃなかった。
僕たちが案内されたのは、広い食堂ではなく、こじんまりとした部屋だった。
部屋の中央には、四人で囲んでちょうどいい大きさの丸テーブルが置かれていた。
すでにお義父さんもお義母さんも席についていた。
「遅かったではないか。さあ、早く座れ」
お義父さんが席を勧めてくれた。
席に着くとオットーさんが給仕をしてくれた。
それから僕は、ティナと出会ってからのこと、仲間たちのことなど、とりとめのない話をした。
お義父さんもお義母さんも顔を見合わせて笑っていた。
ティナとの馴れ初めの話を聞いたときには、二人とも目を丸くして大笑いしていた。
本当に何ということはない、ただただ温かい家族の団らんだった。
でも、そんな両親を見ているティナの目はとてもやさしいものだった。
晩餐から戻った僕とティナは、部屋のテラスに立っていた。
眼下には、街の明かりが広がっていて、まるで星空のようだった。
ティナと目が合った。
「決めたわ!」
そう言ったティナは、いつもの彼女に戻っていた。
——翌日
僕たちは謁見の間ではなく、両親の居室を訪ねていた。
「どうやら答えが出たようだな」
僕たちは手を握って頷き合った。
「儀式を受けます」
僕とティナの声が重なった。




