眼前の君は、何者なのか
感覚のない足が重い。
生まれてからずっとこの足が重しだった。
杖に体重をかける。今ではなくてはならない物だ。幼い頃より杖をついた掌はゴツゴツと固くなった。
足を引き摺りながら前へ進む。
ミナの潤んだ瞳がチラついて離れない。
母親に捨てられたと語るミナの言葉が、まるで棘が刺さったようにチクチクと痛い。
思い出したくもない過去を想起させられる。
あの日も同じように右足を引き摺りながら杖を頼りに歩いていた。
ただ母に向かって淡い期待を胸に歩いた。
だが傍へ近寄るほどに上手く歩けなくなって、仕舞いには目の前で倒れ込んでしまった。
それでも諦めず両手を踏ん張って上体を起こした。
「……母上。」
必死に伸ばす右手がドレスの裾に触れかけた時。
スッと足を引いて母は離れた。
「えっ?」訳が分からなかった。
リディアが「此方へ。」と母を連れて宮の中へ去っていく。
地面に転がる私を置いて。
その宮の門が閉じていく。
耐えられなかった。
心のままに大声を上げて泣き叫んだ。
「ノクス!」
後ろから幼いアウルが駆けてきた。ノクティスの体を抱き起こされる。
アウルより小さな体は軽々と持ち上がった。
「……何で。」
アウルは宮を睨みつけながら静かに問う。答える者はどこにも居ないのに。
「食べ終わったのか?」
カイの言葉にアウルが顔を上げた。
「……えっ?」
カイは顎で「終わったなら捨ててこい。」と指示を出す。
「ああ。そうだな。」
アウルは空になった串をまた桶に捨てようと歩いた。
――何で急にあんなこと思い出したんだろうな。
手から離れる串を眺めながらアウルは不思議に思った。
「早くしろ。」
カイの不満気な声に向かってアウルは歩き出した。
「機嫌悪いなぁ。何が不満なのだ?」
カイの眉間に皺が寄る。
「黒曜石……お前人相変わりすぎだぞ?綺麗な顔が勿体無い。それにどんどん私への敬意が薄れてきてるぞ。なんだその口の利き方は?」
カイの眉が鋭く吊り上がる。
「どこの葛のせいか、教えてやりましょうか?そもそも化けの皮剥がされたのに、今更繕うのもおかしいでしょう。だから——全部やめだ。」
王宮では澄まし顔だった男が露骨に嫌悪を出す姿が面白くてアウルは吹き出す。
「それよりその黒曜石はやめろ。」
アウルは笑いながら「何で?黒曜石だって、セリナ嬢から聞いたぞ。」と尋ねた。
「あれはセリナ様だから……あんたには許してない。そもそもセリナ様自体、今は俺を名前で呼ぶ。」
カイの視線が逸れた。寂し気な横顔にアウルは問いかける。
「じゃあ名前を教えろ。」
カイは唇をキュッと噤む。
見るからに嫌そうだ。
「おーい無視するな。これから先も長いんだ。名前が呼べないとお互い不便だぞ?」
カイは引き攣りながら口を開く。
「……カイだ。」
「そうかカイ。アウルだ!俺の周りはそう呼ぶ!お前もそう呼べ!」
カイの肩を叩いて笑うアウルから離れるように一歩下がった。
離れる姿に不貞腐れていると、カイが睨みつけながら頷いた。
「ああ、わかった。糞野郎だな。覚えた。」
――誰も糞野郎とは名乗ってないぞ?
アウルが言葉を失う中、カイは続ける。
「これからお前を帰す。反論は認めない。分かったな?余計なことせず黙って歩け。」
アウルは思わずその肩に飛びついた。
「お前私の話を無かったことにするんじゃない!か・え・ら・な・い!何度でも言うぞ!私は帰らない。」
カイの手が伸びるのを見て、アウルはすぐさま避けた。
「また私の額を掴もうとしたな?何て奴だ!国宝だと言ったろう?敬え!」
カイは冷めた目で尚も手を構える。
「は?こんな肥溜め顔が国宝なんて、俺は認めない。」
アウルは首を傾げた。
――どこまでも顔と反して口が悪い。何だこいつ。
カイはため息を溢す。
「そもそも何で刺客に狙われてるんだ。あんた一応……」
カイが何と言いたいのかは嫌でもわかる。
アウルは通りを抜けて路地に向かって歩き出した。
後ろからついてくる足音を聞きながらアウルは歩き出す。
――面白いな。あんなに文句言って、それでも俺についてくるのか。
アウルは自分の体を抱きしめて立ち止まる。
急な変わり身に困惑しながら、カイも足を止めた。
アウルはそのままゆっくり振り返る。
「……よもや私を?」
カイは「はっ?」と呟く。
「美しすぎるのは罪だな……前もって言っておくぞ。私は男だ!」
カイは何が言いたいのか理解できないでいるようだ。
「そして私はセリナ嬢のような豊満な女人が好みだ!」
カイの顔が歪む。
「殺されたいのか……」
低い声にアウルは縮こまる。
「え〜こわ。」
アウルのわざとらしい声にカイは深呼吸した。
「お前どこまで脳内花畑何だ?素でやってるのか?本当に?だとしたらほんとに俺を解放してくれ。疲れた。」
カイは肩を落とす。
「そんなんでどうするんだ。言ったろ?先は長いって。」
アウルの言葉にカイがまた舌打ちをする。
「いや……帰れ。」
困った奴だと言わんばかりにアウルは告げる。
「そもそも私は帰れないんだよ。」
「理由は?」カイは短く問う。
「愚弟に命を狙われている。」
言葉が地に沈む。
急に周囲の音が遠のく。
――自分で口にしてこんな思いになるとは……情けない。
カイは首を掻く。
「……弟だよな?」
その目が細められた。
「そうだ。ノクティスは俺を殺したくて仕方がないのさ。」
「目的は?」カイの声は穏やかだ。
その変化に思わずアウルは綻んだ。
「確実に王位を得るには必要だからだ。」
カイは首を傾げる。
「……あんた"そんな"でも第一王子だもんな。」
アウルは顔を顰めた。
「"そんな"は余計だ。でも正にそうだな。優秀で美しく、欠陥のない兄を持ったのだから。仕方ない。」
「ほんと自分大好きだな。気持ち悪い。」
ボソッと何か聞こえた気がするがアウルは続ける。
「王位継承権など放棄してやったのに。ノクティスは昔から臆病で疑り深い。とんだ弟だ。まったく。」
言い切った直後、急に両肩を力強く掴まれてアウルは驚く。
「何だ一体?」
不快に思って睨むとカイは目を丸くしていた。
「……今お前何て?」
アウルは訳が分からず黙る。
「放棄したと言ったのか?王位を?」
アウルは頷く。
「そうだが?」
カイの手に力が入る。
「つまり今のお前は何の力もないと?」
アウルは頷く。
何を気にしてるのか不意に気づいた。
「ああ。宣言したんだ。その後でノクティスには、ルミエールの侍従を解放してやれと言ったが……あんなに臆病だとは。私が存在するだけで、脅威だと悟ったのだろう。私が天才なばかりに。」
カイの手が離れる。かなり驚いたようだ。
暫く考えてからカイは何か覚悟を決めたようにこちらを見た。
「……分かった。帰らないならそれで良い。付き合ってやる。」
アウルは目を輝かせた。
「何処へ行く?ルミエールか?」
油断した隙に額を掴まれた。力一杯握られて骨が軋む。
「痛い!痛い!痛い!」
カイは苛立ちを隠さない。
「わざとだろう?ご丁寧にルミエールへ書簡を送って、馬を使って裏門で悪目立ち。なのにルミエールへ行くだと?行ける訳ないだろ。ふざけんな。」
カイの手が離れた。
掴まれた額を摩る。今度こそ赤くなってそうだ。
「……ヴァレンティアの屋敷は何処にある?」
アウルは驚いてカイを見た。
カイは遠い目をして空を見ている。
――平民街やスラムでも渡り歩くしかないと思っていたのだが……。
カイは確かに見目が良い。でも見るからにただの侍従だ。透まし顔を剥いでみたら、かなり気性は粗い。生まれも育ちも悪そうだ。
そんな男の口から名門伯爵家が出てくるとは露にも思わなかった。
アウルの口が緩む。
――何だこいつ。
「そういえばセリナ嬢はヴァレンティアとも交友があるのだったな。」
カイは罰が悪そうだ。
「詮索するな。レオン・ヴァレンティアは王室お抱えの監査官だろう。王都に屋敷があると聞いてる。」
――敬称もなしにその名を呼ぶのか。どんな仲だ。
アウルは目を細める。
その顔にカイが気づいて後ずさる。
「気持ち悪い笑みを向けるな。」
アウルは堪えきれず笑う。
――だって面白すぎるだろう?何なんだお前は。
カイは呆れて続ける。
「あいつを訪ねることはないと思っていたから、屋敷が何処にあるかわからない。お前知らないか?」
アウルはカイの腕を掴む。
「こっちだ。」
アウルは跳ねるように進む。
「王都は私の庭だ。よくグランフェニックス・インフィニティと共に宮を抜け出して、駆け回ったものだ。」
カイはアウルに引かれるままに歩く。
「お前その長ったらしい名前、全部言わないと気が済まないのか?たかが馬相手に大層な名前つけて。もうこの際グランでも、フェニックスでも何でも良いだろう。」
「グランフェニックス・インフィニティだ!勝手に略すな。」
カイは呆れたのか黙った。その足取りは重い。
「ヴァレンティアに行きたくないのか?」
「ああ。」
あまりの即答にアウルは吹き出す。
「何で?」
カイは間を空けて答えた。
「お前と一緒。あの男は話が通じない。出来れば関わりたくない。」
レオン・ヴァレンティアのことだろうか。
とても優秀な人材ときいている。
父王は前王の残した思想を受け継ぎ、貴族主義な国を正そうと創設した貴族監査局。だがその実、所属するものが貴族である為に、望んだ運用は為されなかった。
父王の落胆もひとしおだろう。
そんな折、レオンがクロー伯爵を捕縛した。
当初は伯爵を擁護する声もあったのだが、その所業の醜悪さにそのまま裁かれた。
さぞ監査官として相応しい人格者なのだろう。
すでに故人ではあるが、妹が貧民や孤児の支援活動を行っていたのは有名な話だ。
そんなわけで今のヴァレンティアをアウルは高潔な一族と思っている。
カイの言動を見るに一癖ありそうだが。
「まあ……そうだな。私もお前と一緒だ。」
面倒くさそうにカイは「俺と?何の根拠で?」と返す。
「母と呼びたくもないが……まあ私にとってヴァレンティアは縁者だ。」
その言葉に三度アウルの姿を確認する。そしてカイは納得したように「ああ。」と溢した。
「何だ?」と問うとカイは嘲笑まじりに答える。
「お前の瞳を見ると苛つくと思ったが、なるほどな。レオの髪を思い出すからだ。それで、何が一緒なんだ?」
アウルは少し悩んでから返した。
「本当は頼りたくないってところだ。それにしてもお前、かなり親しいのだな?」
途端に手が振り払われた。
振り向くとカイが目を見開きながらたじろいでいた。
「……親しくなんぞない。」
アウルは一歩近づいて顔を覗き込む。
「でもレオって。」
その指摘にカイはスンとした顔になる。
「それに関しては不可抗力だ。」
アウルは可笑しくて目を離せずにいた。
――セリナ嬢には黒曜石と呼ばれている。普通なら侍従であっても、石扱いされて良い気はしない。なのに2人は妙に親密だ。その上に心底嫌そうではあるが、伯爵家の後継をレオと呼ぶ。
アウルは笑う。
笑い通しで可笑しくなりそうだ。
「カイ。お前一体何なんだ?」
カイの視線がコチラに移る。
「……お前にだけは言われたくない。」




