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天使とホラ吹きと後悔と

 両手で軽々持ち上げられてしまう小さな命。そっと包み込むように抱きかかえると、両の瞼がぱっちり開いた。金の産毛に空色の瞳が目を惹く赤子だ。


「みーちゃん。起きたの〜?本当に可愛いアタシの天使。」


 赤子を抱えたまま、女は回る。長い金髪を揺らしてクルクル回る。


 それを見てた別の女が顔を顰めながら口を開いた。


「アンタ、私らの忠告も聞かずにそんなのこさえて。ガキ育てんの。どれだけ大変か分かってんの?」


 その声に足が止まった。


「大丈夫よ!客も子供も何とかするわ!」


 まだ何か言いたげな様子だが気にならなかった。


 女は娼婦だった。


 稀に貴族もお忍びで足を運ぶような娼館で働いていた。


 客はひっきりなしにつき、可愛い我が子もでき順風満帆な生活だ。


 だが子供の成長に合わせるように、幸せな生活は気づかぬ間に陰っていくことになる。そう、ひっそりと。


 


 ミナと名付けた娘の父親は分からなかった。


 自分にない空色の瞳をしているから、相手の瞳もそうなのだろうが。女にはピンとこなかった。足繁く通う顧客も居れば、一度きりの縁も少なくない。


 だがこの時の女にとって、父親など分からずとも問題はなかった。


「みーちゃん。みーちゃん。アタシの天使ちゃん。ママがお仕事の間……良い子にしてた?お姉さんたち困らせちゃだめよ?」


 重たい頭を持ち上げながら、小さな手でベッドを這うミナ。ミナは母の顔を見つけると小さな手を伸ばしてぐずり出した。


「お腹が空いたのね。オッパイにしましょうね……。」


 女は静かに唇を噛んだ。


 子供を孕んだ時に館の主人からは堕胎方法を指南された。どれも試す気にはなれなかった。


 夜泣きに、授乳に、おしめ。子供の機嫌は四六時中、問わない。でも客は来る。


 周りの仕事仲間も協力はしてくれるが、皆商売女だ。ミナを優先にはできない。


「……後で後悔する、か。」


 館の主人の言葉を思い出しながら女はへたり込んだ。




 ミナはすくすくと育っていった。


「みーちゃん。ママこれからお仕事だから、お部屋で待っててね。」


「はーい!まま!」


 簡単な会話が出来る頃になると、女にも少し余裕がうまれてきた。思わぬことをして困ることも多々ある。それでもミナはまだ幼い。多少は仕方ないと飲み込めた。


 ミナの頭を撫でながら女は微笑んだ。


 きっとあの頃のように順風満帆な生活に戻っていくと女は信じて疑わなかったのだ。





 その日、何の前触れもなく館の主人から「クビだ。」と言い渡された。


 子育ても何とか慣れてきた、これからという時に。女は戸惑いを隠せずにいた。


「子供が出来てから窶れてしまって……客もつかん。コブ付きを抱えられるほど、ウチの娼館は甘くない。」


 非情な言葉が両肩に重くのしかかった。


 追い出された女はミナを連れて娼館を渡り歩いた。


「まま。……お腹すいた。」


「……。」


 女はミナの手を引っ張り、引き摺るように歩き続けた。


 どんなに自分を売り込んでも、幼い子供を連れた女を雇ってくれる娼館はなかった。


 女は歯軋りを立てながら手を握りしめた。


「痛っ痛いよ。まま。まま?」


 ミナを気にかける余裕はすでになかった。


 ふと路地の前で立ち止まった。


「……アンタさえ居なかったら。」


 ミナは目を丸くして見上げる。


「まま?」


 女は気づいてしまった。


「アタシ1人なら問題ないのに。アンタが居るから!アンタが居なかったらアタシはっ!」


 気づいた時にはミナの手を振り払っていた。


 女はハッとした。


――アタシ今何て……


 ミナは両目いっぱい涙を溜めて、小さな手を震わせながら伸ばしている。


 母親としてどうするべきかは分かっている。でも一度振り払った手を握り返すことは出来なかった。


 女は走った。


 ただ走り続けた。





――その日、ままに捨てられた。


 愛されていると信じて疑わなかった。


 なのに今。宙を漂うこの手を、優しく握り返してくれる手は何処にもない。


――物語なら最悪の結末だよ。でも、終わらなかった。


 後ろから腕を掴まれた。力強いが痛くはなかった。


――ほんと私……運が良い。


 腕を引かれるままに人の合間を縫って、路地に駆け出していく。ミナの腕を引く少年の足は羽が生えたように軽く。何故か振り払いもせずその後に続けて走った。


 少年の黒い髪が揺れるのを見つめながら、ひたすら走った。暫く経って少年は足を止めた。


 腕から離れる手。ミナはその手から目が離せなかった。


「…お兄ちゃん。だあれ?」


 肩で大きく息をしながらミナは問う。


 少年は軽やかに振り返り前屈みになった。


「はじめまして。僕はカイ。君は?」


 カイと名乗る少年は、柔らかな茶色の瞳をした人形のような顔立ちをしていた。


「あたしミナ!」


「そうか。"ミナ"。」


 "ミナ"と呼ばれることに違和感があった。


 「かわ……?」


 思わず首を振るとカイは困った顔で首を掻いた。


「みーちゃんって呼んで!」


「……みーちゃん……」


 目を見開くカイは戸惑っているようだ。


――カイ、拾ってくれてありがとう。何を想って、拾ってくれたのか……まだ分かんない。私馬鹿だから。




 カイはまずリクと云う少年を紹介した。


 リクの第一印象は最悪だった。仁王立ちで睨みつける赤銅色の髪の少年の口が開く。


「なんだ。それ?」


 ミナはびっくりして、カイの背に隠れた。


「みーちゃん、だそうだ。」


 カイは穏やかに続ける。


「みーちゃん、こいつはリク。口も目つきも悪いがいい奴だ。」


――あの時カイだけで良いのにって、心の底から思ったの。


 リクはミナの面倒を見ることに反対だった。


「捨ててこい!」


 その言葉にミナはカイを見つめた。その口からどんな言葉が紡がれるのか恐ろしかった。


「……捨てない。」


――あの日の言葉が忘れられない。その一言で貴方が大好きになった。今思えばただ重ねてたのもあるのだけど…。

 

 暫くすると三人での路地裏生活に慣れていった。


 カイとリクは同い年くらいだそうだ。二人と比べると体も小さく幼いミナはいつもお留守番だった。


 ミナにできることは多くない。カイは合理的だった。


 そして面倒見も良かった。生きるために仕事を探してこなしていたが、必ずミナが一人にならないように配慮していた。

 

 リクはいつも不満気だった。効率的に考えれば二人で仕事をこなした方が利が大きい。最もな考え方だ。


 穏やかに「ごめ〜ん。」とか言って流すカイだが、ミナを一人にすることは許さなかった。


 素直に聞かずミナを放っておくことも出来たはずだ。なのにリクはいつも文句を垂れながらカイに従った。そうやって不器用ながらも危険から護ろうとしてくれる姿は子供ながらに頼もしかった。


「カイとリクはミナの"お兄ちゃん"だね!」


 何となく口をついて出た子供の戯言。


 それをすんなりと二人は受け入れてくれた。ミナは嬉しくて笑った。


――何となく二人に対する好きを言葉にしたかった。幼い私は"お兄ちゃん"で一括りにしたけど、二人に対する好きが違うこと今なら分かる……


「……好き。」


 瞼を開くと現実に引き戻される。


 目の前のゼラニウムにミナは瞳を潤ませた。


――リクを助けなきゃ。カイにばかり頼っていられない。いつも守ってもらって、助けてもらうのを待ってた。でも駄目。いつまでも守られる子どもじゃ駄目。


「それだといつまでも変われない。」


 ミナは唇を噛んだ。


「でも、私に出来ることなんて……。」


 掌を握りしめ目を瞑った。


 第二王子ノクティスを相手に、ミナにできることは何もない。現に失言をして、ルミエールまで目をつけられてしまった。これ以上下手なことは出来ない。


 ミナは途方に暮れながら目を開く。目には両手首に巻いた水色のリボンが映る。


「カイならどうするんだろ。」


 カイは昔から上手く日銭仕事を見つけていた。そういえば気になって一度聞いたことがある。


「カイってどうやって仕事を探してくるの?」


 カイは微笑む。


「うーん。ただ相手が欲しいものをチラつかせるだけだよ。」


 ミナはよく分からず「欲しいもの?」と聞き返した。


「今力仕事できる奴いないかなって奴には、リクをあてがう。リクにはそういう単純労働向いてるからな。金勘定が合わないんだよなぁって奴には、俺が出張る。教会で帳簿管理とか任されてたからな。」


 ミナは目を見開く。


「読み書きも、計算も!ずっとすごいって思ってたけど、カイってそういう事もしてたんだね!なんかすごい!すごいよ!でも普通、相手の欲しいものなんて分からないよ?」


「分かるさ。笑顔で近寄って、情にほだして警戒といて。まあ上手く引き出すのは得意だからな。」


 自身を指差しながらカイは舌を出した。


 幼いミナにはどういうことか分からなかったが、あることが気になりふと首を傾げた。


「ふーん。それより何でカイってこんな生活してるの?教会に居た方が……」


 その先は聞けなかった。


 カイの顔から一瞬表情が抜け落ちた。


――そっくりだった。部屋から出ないって約束破って、ママを探しに行った時。たまたま見ちゃったの。愛してるっ言った後、お客さんが帰った途端……うん。


「そうだよ。嘘つきなんだ。ママから産まれて、カイに育てられたんだもん。私にも出来る。出来る。」


 ミナは顔を上げた。


 ノクティスからリクを救うために。


――まずは私の話を聞いてもらえるようにしなきゃ。カイなら、とっかかりがない相手にはまず同情を誘う。反応を見てみよう。


 頭の中で何が最適か想定を繰り返していく。時間はたっぷりある。第二王子は必ず日に一度顔を出す。ミナは扉が開くまで考え込んだ。




 そして時は満ちた。


 目の前には杖を手に、向かい合うように座るノクティス。その眉間に皺を寄せている。


 どんなに考えてもこの男に同情が通用するとは思えなかった。


 ミナは唇を噛んだ。


――結局何もできない。どうしよう。


 リクを思うと胸が苦しくなって手で抑えた。その動きにノクティスの鋭い視線が光る。


「……捨てろと言った筈だが?」


 ミナはリボンを抑えた。


「こっこれは捨てられません。兄たちに貰った大事なものだから。」


 恐る恐るノクティスの顔を見る。


 この血も涙もない男が、そんな事で心揺れるとは思えない。どんな行動に出るのか考えたくもない。


 だが現実は時に想定を裏切るものだ。ノクティスは目を見開き固まっていた。


 それを見てミナは続けた。


「……幼い頃、捨てられて。」


 ノクティスの顔が曇る。


「これは独りぼっちの私を拾ってくれた兄たちがくれた物です。」


 ノクティスはゆっくり口を開いた。


「……誰に?」


 ミナは目を細めた。何を問われているのか、なんとなく分かった。


「捨てられたのか、ですか?母です。」


 カラン。


 杖が床に落ちた。


 ミナは拾おうと手を伸ばす。


 ノクティスは動かない。ミナは杖を掴んだ。持ち手を持って見ると、微かに違和感を覚えて首を傾げた。


 そうこうしているとノクティスが気づいた。


「触れるな!私の杖に触れるな!それは!」


 手が伸びる。


 途端にバランスを崩して、ノクティスは床に転がった。


 息を荒くしながら杖を取り返して抱きしめた。


 その姿に既視感があった。その顔に目が離せなかった。


――おかしいな……貴方は全てを持ってる筈なのに。今にも泣き出しそう。なんでそんな子供みたいな顔をするの?何で?王子様何でしょ?そんな貴方が誰に捨てられると言うの?分かんない。分かんないよ。


 ミナの瞳が潤む。


 ノクティスは逃げるように杖をついて出ていった。


 静かになった部屋でミナは項垂れた。


 リクから昔「あんまりカイの真似はすんな。」と言われたことを思い出す。


――他人を転がすのミナには向いてないって。その頃にはもうリクに惹かれてたんだっけ?


「ママもカイも……こんな気持ちだったのかな?駄目だ、私。リクの言う通りだよ。向いてない。会いたいなぁリク。」

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