予定調和は家出して
背中と肩が軋むように傷む。
打撲だろうか。馬から落ちてそれで済んだことに安堵しつつ、カイは路地を歩いていた。
「おーい。」
背後から腑抜けた声が聞こえるが気にせず歩く。
王都に来るのは初めてだが、方角から考えると進路に間違いはない筈だ。
「なぁってば〜。」
肩を掴まれ、瞬間的に払った。
途端にピキッと肩周りに痛みが走る。
カイは肩を庇うようにして歯を食いしばる。
「大丈夫か?」
顔を覗き込むようにアウルは屈んだ。
先程まで刺客に狙われていたとは思えないほど、呑気な姿にカイは苛立つが平静を装って返した。
「…何か?」
アウルは待ってましたと言わんばかりに微笑む。
「お腹が減ってな!食事にしよう!」
カイの眉が僅かに吊り上がる。
「……手持ちは?」
掌を差し出して見せると、アウルは目をパチクリして固まる。理解できてないようだ。
カイはため息混じりに告げる。
「幾ら持ってるのかって話。食事するにもそれによります。」
アウルは王子だ。平民とは感覚が違う。
下手に連れて行って、銀貨や金貨を出せば軽い騒ぎになって刺客も舞い戻ることだろう。
先に確認して予防線を張った方が良い。
カイは「早くしてくれません?」とせっついた。
それに対してアウルは呆れた顔で返す。
「私は何も持ってないぞ?」
カイは首を傾げた。
――ん?……何言ってんだ?こいつ。
カイと同期するようにアウルはこちらを見つめている。
「食事をされたいと?」
確認するとアウルは「そうだ。」と率直に答えた。
「なのに手持ちはないと?」
アウルは再び「そうだ。」と答える。
カイは眉間を押さえた。
――そろそろ殴っても良いか?
そんなカイの腕を掴んでアウルが歩き出した。
「実はずっと気になっていた店があるんだ!」
カイは引きずられるようについていく。
「……帰りたい。」
アウルは止まらない。
「今何か言ったか?」
アウルの足が路地裏から通りに出た。
「なんでもありませんよ。」
カイは諦めた。
大通りは貴族向けに見えたが、この通りは労働者向けの店が建ち並んでいるようだ。
パンやパイを焼ける立派な石窯なんて、普通の平民の家にはない。だからこそ、それを売る専門店。仕事終わりに立ち寄るのだろう、エールハウスが目に入る。
他にも平民の暮らしを支える店や屋台があるようだ。
――なんか懐かしいな。
セリナに買われてからこんな通りを歩くことはなかった。
アウルは迷いなく歩き、目当ての屋台を前に立ち止まった。
香ばしく焼ける音と匂いが食欲をそそる。
肉の油が炭に落ち、煙が上がる様にアウルは釘付けだ。
屋台の店主がそれに気づいたようだ。
一つの肉串を掲げて「こっちが銅貨1枚で。」もう一つの肉串を掲げて「こっちは銅貨2枚だ。買うかい?」と問う。
安い方は臓物だろう。独特の臭みや味があるが、カイにとっては贅沢だった。よくリクとミナと分け合って食べたものだ。
――この温室育ちの口には合わないだろうが……
銅貨二枚の肉串を見る。
――それは癪だ。
アウルが口を開く前にカイが前に出た。
「親父。そっちの串で良い。2本頼む。」と言って銅貨を二枚差し出した。
店主は「あいよ!」と軽快に銅貨を受け取り肉串を差し出す。
受け取るとアウルを連れて傍へ移動した。
「どうぞ。」
アウルは目を輝かせて肉串を受け取る。
それを眺めながらカイは肉串を頬張った。
頬張るカイの姿を確認したアウルは、見よう見まねで齧り付く。
齧り付いた直後、アウルの顔が曇った。
「……黒曜石。これは何の肉だ?」
カイは微笑む。
「知りません。」
その返答にアウルは目を見開いた。
「正気か?こんな得体の知れないものをよく食べられるな?」
カイは呆れながらまた串に齧り付いた。
平民の屋台なんてこんな物だ。何の肉かそれがどんな部位の肉かなんて聞いても無駄だ。
安い串は基本人気のない部位や臓物で、香草などの調味がなされてないのが一般的だ。
「熱いうちに食べた方が良いですよ。冷めたら食えたもんじゃない。」
その言葉にアウルは肉串を見る。
まだ肉には温かな薄煙がのぼっていた。
渋々アウルは肉串に齧り付く。
その間にカイは最後の肉を頬張った。
肉がなくなり手持ち無沙汰になったカイは、アウルが食べ終わるのを串を片手に待つ。
アウルはゆっくり肉を噛み締めながらぼやいていた。
「おい、この肉かなり臭いぞ?大丈夫か?」
カイは串を見ながら「そうですか。」と返す。
「なあ、この肉全然噛み切れないぞ。」
カイは空を仰いだ。雲一つない青空が広がっていた。
「へぇ頑張ってください。」
アウルは苛立ち混じりに口を動かす。
「飲み込めそうもないぞ?」
串を持つ手に僅かに力が入る。
「……囀んな。」ボソッと本音が漏れた。
アウルはよく聞き取れなかったようだ。キョトンとして黙るアウルの顔を見ると苛立って仕方がなかった。
「いい加減、ピーチクパーチクうるさい愚図だな。黙ってさっさと食べてください。」
またも愚図と言われ気に障ったのだろう。アウルは真顔になる。
「黒曜石……お前、不敬罪って知ってる?」
カイの眉間に皺が寄る。
――我慢にも限界はある。そもそもお前に、黒曜石呼ばわりされる謂れはない。それに……
カイはゆっくり串をアウルに向ける。
「不敬罪ね。知ってますよ。だが、知ったこっちゃない。」
串の先を向けられたアウルの眉間にも皺が寄る。
「なぁ、王国一の騎手様。馬を手放して良かったのか?」
意図が分からない様子だがアウルは胸を張った。
「私のグランフェニックス・インフィニティは賢い。今頃馬屋に帰って、干し草を食べてる頃だろう。」
カイは少しばかり肩を落とす。
「いや、そうじゃない。ていうかグラン?フェッ……長いな。」
気を取り直してカイは続ける。
「あのな騎手様。馬のいないあんたが無事に帰れるかどうかは、今――俺次第。それを分かってるのか?」
カイの声は低い。王宮には帰すが、この自由人に振り回されるのは懲り懲りだと示す必要がある。
だがアウルは落ち着き払いながら、肉に齧り付いた。
暫く肉と格闘した末にアウルはゆっくり飲み込んで息を一つ吐いた。
「私は帰るつもりはないぞ。」
そしてまたアウルは肉に齧り付く。
カイはまさかの言葉に理解が追いつかずにいた。アウルの言葉を頭の中で反芻する。
そしてカイの手から串が落ちた。
地面に落ちた串を見てアウルが眉を吊り上げた。
「何をしてる?全く。」
アウルはそっと落ちた串を拾って先ほどの屋台に向かった。
傍に置いてある桶にそれを放ると店主が気づいたようだ。
「まいど!また買ってくれや!」
店主の言葉にフードを抑えながら軽く頷きアウルが戻ってきた。
「マナーだろ?」アウルが得意気に言った。
カイはため息を一つ溢す。
どうやらこの珍道中は続くらしい。
王に呼ばれリディナは評議の間に居た。
すでに主だった議論は済んで重臣は部屋を後にしている様だ。机の上には本と空のカップが一つ。
重い空気の漂う中でリディナはただ王を見つめていた。
「リディナ。私に言うことはないか?」
王の言葉は静かに響く。
リディナは一呼吸置いてゆっくり答えた。
「……何もございません。陛下。」
王は机の上のぼろぼろの本を手に取り、パラパラと捲ってみせた。
「いつまでも子供染みた夢を語って……」
その言葉にリディナの目が本を捉えた。それはアウルが好んで読むとある貴族の自叙伝だ。
リディナの視線に気づいた王が本を閉じた。
「アウルは何処へ向かったのだろうな?」
リディナは努めて自然に答えた。
「存じ上げません。」
その仕草や視線を観察したまま、王は顎を摩る。
「昨日のアウルの"失言"には驚いたが、今朝方の報告はそれ以上に耳を疑った。王都を馬に乗って爆走するアウルを見たものがいてな。しかもアウルは何者かに狙われていたらしい。」
王はため息を溢す。
「兄弟喧嘩にしては度を超えていまいか?そもそも此度の件。ノクティスが関与してるかどうか……」
王の言葉にリディナは目を伏せた。
「して、何故入れ替えた?」
その問いにリディナは固まる。
視線だけを王に移すと、それに合わせる様に王は空のカップをリディナに向かって差し出した。
リディナは最善の言葉を選ぶ。
「少し冷めていたので、淹れなおしただけでございます。大した意味はないのですが、お気に召さなかったでしょうか?」
次に王は手を机の上に置き、一定の間隔で机を叩く。
「今まで気にも留めなかったが、私の口に入る物を確認し、自分が淹れた物と差し替えている。そうだな?リディナ。ある侍女が密告してきた。」
「誰がそんな……」思わず溢れた言葉に王は静かに返す。
「つい先日までノーザン・パレス宮付きだった者だ。」
それだけで誰の差金かはすぐに分かった。
――リディア……
リディアは双子の姉だ。かつては同じ王妃付きであったが、リディナを追い出したあとは王妃と共に一切表に出なくなった。だから油断をしていた。
――貴方は何故いつもいつも。
リディナは静かに唇を噛んだ。
王は変わらず机を叩いていた。
コン。
コン。
コン。
室内に響く音にリディナは動けずにいた。
「答えられぬならもう良い。それよりアウルだが。ルミエールの侍従を名乗る男と逃げたそうだ。今度の悪戯は、男爵も関わっているのか?昨日アウルは、ルミエールのご令嬢を宮へ招き入れ、書簡まで。いろいろ伝え聞くが。」
リディナの眉が僅かに動いた。
確かにアウルはルミエールに向けて書簡を出している。だがあれはフェイクだ。
刺客まで放たれた今、ルミエールを頼るのは安直だ。だからアウルはわざと書簡を出して王宮を出たのだ。そう本人から聞かされている。
「もう一度確認するが、アウルは何処へ向かった?」
リディナは穏やかに答える。
「存じ上げません。陛下。」
嘘はない。リディナが把握している元の計画と現状は違うのだから。
王のいうように、その侍従とアウルは行動を共にしているのだろう。だがそれは事前の計画にはなかったものだ。こうなってしまっては、アウルが何を考えて行動しているのか、もはや図ることはできない。
王は変わらず問い続ける。
「私の知らぬところで何が起きている?」
リディナは迷いながらも答える。
「何も。何も起きてございません。」
王は机を叩く手を止めた。
その手がゆっくりと自身の王冠に伸びる。
リディナは黙ってその様子を見つめていた。
ゆっくり王冠を下ろした王は、両手でそれを支えながら寂し気に見つめる。
「……私は何処で間違えたのだろうか?」
リディナはすかさず答える。
「陛下は何も間違えておりません。陛下はいつも正しく、清廉でございます。」
その言葉に偽りはない。
どんな時も王は誠実であった。
国にも、妻にも、子にも、正しくあろうとする王の真っ直ぐな姿勢が間違っていたとは思いたくはない。
だがリディナの声は届かなかった様だ。
王は静かに王冠を机の上に置いた。
「間違えたのだ。だからアウルはあれほど王位を嫌悪するのだろう。逆にノクティスは王位に必要以上に執着する。あの子らの運命を狂わせたのは……この父だ。」
違う――と口を開きかけてリディナは口を噤んだ。
否定をしても王は納得しないだろう。だが事実は伝えるべきだろう。
「……成るべくして成ったのです。陛下のせいではございません。」
王の視線がゆっくりリディナの胸元に移る。
パイナップルリリーのブローチが変わらずそこにあった。
「お前のブローチを見ると安心する。」
リディナはそっとブローチに手を添えた。
なんと答えて良いか分からなかった。
「リディナ。お前がそれを身につけている限り、私はその忠義を信じよう。」
王は静かに立ち上がり窓辺に立つ。
外は夕陽が沈み出していた。
「制御できない子と捻くれた子だ。苦労をかけるが、やはりお前にしか頼めぬ。困った子らだが守ってくれ。」
リディナはブローチを握りしめ大きく頷いた。
「勿論でございます。あの日の誓いを忘れたことは露ほどもございません。」
瞼を閉じた。自分の無力さを嘆きながらも、このブローチにかけて誓ったのだ。
リディナは背筋を伸ばした。
ゆっくり服の裾を摘んで頭を下げる。
それは王宮筆頭女官に相応しい美しいカーテシーだった。
「失礼致します。」
リディナは部屋を出た。
既に事はリディナの手に余る状況だ。
だが嘆くことは許されない。
アウルの安否。ノクティスの動向確認。リディアの間者の始末。やる事は山のようにある。立ち止まってはいられない。
リディナは真っ直ぐ前を見つめ歩きだした。




