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揃わぬ溜飲

 カイは床を見つめていた。


 膝の上の柔らかな温もりにも、今ではすっかり慣れてしまった。


 セリナだ。


 思えば出会った頃から妙に距離が近かった。事あるごとに触れたがるセリナに、諌めるように冷たく拒絶したこともあった。


 だがその度に「買い主は誰かしら?」と言ってやめない。結果流されてきたようにも思う。


 セリナの存在が煩わしかったこともあった。だがカイの兄妹を守るため動く姿や、辛い時には傍に寄り添うセリナにいつしか絆され口付けまでした。


 そう、一度きり。


 それから再び唇を重ねることはなかったが、代わりに前にも増して距離が近くなった。


 カイはゆっくり床から、膝上に座るセリナを見る。


 長椅子に腰掛けるカイの上で、優雅に紅茶を楽しんでいた。


 穏やかに微笑むセリナは良くも悪くも普段通り。


――離れる気はないのか……


 カイは一度目を閉じ、小さく息を吐いて前を見た。


 目の前の椅子に座る中年の男は、今にも噛みつきそうな勢いだ。セリナと同じ髪色をした顎髭を蓄えた男。


 カイはまた床を見た。


――どうすんだ……お願いなんて全く聞いてくれなそうだぞ?


 カイは瞼を閉じた。


 事の経緯を整理していこう。


 セリナの屋敷を飛び出し、王都へ向かう馬車の中で現時点で分かっている情報から話し合った。


 そして擦り合わせた結果は――こうだ。


 本来平民のリクが未だ処刑をされてないことは、奇跡に等しい。


 それは一重に。ミナの存在が関与していると考えるのが自然だ。セリナ曰くミナに惚れて、身内を害することを躊躇っているのではという推測だった。


 甘ったるい少女の夢物語のような話が、セリナの口から発せられることにカイは鳥肌が立った。


 俄には信じ難いが、未だリクが生きている理由を他に説明できるかと問われると答えようもないのは確かだ。


 ただ相手は第二王子。


 気まぐれに殺されては堪らない。かと言って伯爵の時のように、二人を逃すことは難しい。


 だからまずセリナと共に王都にある本邸へやってきた。


 セリナの父――男爵に会うために。

 男爵は第一王子と懇意にしているらしく、協力を仰げないかと考えてのことだった。


 本邸へ着いてすぐ、男にしては長い髪を靡かせた男爵は娘を歓迎した。


「セリナ!よく戻った!」


 今にも抱きしめそうな勢いの男爵に、セリナは素早くカイの背に隠れた。


 男爵はめげずに「今日はどうしたんだ?」と問う。


 カイの背から顔だけをひょいっと出して話し始めらセリナ。


「またお父様に"お願い"があって戻りましたの。」


 その"お願い"という言葉に男爵は顔を引き攣らせた。


「またか……伝のない監査官への伝言は骨が折れたぞ。今度は何をするつもりだ?」


 セリナは微笑む。


「うふふ。馬車の移動で疲れてしまって……まずはティータイムがしたいわ。落ち着いて話がしたいの。」


 カイの肩に手を添えて続ける。


「ね?お父様。」


 男爵は添えられた手を見つめ顔を顰めた。


「応接室へ。」


 そして現在に戻る。カイは重たい瞼を開けた。


 男爵は腕を組んでカイを睨む。


「報告には聞いていたが……それが例のお気に入りか?」


 その言葉にセリナは「ええ恋人よ。」と即答した。


――恋人???


 カイは予期せぬ言葉に固まる。


 バンッ!


「恋人だぁ?!」


 大きく机を叩いて身を乗り出す男爵に怯みもせず、セリナは続ける。


「そうよ。何か問題でも?」


 男爵は音を立てて椅子に体を沈めながら深くため息をつく。


「セリナ。お前は貴族だ。」


 静かに男爵の指がカイを差す。


「そしてそれは平民。逆立しても一緒になれないことは、お前が一番よく分かっているだろう。」


 カイはその指を見つめる。


――明確に反対されたのは初めてだな。でもまあ……そうだよな。


 当然の反応だった。

 カイが曖昧な関係を肯定しているのはそのせいだ。


 カイはセリナを見る。


 セリナは傷つくでも、怒るわけでもない。

 いつもの自信に満ちた目を崩さない。


「あら何故かしら?」


 疑問で返されると思わなかったのだろう。男爵は戸惑いながら「お前は貴族から婿をとらないと……駄目だろう?」と諭す。


「女でも当主になれますわ。なのに相手が貴族であることに、何故私が拘らねばならないの?」


 セリナは堂々と告げる。


 男爵はたじろぎながら返した。


「確かに法律上は問題ない!だが前例がない!この際貴族であればなんでも構わん!貴族の婿をとって、お前が商会を継げば良い!」


「嫌よ!」セリナはすかさず否定する。


「ルミエールの家紋も、商会も。私が継ぐわ。」


 男爵は今にも叫び出しそうだが、セリナは止まらない。


「まぁそれは置いといて。本題に入らせて頂戴。お父様、最近第一王子殿下と取引してますわね?」


 急な問いに男爵は苦渋の表情だ。


「ぐぅ、そうだ。」


――置いとけるわけないわな。


 カイは男爵を同情するように見る。


「第一王子殿下に至急お会いしたいの。面会を取り付けて下さいませ。」


 セリナは笑顔で言い切る。


「……めっ面会???」


 男爵は豆鉄砲でも喰らったような顔だ。


「うふふ良かったわ。伝えたかったことを今日中に纏めて話せて。」


 セリナは空のティーカップを置いた。


「お父様。あとはお任せいたしますわ。」


 立ち上がるセリナは迷いなく扉に向かって歩く。


 カイは慌ててその背を追った。


 呆気に取られた男爵は慌てて叫ぶ。


「わかった!王子の件はなんとかする!だがその男だけはダメだ!」


――平民だしな。


 流石に受け入れられることはないかと納得した。


 セリナは振り向きもせず行ってしまうが、カイは部屋を出る前に振り返ってみた。男爵は頭を抱えて机に突っ伏している。


――今夜は眠れなそうだな。お可哀想に。


 カイは扉が閉まるまでそれを眺め、扉に向かって軽く礼をした。


――何はともあれ予定通り王子との面会は叶いそうだ。ありがたい。




 その後用意された部屋は物置き同然だった。


 特に気にも留めなかったが、案内をした老齢の侍女は今もなぜか睨みつけてくる。


 カイは首を摩る。


――俺が一体何をした……


 侍女は白髪をきっちり纏め上げ、濃紺のロングドレスはただの使用人にしては質が良い。


 腰の鍵束が動く度に揺れ、小刻みに甲高い音を立てている。


 侍女が重たい口を開いた。


「小僧。よくもアタシの"可愛い娘"に手を出してくれたね。」


 腹の底にまで響く声に気圧されながらも首を傾げた。


 その"可愛い娘"とやらが、カイにはとんと心当たりがない。


――参ったな。ボケた婆さんの相手はごめんだが……


 黙り込んでいると、ガッと鼻を摘まれた。力一杯掴む侍女にカイは驚いて顔を顰めた。


「すっとぼけんじゃないよ。この鼻垂れが!」


 侍女の剣幕にカイは肩を落とした。


――エラいのに捕まったな……


「マルグリット様!」


 背後の呼び声に侍女が反応した。どうやらマルグリットというらしい。


 マルグリットは眉を吊り上げる。


「なんだい!」


 その怒気に声をかけた妙齢の侍女が肩を窄めた。


「旦那様がそちらの侍従を呼ぶように申されまして……」


 侍女の視線がカイに移ると、マルグリットはその手を離した。


「ああ!もう!連れて行きな!」


 腕を組むマルグリットの吊り上がった目は、尚もカイに向いている。


 カイは軽く会釈をして侍女の背についていくことにした。


――男爵の要件ね……まあ、厄介な婆さんから離れられるし良しとしよう。


 カイは軽く息を吐いた。


 連れてこられたのはあの応接室だった。


「またここか……」


 侍女が訝しんで振り向く。


 咄嗟に口を噤んだ。


 中へ入ると男爵はグラスを片手に机に突っ伏している。


――婆さんの方がマシだったな。


 グラスを弱々しく掲げ「下がれ、二人で話がしたい。」と指示を出す。


 侍女はすぐさま部屋を後にした。


 まだ泥酔まではいってないらしい。


 やっと顔を上げた男爵は顔を真っ赤にしていた。


 目の座り具合から見て時間の問題だろう。


 カイが黙っていると、グラスを煽り机に音を立てて置いた。


「……座れ。」


 カイは一瞬天井を仰いでから軽く頭を下げると、向かいの椅子に座った。


 机の上のグラスをカイの前に乱暴に置く男爵。


 自分のグラスとカイの前のグラスに瓶から液体を注いでいく。


 シャンパンだろうか。透明な液体はグラスの中で小さな泡を放っている。


「……」


 黙って見つめるカイに「飲め。」と小さく短い言葉が刺さる。


 なんの躊躇もなくカイはグラスを手に取った。


 それに合わせ男爵もグラスを手に取る。


 二人は無言でグラスを煽った。


 口から喉を通る刺激に少し驚いたが、鼻に抜ける香りは悪くなかった。


「お前呑める口か?」


 カイは首を傾げる。


「のめる口?」


 男爵は目を細めながら続ける。


「……酒はどれだけ呑めるかって話だ。」


 カイは微笑みながらグラスを掲げた。


「いえ……なんとも。これが初めてなもので。」


 男爵は眉間に皺を寄せる。


「はじめて…お前反応が薄いと言われないか?」


 カイは「さあ?」と曖昧に答えた。


「全くこれのどこを気に入ったのか……」


 男爵はまた順にグラスにシャンパンを注ぐ。


 瓶を置くとゆっくり口を開いた。


「なぜセリナは王子に会いたい?」


 男爵の目は何かを探るようにこちらを見据える。


「直接お聞きになって下さい。」


 カイもまっすぐ男爵を見た。


「……聞いても素直に答えんだろう。それにお前に聞いた方が早かろう?監査官の件も、今回の件も、お前が関わっている。そうだろう?」


 男爵はなぜか確信を持っているようだ。

 

 否定もまだできるが。


「はい。関わってます。」


 カイはグラスに口をつけた。


「監査官の件はもう済んだ話だ。もう良い。……だが王子は。そもそも訳が違う。」


 男爵はグラスを煽りまた注いだ。


 手元がおぼつかなくなってきている。


――そのくらいにしとけ。


 カイは黙ったままグラスを見つめた。


「そろそろ聞かせろ。」


 その言葉にカイはため息混じりに話し始めた。


「使用人の粗相が原因ではありますが、第二王子の手にありセリナ様はなんとかしようと……そして第一王子殿下に御助力を賜ろうとの決断に。」


 男爵はグラスを回した。少し考えてからまた問う。


「その使用人はお前に関わりがあるのか?」


 隠す必要はない。


「兄妹です。」


 男爵は勢いよくグラスを机に置いた。


 音と共にグラスの中身が跳ねる。


――割らすなよ。怪我でもされたら面倒だ。


 カイは机のグラスを見つめながら、また一口呑んだ。

 

「やっぱりお前のためか!」


 男爵はグラスから並々と溢しながらも次を注ぐ。


「やっと男に興味を持ったと思ったら!本当に継ぐつもりがあるのか?」


 机を叩いて尚も叫ぶ。


「……なんでよりによって平民なんだ!」


 男爵の目がカイに移る。


「顔が良いのが何より腹が立つ!」


 男爵はグラスを一気に飲み干した。


 その数秒後、机に突っ伏した。


「……お前のことをどれだけ……」


 最後の言葉を言い切る間もなく、ピクリとも動かなくなる男爵。


 カイは無言でグラスを飲み干し机に置いた。


 首を掻きながら眺めていると、部屋に男爵の大きないびきが響き渡る。


 ため息を吐きながら瓶を見る。


 中身は半分もない。


 男爵をチラリと見ながら呟く。


「酒なんて縁がなかったからな。迷惑料代わりに有り難くいただくか。」


 瓶を掴み足を組みながら椅子にもたれる。


「では男爵。頂きます。」


 瓶を傾け口をつけた。


 バンッ。


 大きく音を立てて扉が開いた。


 何やら揉めているマルグリットとセリナ。


「お待ちくださいな!お嬢様!」


「ねぇ乳母。そろそろ退いてくれないかしら?」


 どうやら中に入りたいセリナを止めようとしているようだが、すでにその足は部屋に届いていた。


「旦那様申し訳ありません。」とマルグリットは部屋の中に向かって声をかけ固まる。


「だっ旦那様?!」


 マルグリットは机に突っ伏す男爵に駆け寄る。


 気まずそうにカイは瓶を下ろした。


「……小僧。」


 マルグリットの責めるような視線が突き刺さる。


 その視線を気にしている隙に瓶を横から奪われた。


 セリナだ。


 セリナは瓶を見てから、ゆっくり襟首を掴み顔を寄せ眉を顰める。


「……酒臭いわ。カイ?」


 今度は大きくため息をついてセリナを見た。


「男爵様のご厚意で御相伴にあがりまして……」


 セリナは瓶を机に置いて、胸を支えるように腕を組む。


「カイ……今後酒は禁止とするわ。良い?」


 カイは首を摩る。


「返事は?」


 セリナの声に圧を感じながらカイは頷いた。


「……お嬢様の仰せのままに。」


 いつの間に入ったのか。


 男爵の両肩を支え侍従たちが運び出している。


 その後ろをついて歩きながら、マルグリットがこちらを見て怒鳴った。


「ほんっと、とんでもない小僧だね!」


 そのマルグリットの後を追ってセリナも部屋を出る。


 一人残された部屋。


 机の上のわずかに残るシャンパンに手を伸ばす。だが届く前にカイはその手を引っ込めた。


 そして扉を見つめながら「厄日だな……」と呟いた。


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