美の探究録
男の声が部屋に響く。それは問いかけるように。
「貴族らしさとは何だ?それは血と教養だと、ある愚か者が言った。人は産まれながら格差を持っている。
貴族か。平民か。貧民か。
この世に生を受けた瞬間、それは人生最大の大博打だ。」
男は指を滑らせ文字をなぞる。
「貴族として産まれたら勝ち組だと。そして勝ち組だけが享受できるのが、教養。その日生きるのに精一杯な民とは違うのだ。貴族は文字や歴史などを幼い頃から学ぶ。更に品格を上げるために、乗馬、ダンス、剣術、楽器を嗜むのだ。貴族らしくあるために。」
男の口が弧を描く。
「誰も彼もが、あの愚か者と同じように日々を費やす。ああ、なんて嘆かわしい。ただ文字を眺めて、暗記する歴史の何が面白い?
男として地位を確約するために、乗馬や剣術に明け暮れて楽しいか?
女として良縁に恵まれるために、ダンスや楽器を覚えて幸せか?皆、貴族だからと囚われ過ぎている。決められたレールの上を歩くなんて、美しくない。合ってはいけない。」
頁を捲りまた文字をなぞる。
「だから私は、私の見た世界を通して伝えよう。ガチガチに固まった醜い固定観念を捨てて見せよう。このセヴラン・ド・アルジェンが。まずは――あの国の話からしようか。」
男は想いを馳せるように瞼を閉じた。
その地は常に渇き、熱を孕んでいた。
馬車の扉を開けた瞬間、ムワッとする暑さに顔を顰めた。
だが、ここまで来て引き返す選択肢はない。
周辺の小国に手当たり次第、戦を仕掛けるような地だ。
殺伐としているのは織り込み済み。
ここまで辿り着くために、あらゆるコネと資金を費やしている。後戻りはできない。
セヴランは瞼を閉じた。
「"マンダ"……ああ、良い響きだ。それにしよう。」
両手を広げその空気を味わうように、深く深呼吸をした。
前から屈強な男たちが向かってくる。
総じて褐色の肌、黒髪。そして白い一本の線が刻まれた体。
「……あんたか。物好きな中央の貴族とやらは?」
「その通りだ。」
セヴランがまっすぐ男たちを見る。
男たちは顔を見合わせ「名前は?」と問う。
セヴランは胸を張った。
「私のことはこれより"セヴァン"と呼ぶが良い!」
黒いハットを軽く持ち上げて見せながら、鼻高々と名乗った。
最初は沈黙していた男たちは、顔を見合わせ次の瞬間、腹を抱え笑い出した。
それはセヴランが思った反応ではなかった。
首を傾げていると男たちが口々に囃し立てた。
「セヴァン?」
「セヴァンだとよ!」
「だっせぇ!」
「変な名前だな!」
男たちは止まらない。
セヴランはそれを遮るように「はぁ、野蛮人にはこの響きの美しさは伝わらぬか。嘆かわしい!」と声を張る。
野蛮人と云われ一人の青年が目くじらを立てた。
「あ゙ぁ゙?!」
今にも噛みつきそうな青年の肩を掴み、周りの男たちが首を振って止めにはいった。その内の一人、片目に傷のある男が前に出た。
まとめ役なのか。他の男たちとは明らかに違う貫禄がある。
束ねられた縮れた巻き髪が肩から垂れ下がっている。
「ああ、どうやら俺たちの国とあんたの国ではセンスが違うらしいな。」
その言葉にセヴランは眉を顰めながら返す。
「マンダにはピッタリなのに……芸術がわからぬ輩しか居ないのか。」
男たちは顔を見合わせ「マンダ?なんだそれ?」と嘲笑混じりに呟いた。
先程の傷の男が咳払いを一つすると、男たちは急に黙りこくる。
「……こっちは金さえ貰えば文句はない。あんたの観光案内役のジャバリだ。宜しく。」
セヴランはハットを軽く押さえながら「ああ、よろしく頼もう。」と答えた。
ジャバリが男たちに指示を出す。
「おら行くぞ!荷物を持ってやれ!」
男たちがキビキビ動き始める中で、先程の青年がジャバリに近寄る。
「良いんすか?こんなのの世話なんてまっぴらっすよ!」
その苛立ちを無視して、ジャバリが肩に腕を回す。
青年は固まった。
「指示に従え。世話をするだけで金になる豚だ。下手なことすんなよ。」
耳元で囁くジャバリの声は低い。
青年は「うっす。」と上擦りながら答えた。
ジャバリが青年から離れセヴランを見る。
「さあ、セヴァン。行こう。」
ジャバリが手招きする。セヴランは胸の高鳴りを感じながらその背について行った。
ついて行った先は小汚い土壁の小さな民家だった。
ジャバリは気にせず中へ入る。
セヴランが鼻をつまみながら辺りを見渡す。
埃と砂に塗れた部屋だ。
「退いてくんな!」
背後の声に驚き、セヴランが傍に下がる。
男たちがセヴランの荷物を手に中に入る。
床の上に雑に置かれる荷物を見ながらセヴランが口を開いた。
「平民でももっとマシな家に住んでるぞ?」
ジャバリを睨む。
「ジャバリと言ったな。まさか本当にここが私の宿だとは言うまいな?」
ジャバリは机の上を指で撫でる。
撫でた指の腹に向かって息を吹きかけると、ふわっと綿埃が舞った。
「おい、セヴァン様は綺麗好きだそうだ。お前ら軽く掃除してやれ。」
男たちが『おっす!』と声を揃えた。
そして指示通り中を磨き始める。
ジャバリはセヴランに近寄った。
「さすがに今は情勢が不安定でな。王都なんて以ての外。金を積まれても、あんたが観光出来んのはこの辺境くらいだ。」
ジャバリの言葉にセヴランは軽く頷いた。
それはもとより承知の話だった。
「小国を取り込むのに戦で忙しい。近隣のこの地も、宿という宿は兵士で埋まってんだ。俺たちが用意できんのは、空き家のここくらいだ。それでも不満か?」
ジャバリの声が一段と低くなった。
異論は認めないという様に。
セヴランはため息をこぼしながら「掃除だけはしっかりしてくれ。」と注文した。
ジャバリは「もちろん。」と笑う。
セヴランが眉を吊り上げる中、先程の青年が駆けてきた。
「兄貴!町で滞在中の小隊について聞いたら、アリーヤさんがいる隊だって……」
――アリーヤ?
セヴランは訝しみながら、ジャバリを見る。
ジャバリの瞳が鋭くなった。
「……王都の糞ども。アリーヤを前線にやる気か?」
苛立つジャバリに青年はおずおずと返した。
「いやでも兄貴。アリーヤさん化け物並みだし、大丈夫だろ。」
ジャバリが青年の頭を掴み睨む。
だがセヴランの視線に気付き、すぐさま離した。
これ幸いとばかりに「さーせん!」と叫んで、青年は中へ入っていった。
ジャバリはセヴランを見ずに告げる。
「セヴァン。あんたには悪いが、今日はここで大人しく休んでくれや。俺は用事ができた。」
ジャバリは返事も聞かずに歩き出した。
その背を見つめながら「……野蛮人の行動は読めぬな。」とセヴランは呟いた。
部屋の掃除が終わると男たちは撤退した。
男の一人が食事の約束と、家から出ないことを要求し出て行った。
一人残されたセヴランは椅子に座る。
まだうっすら埃が残る机を見つめ「どこが勿論だ。」と不満を溢した。
机の上に手帳とインクとガラスペンを用意する。
手帳を捲り最後の手記を探る。
捲る手が止まった。
手記には「まずは――あの国の話からしようか。」という最後の文。
それに続くようにペン先にインクをつけ、書き始めた。
――その国を私はマンダと名付け、セヴァンと名乗ることにした。今、意味を考えただろう?考えるんじゃない。
全てのものに意味をつけるのは悪癖だ。
今すぐやめたまえ。
これは私の流儀なのだよ。
話が逸れたな。
そろそろマンダの話に戻ろうか。
その地に入るのは、なかなか大変だった。
だが、君は知っているか。
剥き出しの人間の美しさを。
直接的な発言は品位がないと言っていたガヴァナーに見せてやりたいものだ。
自分は王子教育のために、王宮に呼ばれたことがあると鼻高々で何とも醜い奴だった。――
セヴランの手が止まった。
「剥き出し、か。」
自分の書いた文を眺めながら、ふと呟いた。
「……前線。」
ジャバリの言葉を思い出す。
「良い!良いぞ!そこへ行こう!」
口元が歪んでいく。
「せっかく来たのだ。見せて貰おうか。極限の中にこそ、本物の美が見える筈だ。」
セヴランは手帳を軽く掲げて笑った。
それはどこかおもちゃを前にした子供のように。
――そうだ、まだ足りない。マンダよ!お前たちの真髄は、こんなものではないだろう!
次の日、目を輝かせ要求するセヴランにジャバリは舌打ちをする。
「おいおい。東と比べ中央は、ずいぶん生温い国らしいな?俺は観光はこの町だけだと、昨日言った筈だぞ?」
その苛立ちを無視してセヴランは尚も要求する。
「何を言う。昨日君はこの辺境の地だけだと言っただろう。つまり町という限定ではない、少し町を出て前線を見るだけだ。問題ないではないか。」
ジャバリは「来い。」と短く命令して歩き出す。
この地に到着してから喉は渇くが、水は貴重だ。
軽くハットを抑えながら、セヴランは思い返した。
昨日食事の時に喉が渇くから余計めに水を要求すると、棘の怪物のような植物を差し出された。それの断面から滴り落ちる雫を指差し「それでも吸ってろ」と言って去って行った。
セヴランは喉を潤した。
初めての経験ほど胸躍るものはない。
あの恐ろしい見た目に反して、甘く水々しい果肉は忘れられない。
町の中心まで歩いただろうか。
急に鼻を擽る香ばしい香りが漂ってくる。
昨日の夕食でも香辛料をたっぷり使った肉料理が出た。
中央では高価だった香辛料を、マンダはその地位に関係なくふんだんに使っている。
これが美味でない訳がないだろう。
特産品だからできるのもあるだろうが、食品を長期保存する狙いもあるらしい。
味と利どちらも損なわない上手い調理法だ。
匂いの先を見ると、宿だろうか。
店先のテーブルに座る女を見たセヴランが、ハットを掴んでいた手をだらんと下ろした。
マンダは男も女も、磨き上げた自分の体に誇りを持っている。
重たい生地で体を隠すなんて以ての外、だから軽く薄い生地。それは変わらない。
だがその女はマンダで出会ったどんな男たちとも違う。
縮れた巻き髪を一つに束ね、しなやかで美しい褐色の肌に白い線の何と美しい。
「ああ、セヴァン。お前も愚か者の一人だったのだな……」
視線の先の女は人目も気にせず骨付きの肉に齧り付いている。
その曝け出された野生味を前にしたセヴァンは、雷に打たれた様に体を震わせる。
ジャバリが「おい!」と呼んで、テーブルを乱暴に叩いた。
女は「おお、ジャバリじゃないか!どうしたんだい?」と大きく口を開けて笑う。
セヴランはよろめきながらその間に割って入った。
ジャバリは驚いた様だが、関係ない。
「セヴァンだ……宜しく。」
その女は「可笑しな名前だねぇ!」と言って豪快に笑った。
セヴランは口元が緩むのを感じながら続ける。
「ジギー。ああ、ジギーが良い。本当に美しい……ジギー。私はどうやら君に恋をしたらしい。」と右手を差し出した。
何を言ってるのか分からなかったようだ。
アリーヤは片眉を吊り上げながら軽く首を振る。
「ジギー?誰だいそれ?そんな名前じゃないよ。私は。」
それでもセヴランは止まらない。
「ジギタリスからとったんだ。君に敬意を表して……ああ、ジギー。色んな女に恋をしたが、君のような女ははじめてだよ。」
うっとりした目のセヴランは、待ちきれなかったのかアリーヤの手を取った。
肉の油がついた手を何の迷いもなく。
アリーヤはギョッとしてジャバリを見る。
「ちょっと!ちょっと!勘弁しなよ!何なんだい?」
ジャバリは天を仰ぎながら「俺の依頼人だ。」と告げ……
その続きは破れて読めない。
男の指は止まった。
「殿下!殿下!居られますか!殿下!」
宮殿の中に木霊する声に、白金髪の前髪を揺らして男はため息をついた。
その手には頁の破れたボロボロの本。
何度も読み返した跡が残っていた。
男は残念そうに目を伏せた。
「ウタカタの次に好きなのだが……続きはどうしたんだ?セヴァン?」
バンッ!と部屋の戸が開く。
目の前にはズレたリベット眼鏡をした老人が息を切らしていた。
「殿下!」
それは責めるような声だ。
男は本を閉じて「何だい騒々しい。」と煩わしそうに老人を見た。
「ところでセルジュ。ズレてるぞ。」と言って鼻を指差した。
セルジュは慌てて直しながら詰め寄る。
「殿下!第一王子という自覚がおありですか?また籠ってそんな物を読んで!」
セルジュは掌を出す。
「いつもいつも!暇さえあればそんな物を!こちらで処分いたします!」
セルジュは掌を更に前に差し出した。
「此方に!さあ!」
男は本を片手に掲げる。
「なっ?寄越しなさい!」
セルジュは遥か頭上に掲げられたそれに向かって、飛び跳ねながら手を伸ばす。が、届かない。
「キー!!殿下ぁああ!!」
セルジュの鼻が真っ赤になって膨らむ。
せっかく直した眼鏡がまたズレているのを見て男は笑った。
「セルジュ。何度も言うが、王位には興味がない。私はこの世界を飛び回る冒険家になるんだ。」
「何ですとぉ!???」
セルジュが続けて叫びだすのを止めるように、部屋の戸が叩かれた。
その音にセルジュは飛び跳ねるのをやめた。だいぶ疲れたのだろう、その場にしゃがみ込む。
男の澄んだ紫の瞳が戸を射止めた。
男はまだ知らない。これから自分の運命を変える出会いをすることを。




