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【冤罪なし、反省ゼロ。溺愛の罰を召し上がれ】悪役令嬢、ヤンデレ王子に飼われ溶かされ壊される〜今さら謝られても、もう一生離さないよ〜  作者: 重井 愛理
五章

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57話:恋慕の時

 王宮の裏山で、私は木々の間を駆けていた。

 極寒の風が、肌着しか纏わぬ私の身体から容赦なく体温を奪っていく。


 この森は、ソフィーたちの育った孤児院の近くにあったそれとは、桁違いの広さだ。こうなってしまっては、彼が私を見つけることは容易ではない。


 一歩踏み出すごとに、素足が雪の振り積もった大地を踏み抜き、落ち葉の下の鋭い小枝や石が肌を傷付ける。息が上がり、冷気が肺を刺す。

 感覚を失った足先は、すでに自分の身体の一部とは思えない。ただ慣性に従って、泥濘を跳ね、腐りかけた苔を蹴り、漆黒の迷宮を彷徨い続ける。


 ――アリエル。


 幻聴だろうか。風の唸りに混じり、私を呼ぶ声が聞こえた気がした。

 立ち止まることは死を意味する。心臓の鼓動を耳元で聞きながら、私はもつれる脚をさらに前へと突き出した。


 その時だった。


 森の外縁を、轟音と共に爆ぜる朱赤が埋め尽くした。草木から一斉に火の手が上がる。それは単なる延焼ではない。意志を持った獣のように、円筒状の巨大な(カーテン)となって、私と外の世界を完璧に断絶させた。


 遠く、天を衝く炎の壁が揺らぐ。違う。揺らいでいるのではない。縮まっているのだ。


 熱風が音を立て、朱赤の円筒は徐々に、その直径を小さくしていく。


(これは……あの人の……!)


 その事実に気づいた瞬間、背筋に冷たいものが走った。この森すべてを包囲し、一寸の隙もなく縮めていく、暴力的な焔の能力。


 けれど、これだけの規模だ。彼だって無尽蔵ではないはず。

 体力を消耗して、火が消えるのを信じるしかない。


 私は踵を返し、炎から逃れて森の中央へと、再び走り出した。

 背後から迫る熱波が、私の髪を、肌を焦がす。感覚の消え失せた足で、ふらつき、転び、それでも這うようにして、わずかな闇が残る場所を目指した。


 炎は私が追い込まれていくのを嘲笑い、ゆっくりと迫る。やがて、木々が開け、視界が青白く染まった。

 目の前に広がっていたのは、巨大な氷の回廊だった。いつか来た、凍結した渓谷が成す天然の参道だ。


 脳裏で、かつての彼の言葉が蘇る。


『冬にしか現れない洞窟だ。いつか君に見せたいと思っていた』


 停止した滝の横を抜けてたどり着いたのは、猛る炎の咆哮さえも届かない洞窟の最深部。


「……っ、は、あ……っ」


 激しい運動で噴き出した汗が、極寒の気に触れた瞬間、反転する。濡れたシュミーズの重みが急速に身体の芯まで達し、感覚が遠くなっていく。奥歯がガチガチと鳴り、呼吸さえも白く硬直した。


 意識の混濁に抗いながら、私は救いを求めるようにして、胸元へ手を伸ばした。フロストリアスの凍える夜を何度も越えさせてくれた、あの硬い感触を確かめるために。


 けれど、指先が掴んだのは、薄い布切れ越しに伝わる、自分の粟だった肌の冷たさだけだった。


(私は今さら何に縋って……)


 虚空を握りしめたまま、心臓が凍土に叩きつけられた。

 

『君たちに王家の証を与えたのは、大きな間違いだった』


 君”たち”?


 刹那、蓋をして奥底に封じ込めていた考えが頭をよぎった。


 ――イヴはなぜ命を狙われたのだろうか?


 血を流し崩れ落ちるイヴの顔。スカーフを留めるトパーズのリング。


 そうだ。イヴを危険に晒したのは。


 私は欲張りだ。最期にイヴに会いたいなどと。思い返せば、断頭台で死ぬはずだった私はこの王宮で、彼女に再会できただけで十分すぎるほどに幸せだった。

 死すべきは、最初からずっと私だけだったのだ。


 溶けゆく氷の洞窟に、陽炎のように過去が揺らめいた。

 処刑場に現れ私を攫ったときも、逃げ出そうとして崖から落ちた私を庇い怪我をしたときも、二人で美術館の絵画を覗き込んだときも、二人でピアノを奏でたときも。そして、イヴのための贈り物を一緒に選んだときも。


 彼はいつだって、執拗なまでの愛の言葉で私を満たし、優しく撫でてくれた。一度だって私を傷つけたことはなかった。


 ――私は、この人の純粋すぎる愛を、独りよがりの猜疑心で汚し続けていただけだった。


「…………」


 眼前に迫る包囲網。炎の帳を開くことなく力任せに引き裂き、彼が姿を現した。煤にまみれ、肩で荒い息を吐くその姿に、かつての高貴な余裕はない。ただ、愛しい者を喪う恐怖に魂を削られた、一人の男の形相がそこにあった。


 彼はよろめきながら私を掻き抱き、凍死の淵にいた私の身体を、自らの胸板へと埋める。


「よかった……間に合って、本当によかった……」


 震える声と共に、熱い涙が青ざめた頬を濡らした。

 彼は迷わず外套も上着も脱ぎ捨て、シュミーズの上から、自らの体温が残る衣を幾重にも私に巻きつける。剥き出しになった彼のシャツの下、激しい鼓動が直に伝わってきた。


「ルイス様、私は――」


「いい。帰ろう。僕の、僕だけの愛しいアリエル」


 灰の雪が舞う中、ルイスはすべてを赦すように、あるいは、赦しを請うように、私の存在を抱きしめ直した。

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