53話:清拭の時
夕刻、外界から隔絶された部屋に、香ばしいコンソメスープの香りが立ち込める。
ルイスは私を片時も離そうとはしなかった。人として尊厳を伴う汎ゆる行為において、彼は執拗なまでの献身をもって私をその視界に閉じ込めていた。
下ろした赤い前髪の隙間から、褪せた金色の瞳が絶えず私を射抜く。
「食べるんだ。君がここで朽ちることを、彼女も望んではいないはずだ」
差し出されたスプーンを、私は機械的に受け入れ、喉の奥へと流し込む。
かつての私なら、手のひらが触れるだけで、あるいは視線に晒されるだけで、羞恥と快楽の溜息を漏らしていただろう。支配に従順だった私の身体は、悦びの音を奏でるように仕込まれていたはずだった。けれど、翻弄され甘く蕩けた震えは、もうどこにもない。
今の私は、脳内で復讐を果たすため彼の目を盗む方法を考えながら、供給される養分を飲み下す装置に過ぎなかった。
「よく頑張ったね。偉いよ、アリエル」
彼が私の唇を拭い、耳元で囁く。
食事を終えて暫しの時間が過ぎた後、早速好機は訪れた。
彼はわずかに悩む素振りを見せてから告げた。
「君の肌は穢れることなどない。いつだって清浄だ。……だが、未来の君が、僕の腕に抱かれた日々を恥じないで済むように」
ルイスは生気を欠いた私を赤子のように横抱きにすると、浴室へと運んだ。
雷の国の港からフロストリアスの王宮までの旅路を考えれば、確かに最後に身を清めてから長い時間が過ぎている。彼は本気で信じているのだ。この軟禁と世話は、私の誇りを守るための防衛策だと。
彼は湯浴みの準備をしていたマヤを下がらせると、自ら私の傍らに立った。
3つ目の罰が始まって以降も肌着の先が暴かれることはなかった。しかし、これからは脱衣すらも、彼の監視のもとで行われるらしい。
羞恥心と復讐心の大小など比べるべくもない。
ネグリジェの袖に手をかける。その瞬間、視界の端に洗面台の椅子が入り込んだ。
イヴが愛おしげに私の髪を乾かしてくれた椅子。視線を上に逸らすと、鏡に乱れた長い髪が映った。
『お姉様の髪、本当に綺麗』
髪に触れた彼女の柔らかな指先の感触。年相応の可愛らしい笑い声。
息が止まる。静まり返った浴室の奥から、天井から床に向けて落ちる微かな水音が響いた。清冽な音は、イヴの腹から溢れ出した鮮血が船の甲板へと滴り落ちた、忌まわしい音へと変貌する。
「ああ……あああああああ!!」
喉を引き裂くような叫びが、湿った壁に反響した。
イヴ、イヴ、イヴ。
彼女との思い出を前に、冷徹を装った決意は容易く決壊した。
「アリエル!!」
叫び声が消えぬうちに、背後にいたルイスの強靭な腕が、崩れ落ちる私の身体を支える。
彼はガタガタと歯を鳴らして震える私を抱き上げると、再び私室へと連れ戻した。
部屋の隅、湯気を立てる真鍮製の大きな桶に、彼は清潔な湯を張らせた。
ルイスは私をベッドの端に座らせると、自らも背後に腰を下ろし、背中から包み込むように私を支えた。桶を視界の外に出し、厚手のタオルを湯に浸す。固く絞ったタオルの熱を自らの手の甲で何度も確かめてから、彼は私の手に押し当てた。
「熱くはないかい?」
「…………」
「そうか……」
彼は、私の頭を自分の肩に預けさせ、正面に回り裸体を直視するようなことは決してしなかった。ただ視線を伏せ、指先の感覚だけを頼りに、まるで捧げ物に触れる手つきでタオルを動かしていく。
顔から首筋、そして指先から脇へ。彼は肌着の下にも躊躇いなく、手を滑り込ませた。胸元も腹部も、一切の妥協を許さず、私の全身という全身を、その掌で清める。
「足を上げて。……そう、上手だね」
言われるがままに膝を折ってベッドの上に乗せる。
全身を、晒されている。
全身を、触れられている。
それなのに、私の内側は凪いでいた。
開いた瞼には何も映らない。意識は、あの湿った地下室の土の匂いや、イヴが髪を洗ってくれた時の陽だまりの温もりの中を彷徨い、この寝室には戻ってこない。
足の裏、指の間まで拭き終え、下着の中へとその手が及んでも、彼に邪念はなかった。
彼は極力、直接指が肌に触れないよう、タオルの厚みを介して私の身体を清める。だけど、関節を曲げ、足を持ち上げるたびに、どうしても彼の指先が私の太ももや腰の曲線に触れてしまう。
瞬間、彼の指がわずかに強張るのが分かった。
「少し、腰を浮かせるかい?」
彼の手が、私の腰に結ばれた紐を解き、穿いていた乾いた下着を引きずり落とした。シーツの上を布地が滑り、足首を通り抜けて床に落ちる。
新しい下着に足を通させ、それを腰まで引き上げる際、長い指が私の腰骨を掠めた。衣擦れの音と、押し殺した彼の吐息だけが響く。
清潔な衣類に包み直され、整えられていく私の身体。
すべてを終えてもなお、彼は私を放さなかった。背後から抱きしめたまま、私の肩に顔を埋め、届くはずのない謝罪を私の肌に刻み続けていた。
「すまない……アリエル。……すまない…………」
彼はそのまま、私の冷え切った肩を抱き寄せ、昨夜と同様に添い寝を始める。
その温もりに安堵することさえ許されない罪なのだと知りながら、私は闇に光る赤い星を見つめていた。




