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【冤罪なし、反省ゼロ。溺愛の罰を召し上がれ】悪役令嬢、ヤンデレ王子に飼われ溶かされ壊される〜今さら謝られても、もう一生離さないよ〜  作者: 重井 愛理
五章

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52話:劫火の時

 イヴがいない。


 あんなに温かかった隣の温もりが、今はもう、凍てつくような冷気を放つのみ。


 広すぎる天蓋付きのベッドで、私は独り、震えていた。壁際を見れば、彼女が持ち込んだドレスとバッグがある。ドレッサーの上には、化粧道具が整理整頓されている。目を閉じれば、シトラスの香水の残り香。そして、最後に見た血の気を失った静かすぎる顔が蘇る。


 積み上げ直すと誓った絆も髪飾りも、虚空へと消えてしまった。


 張り裂けそうな痛みに耐えかねて、胸元で拳を握りしめる。指先に触れる硬い感触。身に着けていることさえ忘れていた指輪のネックレスだった。


 ――「もしまた辛いことがあれば、いつでもおいで」

 脳裏に響いたのは、数日前に聴いた呪いのような、けれど唯一残された救いの言葉。


 私は気づけば裸足で廊下を走っていた。向かったのは、王宮の奥まった場所にある一室。

 扉の両脇には衛兵が控えている。彼らは剣に手をかけて私の姿をじっと見つめた。


「何人たりとも通すな、と命を受けています」


 今の私の脳では言葉の意味を処理できない。

 彼らの制止も構わず扉にすがりつこうとした、その時。”私の影”がずるりと立ち上がり、中から人影が現れた。


「彼女を通してください。責任は私が取ります」


「しかし…………いえ、マヤ様がおっしゃるのでしたら……」


 衛兵は顔を見合わせて逡巡した末、扉を半分だけ開いた。私が部屋に入ると同時に、扉は閉じられ外界から切り離された。


 この場所に来るのは二度目だ。一度目は、初めて王宮に連れられた日。でも何もかもが違っていた。カーテンは締め切られ、蝋燭の明かりもない。やがて完全な暗闇に慣れた目に映ったのは、粉々になった花瓶、傷だらけの調度品、切り裂かれ綿の露出したソファだった。


 寝台の上で横たわっていた青年は、突然の侵入者に警戒も興味も示さず、緩慢な動作で起き上がった。


「ルイス……様……?」


 彼は、私の声に反応し、深淵に誘われた亡霊のように虚ろな表情で手を広げた。


「また勝手に抜け出そうとしたのか……。おいで、僕のアリエル。五つ目の罰だ」


 掠れた声は、泣き出しそうなほど子供じみていた。

 私は吸い寄せられるように、彼の胸の中へと身体を投げ出した。漂ってくるのは、いつもの高貴な香水ではなく、焦げた匂いと、重たい絶望の香り。

 折れんばかりの力で背に回された彼の腕に抱きすくめられ、そのまま、乱れたシーツの上へと二人の身体を横たえた。


「……あ、あ……っ……う、あ……」


 私は彼の寝衣に顔を擦りつけて泣きじゃくった。



 ルイスはこれまで夜でも常にジャケットを羽織っていた。初めての寝衣越しの抱擁で、重なる脚の隙間から、熱と硬い昂ぶりが伝わってくる。

 彼は私を欲している。

 強大な渇望に、私は息を呑み、思わず身を強張らせた。きっとそれは、今の私を慰め、支配するためには最も簡単な方法なのだろう。豹変した彼に力でねじ伏せられたとしても、抗う術も、拒む理由も残っていない。


 けれど、ルイスが動くことはなかった。彼はただ震える私の背中を、大きな掌で子守唄のように一定の拍子で撫で続けた。


「身体が勝手をしてすまない。だが、僕の心は君を温めるためだけにここにある」

 

 肌を接しているからこそ分かる苛烈な欲望と鋼の自制。すべてを添い寝という形に押し込めて、私を暗闇から守る盾となってくれた。




 何時間、経っただろうか。

 私は、底知れぬ深い闇にいた。

 泣き疲れて途切れた意識は、安眠からは程遠い場所にいた。ふいに訪れたひっそりとした静寂に、イヴのいない空白の恐ろしさがぶり返し、真夜中に跳ね起きた。


「……ぁ、っ……」


 呼吸がうまくできない。あの瞬間は、網膜に克明に張り付いたままだ。

 直後、止まっていた彼の掌が、再び私の背を包み込んだ。


(ああ……ルイス様はずっと起きて……)


 私が安らかな眠りに落ちるまで、幾度でも、幾度でも、私を現世へと呼び戻す。


「大丈夫だ、アリエル。……僕がいる」


 優しくも残酷な響きに守られて、私はようやく、夢の中へと逃避することができた。




 ――翌日。

 窓を覆う帳の隙間から、冬特有の淡い光が零れていた。それが、早暁の光か、あるいは停滞した昼時のものかすら判然としない。

 瞼を持ち上げた私の視界に、いまだ私を腕の中に閉じ込めたままの、ルイスの端正な横顔が映り込んだ。涼やかな目元には、薄い隈が刻まれている。


 首をひねって壁掛け時計に目をやると、既に時刻は正午を過ぎていた。本来であれば、彼は装いを整え、次期王位継承者としての執務に向かっている時間だ。


「……ルイス、様。……お時間は、大丈夫なのですか?」


 ルイスは私の髪にゆっくりと指を通した。


「公務はすべて延期するとマヤに伝えてある。急ぎの件も、ジェラルドに代理を任せた」


「ですが……」


 彼は常に、民の期待を背負い理想を体現する象徴として、公務に身を捧げていた。

 私の弱さが、彼の誇りを放棄させたのだ。私の震える唇を、彼は人差し指でそっと塞いだ。


「君より優先すべき公務などない。……あの日、傍に居てあげられなくて、すまなかった」


 世界がどう動いていようと、今この部屋には、彼と私という共犯者以外、存在しない。


「僕は……弱い。だからお願いだ。僕の目の届く範囲から二度と離れないでくれ……」


 悲痛な願いに、私の内側で何かが、どろりとした熱をもって沸き立ち始めた。


(……許さない。絶対に)


 私のイヴの命を奪った者が、どこかで笑っているのだとしたら。

 そこに思考が至った瞬間、胸の中で火花が散った。悲しみに負けて放心している暇など、私にはない。”罰”を受け入れ、彼の温もりに溺れたこの夜も戦支度だと思えばいい。


 奴らには必ず代償を支払わせる。同じ絶望の淵に引きずり込み、血の涙を流させてやる。


 私は彼の胸に顔を埋めたまま、激しく燃え盛る報復の炎を飼い慣らした。

 大義も使命も燃やし尽くす炎を――。



 彼の服を握りしめて小さく首を横に振る。

 彼は、私のネグリジェの襟元の生地をつまみ、押し下げた。そして、露わになった鎖骨の少し下、私の胸元に唇を押し当てた。深く、長く、脈打つ鼓動を確かめるかのように。

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