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断罪された悪役令嬢は、なぜか隣国の美しい王子様に支配され溺愛されます。【※ただし、冤罪ではない】  作者: 重井 愛理
二章

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17話:解錠の時

 翌日14時、ルイスの執務室。

 私は時計を見て、唾を飲み込んだ。


「定例会議の時間だ。」


 ルイスは執務席から立ち上がった。肩に置かれた手は、私をこの場に留め置こうとするように重たい。けれど、余裕に満ちた声で言った。


「アリエル。僕は君の尊厳とプライバシーに最大限の配慮をしているつもりだ。だから、世話役も極力マヤだけに任せている。」


 一瞬の沈黙が流れる。

 そう。今日はそのマヤがいない。つまり、脱獄計画を実行する絶好の機会だ。

 私は彼の目を見て、次の言葉を待った。


「もし今日、無駄な企てをするようなら、これからは監視を厳しくせざるを得ない。聡明な君だ。僕の言いたいことは分かるね?」


 さっぱりわからない。今日、私は逃亡を成功させる。”これから”で脅す意味があると思っているのだろうか。


「ええ。承知しておりますわ。」


 私は笑顔の仮面を顔に被せた。




 彼の足音が執務室から遠ざかるのを確認すると、私は躊躇なく絨毯の上に這いつくばった。

 座っていたソファから執務席のデスクまでの距離は数メートルだ。


 私の両足には、針のように細いヒールが、足枷として嵌められている。まずは、この靴の鍵を、デスクの引き出しから奪う必要がある。足首を締め付けるストラップが、使命と自由への渇望を駆り立てていた。



 公爵令嬢として、いかなる場でも優雅に立ち振る舞うように厳しく教育されてきた。新品のドレスを纏い、背筋を伸ばし、視線は常に正面。それが私の矜持だった。

 床から仰ぎ見る世界は、壁も棚もせり出しているかのような圧迫感がある。過去の自分に、『実体験をもって識ることになる』なんて話しても信じてもらえないだろう。

 だが、今の私には矜持よりも優先すべきものがある。



 ヒールの先で絨毯や家具を引っ掻いて跡を残してしまわないように膝を折り曲げた。そして、肘と膝を使い、音を立てないよう、細心の注意を払って前進した。絨毯の上を滑るドレスの布地が熱い。


 数メートル。それは、正常な足ならば一息で踏破できる距離だ。しかし、この状況では、屈辱と焦燥に満ちた無限の道程だった。

 汗が額からこめかみに伝う。それでも、少しずつ確実に、前に突き出した腕で床を掴み身体を引き寄せていった。



 ようやくデスクに到達した私は、膝立ちで引き出しに指を伸ばした。

 ダイヤルキーには4つのゼロが並んでいる。几帳面な彼のことだ。ロックするたびに揃えているのだろう。思えば、王宮に来てから、ルイスの為人にも詳しくなったものだ。そんなこと知りたくもなかったのに。


 ダイヤルに入れる数字にはいくつか候補がある。

 私は、手始めに、ある日付を4桁の数字として入力した。しかし、重いダイヤルは沈黙したままだった。


 幼き日の思い出。どうやら彼にとって”これ”は、無意味な数字の羅列に過ぎないらしい。まぁ別に私だってどうでもいいんだけれど。


 私は、機械的に右手でダイヤルを回し、他の候補の数字を順番に試していった。結局、彼の愛はその全てを拒み続け、内側をさらけ出すことはなかった。


 秒針の音が五月蝿い。無情に過ぎ去っていく時間が恨めしい。冷や汗が顎を伝い、絨毯に吸い込まれた。


 ふと目に入ったトパーズの指輪の輝きに、彼の言葉を思い起こした。


『君が僕から目を背けなければ、この鍵は簡単に開く。……まぁ逃がしはしないがね。』


(まさか、答えは――)


 震える指で、ダイヤルを元の数字に揃える。

 果たして。引き出しは音もなくするりと開いた。いや、開いてしまった。


 その瞬間、怒りと、それを上回る底知れぬ恐怖が、電流のように私を貫いた。


 彼は、鍵を巡る駆け引きに興じるために、私を挑発したのではない。きっと、逃げ出そうとした私を捕らえ、屈服させること自体を愉しんでいるのだ。


 それでも、使命のため立ち向かわなければならない。私は引き出しから、銀の鍵を掴み取った。



 時計に目を走らせる。ルイスが戻るまで、残された猶予はわずかだ。今直ぐに靴を脱いで逃げても、廊下で出くわすのが関の山だろう。

 私は再び床を這い、ソファへと身体を滑り込ませた。乱れたドレスの皺を素早く整えて、彼を待ち構えた。



 会議を終え、公務の顔のまま戻ってきたルイスが、私の顔をじっと見つめる。

 少しでも怪しまれて、引き出しを確認されると終わりだ。速さを増す心拍を誤魔化すように言った。


「ルイス様。長い会議、誠にご苦労様でございました。」


 彼は、デスクに向かわず私の隣に腰掛けた。手と手が触れ合う。お茶の時間を除くと、この場所で彼が私に触れるのは珍しい。けれど、大きな手は冷たいままだ。体温を奪われていくのを感じる。


「一人で寂しくはなかったかい?」


 胸郭を叩いていた心臓は急激におとなしくなり、代わりに全身に鳥肌がたった。


「ご冗談はおやめください。」


 私は白い息を吐いた。



 その時、ノックと共に化粧の濃い給仕人が入室した。


「殿下、お茶をお持ちしました。」


 彼女は、敵意を露わに私を睨みつけていた。そして、私に聞こえるようにルイスの耳元で囁いた。


「殿下。そちらの女性は、執務のお邪魔ではないでしょうか? 私がお部屋へご案内いたします。」


 彼は柔和な笑みを浮かべて拒絶した。


「いや、問題ない。」


 次の瞬間、彼女は小さく舌打ちをすると、故意に茶器を傾け、濃い紅茶を私のドレスに浴びせた。


「申し訳ございません!!私が、責任を持ってお着替えにお連れいたします。」


 彼女は口元を抑え、成功を確信したかのように醜く顔を歪めた。



 一方で、私も内心でほくそ笑んでいた。自分でティーカップを倒すよりもルイスに疑われるリスクが低いためだ。元々、ワードローブへ行くためにお茶をこぼすつもりだった。

 むしろ、今日の当番がソフィーなら心が痛む、と心配していたくらいだ。


「ありがとう。君はもう下がっていい。」


 彼の有無を言わせぬ命令に、給仕人は唇を噛み締めて執務室を立ち去った。




 ――数分後、衣装の間。


「誰か信頼の置ける使用人を呼ぼうか?」


「これは一人でも脱ぎ着できるエンパイアスタイルのドレスです。時間は掛かってしまいますが。」


 彼は疑う素振りも見せずに軽く頷いた。


「わかった。外で待っているよ。」


 彼が衣装部屋を出るやいなや、私はその場にしゃがみ込んだ。

 右足の靴の錠前に鍵を挿して回転させる。カチリと乾いた音が心地よい。私は、余韻に浸るまもなく次の行動に移った。

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