心痛
博士から真実を聞かされた後、今後の事について説明を受けた。まず、これからメイはずっと博士の部屋で過ごさせるとの事だった。理由としては花火大会の時のように、再び公衆の面前で倒れるのを避けるためということだ。いざという時に誤魔化すための博士のコネクションにも限界があるようで、今後の研究のために無闇に使いたくは無いのだろう。
その代わりに、博士は俺たちが二人きりの時間を過ごせるようにその間は研究は別の場所でしてくれるらしい。この部屋のような研究施設がまだ他にあるということに末恐ろしさを感じたが、その気遣いは素直に有難かった。必要な事項を言い終えると、博士は部屋を後にした。そして、俺とメイだけが二人、残される。
ベッドで眠っているメイをぼんやりと見つめる。その表情はとても穏やかで、規則正しく胸が上下している。メイは未だに浴衣のままだった。無機質な部屋に似つかわしくないその華やかな装いが現実感を薄れさせる。
残り少ない彼女との時間。その中で、俺がメイのためにできること。具体的なことはまだ思いついていない。しかし、最期まで俺は彼女と向き合い、寄り添うことを心に決めている。
そして、彼女との生活を笑って終えるんだ。
そんなことを考えていると、ふと彼女のまつげがピクリと動き、そして、ゆっくりと瞼が開けられた。
「メイ?」
「あ……たかゆき」
その眼はまだ夢にいるようにおぼろげで、今の状況を正確には把握できていないようだった。
「ここ、はかせのへやだよね、どうして」
「あ、ああ。メイさ、花火大会の途中で倒れちゃったんだよ」
「あ……」
俺は努めて明るく事実を告げたが、事のいきさつを理解した彼女はやはり悲しそうな顔をした。
「メイ、ずいぶんはしゃいでたからな。それに俺が最近いろいろ連れまわしちゃってたからさ、気づかない間に疲れがたまっちゃってたんだろうよ」
思わず偽善が口をついて出る。恐らく、彼女は自分の体に起きていることを知っている。だから、俺の言い訳のような口上は彼女にこれっぽっちも安心させてやれないだろう。
「たかゆき、ごめんね」
「ん?」
「せっかくかってくれたゆかた、よごしちゃった」
「そんなの洗えばいいんだし、お前がこうして……」
無事だったんだから、と言おうとして言い淀む。そんな自分に心底腹が立った。それくらい言えなくて、これから彼女と笑顔で過ごすことなんてできない。そんな俺の弱さを逆に慰めるように、メイが言葉を続けてきた。
「それにはなびも。ずっとまえにやくそくして、みんなたのしみにしてたのに」
「メイが気にすることじゃないさ」
「でも、あたしもすっごいたのしみだったの。それなのに、みれなかった」
「……とりあえずさ、ずっと汚れた服ってのも居心地悪いだろ。これに着替えろよ」
尚も事績を続ける彼女に対し、俺は何とか話題を逸らす。デスクにおいてあった着替えを手に取り、半ば押し付けるようにして彼女に渡した。
「でも……」
「いいから。着替えたら気分転換にもなるぞ」
「うん、そう……かも。ありがと」
僅かな微笑みに少なからず安堵する。そして彼女が着替えるのを待っていると、
「あ、あのね、たかゆき」
メイが頬を染めながら、もじもじと何かを言いたそうにしていた。
「ん?」
「その、きがえるから」
「あ!?す、すまん」
その言葉に慌てて椅子から立ち上がる。最近色々なことが起こりすぎて、男として当たり前のことが頭からすっぽりと抜けてしまっていた。
「俺部屋の外に出てるから、終わったら呼んでくれ」
彼女と同じように俺の顔も真っ赤になっているのだろう。そんな熱を感じながらすごすごとドアの方へ向かっていると――
「きゃっ」
突然、メイのか細い叫び声と、何かが倒れるような音がした。咄嗟に後ろを振り返ると、床に倒れ伏しているメイの姿があった。
「お、おい!大丈夫か!」
慌てて駆け寄り、抱き起す。
「ご、ごめんね。きがえようとしてたちあがったんだけど、その、ころんじゃった」
その言葉を聞いて、俺は博士の言葉を思い出した。今までと同じような生活はもうできない。それが無情にも目の前で具現している。彼女はもう、立つことすらできなくなってしまっているのか。
決して楽観していたわけではない、しかし、実際にそれを実感させられるのは相当堪えた。それは目の前で悲痛な表情をしているメイも同様であろう。
「……おいおい、なにドジやってんだよ!」
だからこそ俺は、務めて明るくふるまう。顔の筋肉を操り切れず、不自然な表情になっていることを自覚しながらも、俺は笑顔を作る。
「まあ病み上がりだしな。俺が手伝ってやるよ」
「え、ええ?」
「やっぱり、嫌か?」
「ううん……じゃあ、おねがいするね」
幾ばくかの逡巡するような表情を見せながらも彼女は頷いてくれた。
「よし、まかせろ。それに、ちゃんと目をつぶってるから」
ベッドに座らせたメイの背中に回り、目を閉じる。暗闇の中、花を生けるような丁寧な手つきで彼女を召しかえる。指先にメイの滑らかな肌の感触と暖かな体温を感じる。不思議と猥雑な感情は湧かなかった。やがて、自分でも驚くほどスムーズに事を終えた。
「おし、出来たぞ」
「……ありがと」
メイはそう言って、俺に体重を預けてきた。優しく柔らかな衝撃が俺の心臓を小さく揺らす。
「それと……ごめんね、ずっとだまってて」
急にメイがそんなことを言い出し、面食らう。しかしその謝罪が何に対してなのかは考えるまでもなかった。
「このまえ、たかゆきにあたしがいっちゃったこと、おぼえてる?ほら、じゅーすになにかまぜようとしたっていう」
「あ、ああ」
唐突に忌まわしい記憶が呼び起こされ、鼓動が早まる。その後ろめたい脈拍を抱きしめているメイに気づかれたくなくて、僅かに体をよじらせる。
「あたしきになっちゃって、たかゆきのかばんのなかみちゃったの。それで、せつめいしょみたいなのがはいってて、それにあたしのこともいろいろのってて、それで……しっちゃったの」
聞いているうちに俺はある事に気がついた。今まで彼女と俺のすれ違いについて、その原因は博士の説明で理解できたが、彼女がどういう経緯でその事実を知ったのかが分からなかった。しかし、今の彼女の説明で合点がいった。そして温泉旅行の日に彼女がなぜ俺を拒絶するような言動をとったのかも納得が出来た。
「こわかったの。これいじょうたかゆきとなかよくなったら、おわかれがもっとつらくなるんだって。それに、おわかれのことをしょうじきにいったらたかゆきはかなしんじゃうとおもって、だから……あんなこといったの」
語られる想いは、後悔と、俺への贖罪を内包していた。腕の中で小さく震える彼女の体は、それでも懸命に俺と向き合っていた。
「ほんとうに、ごめん。たかゆきのこと、すっごくすっごくきずつけて……ごめん」
「メイが謝ることじゃない。謝るのは俺の方だ」
そんな彼女に俺も、正直にすべてを打ち明ける。
「俺だってずっとメイの事傷つけてた。自分勝手にメイの気持ちを決めつけて、身勝手に言いたいこと言って。そんな俺を受け止めてくれたメイの気持ちに甘えてもっともっと突っ走って……もっともっと傷つけて」
自然と彼女を抱きしめる腕の力が強くなる。メイの首筋に顔が埋まり、柔らかな髪の毛からシャンプーの残り香と、微かな汗の匂いが鼻腔をくすぐる。血の通った色香からは確かな生命を感じられ、彼女が余命幾ばくも無いなんてとても信じられなかった。
「メイがたおれたときも、なんもできなくて。そのあとはかせにも色々言われて、もうメイと関わらない方がいいのかもしれないなんて思っちゃったりもした。でも……それでも、やっぱり俺はメイが好きなんだ。ずっと……そばにいたいんだ」
目から何かが溢れそうになるのを必死に抑える。どんなに心が泣いていても、絶対に悲しい顔はしない。彼女との思い出を悲しい物にしないために、俺ができることは何でもしようと思った。
「うれしいよ、あたしもすき。たかゆきのことだいすきだよ」
穏やかな口調でメイは言う。
「こうやって、たかゆきにぎゅっとされているだけで、すごくしあわせなきもちになるよ。たかゆきがそばにいるだけで、ほんとうにしあわせ」
「メイ……」
「でも、やっぱりはなびをみれなかったのはちょっとざんねんだったかも。きれいなはなびをたかゆきといっしょにみれたらって。あたしがあんなになっちゃったのがわるいんだけどね」
ばつの悪そうにメイが言う。軽口のようだが、その表情にはまだ、ひと夏の思い出を成就させられなかった未練が感じられた。それを見てある考えが頭をよぎる。
俺がメイのためにできること。残り少ない時間の中で、俺でもしてあげられることがあるじゃないか。このままずっと二人で寄り添っているのもそれはそれで有意義なことだと思う。でも、やっぱりメイの口から出たことを俺は実現させてあげたい。
俺がそんなこと考えながら、メイを抱きしめ続けた。
メイが静かに寝息を立て始めたのを確認したら、俺は彼女を起こさないようにそっとベッドを抜け出した。
俺は先ほどメイと話していて、あることを思いついていた。それは大したことじゃない。普通の若者の、ありふれた夏の思い出の一つ程度の事だ
しかし、そのありふれたことを俺は大事にしたいと思った。メイはそれを俺に教えてくれたから。さっきのまま、ずっと部屋にいてただ寄り添うだけでもそれはそれで良い時間になると思う。それでも俺は彼女との残り少ない時間は、そのありふれているけども、感動的で、楽しいような。そんな思い出にしたいのだ。
十神の部屋を出るとまとわりつくような熱気に出迎えられる。ほとんど深夜になっても昼間温められた都会の熱は、しつこいくらいに自身の存在を主張している。その熱に応えるように繁華街には人があふれていた。愉快そうな顔で闊歩する若者の集団は、何の不安も心配もなさそうで、まだまだ人生は始まったばかりで残された時間の事など頭の中のほんの小指の詰めほどのスペースも割いていないように感じられた。俺と全く正反対の気持ちに、思わずうらやましいような腹立たしいような複雑な気分になる。
そんな周りから浮いた心持で、周辺の24時間営業の店を探す。周辺の雑貨を取り扱っている店舗をスマホで検索する。すぐに結果が出る。目当てのものが買えそうなのはコンビニと、ディスカウントショップか。それらをすべて回って買えるだけ買い込もう。
場所と時間は既に決めている。先ほどメイと話していて、急に記憶の底から浮かび上がってきたのだ。
正直、運次第なところもある。それでも、その場所以外の選択肢は思いつかないくらい、良い場所を知っている。あとは……
「……」
しばしの間ケータイを握り締めた状態で立ち尽くす。行き交う人が俺の事を不審そうな目で見つめているのを視界の隅に感じながら、俺は迷う。果たして、それは俺が勝手に判断してしまっていいことなのだろうか。メイがどう思っているか、それによってメイがどう思われるか、他ならぬ彼女の気持ちを確かめなければいけないのではないか?
それでも、俺はあの二人を信用している。俺の話を疑うことなく、俺とメイのために、できる限りの事をしてくれると、確信している。冷静になれば思い上がりというか、相変わらず自分勝手極まりないが、それでも、メイと過ごす残りの時間に、宏太とゆりえには一緒に過ごしてほしいから。
「……よし」
俺は覚悟を決めて、スマホの通話ボタンを押した。




