撃沈
翌日、俺たちは残りの日程をこなした。旅館の健康的な朝食を堪能し、神社では各々の祈願を捧げ、湖上の船からの豊かな景色に癒され、とても充実した時間を過ごすことが出来ていた……俺以外は。
他の三人は楽しんでいた。しかし、当然のことながら俺は昨日のメイとのやり取りを引きずっていた。無論、表面的にはなんとか取り繕い、なんとか他の三人の楽しい気分に水を差すような真似はしなかった。ただ、俺の中の彼女のへの想いは不完全燃焼だった。
彼女はいつかある別れから、俺の告白を拒んだ。それは良い。彼女の言い分にまったくの異論はないし、むしろ俺も同じことを考えないでもなかった。しかし、それは状況についての話であり、事の本質ではない気がした。
朝からずっとその事を考えていた。そして四人での旅行が終了し、宏太とゆりえと別れた。俺たちはようやく二人きりとなり、最寄りの駅から自宅へと向かう道を並んで歩いている。
「……」
夕焼けで染まった帰り道を二人で歩く。周りから帰宅する小学生のはしゃぎ声や買い物帰りの主婦の袋が擦れる音が聞こえてくる。それぞれの人間が日常を歩む中、俺たちだけがそこから省かれたように沈鬱な空気をまとっていた。やがて重苦しい雰囲気に耐えかねたようてメイが口を開いた。
「……おなかすいたね」
「そうだな」
その声は取り繕ったような明るさが込められていた。返事とは裏腹に、空腹は感じていない。
「どこかで、かってかえる?」
「どっちでもいいぞ」
「たかゆきはどっちがいい?」
「うーん、どうだろうな」
俺の気のないリアクションに、メイは諦めたように口をつぐむ。再び訪れる沈黙を今度は俺の方から破る。
「なあ、メイ、昨日の話の続きだ」
「なんのこと?」
メイは惚けるが、俺の言葉を聞いた瞬間にメイの肩が一瞬震えたのを見逃さなかった。歩みを止めると、俺の動きにつられたように半歩前でメイも立ち止まった。そして背中越しに彼女に声をかける。
「誤魔化さないでくれよ」
「……ごまかしてなんか、ないよ。きのういったでしょ、あれがわたしのこたえだよ」
「俺、お前の気持ち、聞いてない」
俺の問いかけに、メイが振り返る。夕焼けを背負ったせいで彼女がどんな表情をしているのかがよくわからなかった。しかし、だったら言葉を使って確かめればいい。どちらにしろ、相手の気持ちなんて直接聞いてみなければわからないのだから。
「どうせ別れるからとか、そんなことは答えにならないんだよ。メイが、俺の事、どう思っているのかを聞かせて欲しい。それを聞くまで、引き下がらないからな」
想いのままを彼女にぶつける。一度覚悟を決めてしまえば、昨日言い淀んでいたのが信じられないくらい、すらすらと言葉が出てくる。
夕暮れをバックに、彼女は何かを堪えるように俯いた状態で震えていた。その悲痛な様子に少しだけ心が痛んだ。決して彼女を追い詰めたいわけでは無かった。ただ、誤魔化しのない真実の言葉が聞きたかっただけだった。それをこんなやり方しか取れない自分に嫌気がさす。そしてしばらくの沈黙の後、急に吹っ切れたようにメイが顔を挙げた。
「はあ、わかったよ。たかゆきがそこまでいうなら、いうね」
未だに、メイがどんな顔をしているのかは見えなかった。
「わたしにとってたかゆきは……」
メイがためるように息を吸った。それは次の言葉のために気持ちを落ち着けているのだろう。
そしてその内容に俺には確信があった。彼女からは好意的な言葉が紡がれるという。考えてみればひどく傲慢であるが今までの生活からしてみれば当然だと思った。メイの昨日の言葉は、俺を傷つけないためにあえて拒むような言い方をしたのだ。
だからこうして俺がなりふり構うことなく、その気持ちを引き出してやればいい。それが、俺が彼女にしてあげられる、いや、俺にしかできないことなのだ。俺が全力でぶつかっていくのだ。しかし俺の確信とは裏腹に、メイは全く予想外の言葉を発した。
「きもちわるい」
「……え?」
思わず馬鹿みたいに口を開く。
「さいしょはすごくたのしかった。たかゆき、いろんなことをおしえてくれて、いろんなところつれていってくれて、すてきなおともだちもつくってくれて。たかゆきとあえてよかったっておもってた」
呆気に取られている俺を差し置いてメイは続ける。
「でもね、とちゅうからきゅうにわたしをみるめがかわった。それからずっと、わたしのことへんなめでみてて、きのうだって、てとかにぎろうとしてきて」
次々と繰り出される言葉には全て心当たりがあった。いつの日か、不意にメイを女の子として意識した。それまでの保護者的立場から、色恋を含んだ関係性に踏み入った。女性として扱うようになった。そしてそれに付随して、メイに対して一喜一憂するようになった。
「わたし、しってるんだよ」
問い返そうとして、失敗する。喉がからからに乾き、肺から絞り出された空気が壊れた楽器のように不格好な音を口の中に小さく響かせるだけだった。
「このまえたかゆき、じゅーすにまぜてわたしにへんなもののませようとしてたでしょ」
「!」
頭を鈍器で殴られたような衝撃が走る。それは未遂に終わったといえ、俺が彼女にした最大の裏切りだった。 決して暴かれてはいけない罪を暴露され、俺にはもう何も考えることも、ましてや答えることもできなかった。
「たかゆき、こわいよ、おかしいよ」
もはや立っているだけしかできない俺に対して追い打ちをかけるように、彼女は言葉を浴びせる。
「げんぞうとのやくそくもあるし、もうすこしのあいだだけだとおもうから、なんとかがまんしようとおもってたけど、たかゆきがしつこいから、もうだめみたい」
もう少しの間という言葉だけが頭に響く。それは俺が大事にしてきて、そしてこれからも続けていきたいと思っていた事。しかしそれを、もう少ししか残されていない事を、まるで我慢するべきことという言い方がたまらなく悲しかった。
「……もう、もとのせいかつにはもどれないとおもう。だから、きょうで、げんぞうのところにもどるね」
恐らく絶望でひどい顔をしているであろう俺を見て、一瞬だけメイが辛そうな表情を見せた気がした。しかし、次の瞬間には元の表情に戻っていた。そして持っていた荷物を押し付けるように渡してくる。それを俺は黙った受け取る。こんなにも体に力が入らないのに、荷物を落っことしてしまうことがないのが意外だった。
されるがままの俺を見ないように俯いたまま、メイが最後と言わんばかりに呟いた。
「たかゆき、いままで、あり、が……」
最後に消え入りそうな声でそうつぶやいて、来た道を逆に歩いて行った。
そんなメイを見送りながら、今度こそ俺は何も考えることが出来なくなった。気づけば人目もはばからず、電柱の横で座り込んでいた。
自分の馬鹿さ加減に思わず笑いが出てしまう。勝手に盛り上がって勝手に勘違いして。自分勝手に言いたいこと言ったら、その実、相手からは気持ち悪がられてたなんてどんなピエロだ。いや、ピエロは観客を喜ばせるものだ。俺もメイも何も嬉しいことなどない。俺がやってたことはたんなる自慰行為だ。それを相手に見せつけて、気持ちよくなって、とんでもない変質者だ。
普段は自分の中で色々なことに区切りをつけられているつもりだったが、今回はさすがに堪えた。拒絶された苦しみと、独り相撲をしていた恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだった。
気づくと俺は、スマホを取り出して電話をかけていた。
『もしもし、貴之どうしたの?」
聞きなれた宏太の声。彼の穏やかな話し方はそれだけで傷ついた心をいくらか埋めてくれた。
「まあ、ちょっと話したくなってな」
『ん?あー、わかった。おめでと、貴之って行動力あるんだね』
「はあ?何の話だよ」
『で、さっそくのろけ話でもするつもり?まあ、他ならぬ貴之だし、聞いてあげるよ。あ、赤飯も買わなきゃ。もう貴之、だったら僕が家に着く前に電話してよ』
「だああ、なにわけわからんこといってるんだ」
的の外れた、いやそもそも的を設置し忘れてそれに気づかないまま矢を打ち続けるように、盛大に誤解をしたまま話を続ける宏太を制止する。
「その、振られた」
改めて口にすると、持ち直してきた気分が再び沈む。
『え、ええええええええ、な、なんでさ』
音声が割れるほどの大声を宏太は上げる。
「なんていうか、俺の勘違いだったみたいだ」
『か、勘違い?』
「その、べつに俺の事は全然、好きでも何でもないみたいで、むしろ……」
しかしそれ以上言葉を続けられなかった。トラウマとなってしまった言葉を俺の精神が意思と反してブレーキをかける。そんな俺の様子を電話越しに宏太は感じ取った様で、言葉を引き継ぐように喋り始めた。
『そ、そっか……僕から見てどうみても脈ありっぽかったけど、女心ってわかんないもんなんだね』
「まあな」
『ちなみに、メイさんは今どうしてるの?」
「あ、ああ、元々住んでた家に戻っていった」
『実家に帰らせてもらいますってやつだね』
不意の質問にとっさにそれらしき嘘をついたが、宏太は特に気にする様子もなく軽い口調だった。恐らく俺が思いつめすぎないようにしてくれているのだと思った。
「なあ、俺はどうすればいいんだ」
『どうって?』
「そのままの意味だよ」
『それはつまり諦めていないって事?』
「どう……なんだろうな」
問われて、自問自答する。そしてあれだけ言われても俺はまだメイの事を諦めきれていないことに気づく。彼女に何と言われても、俺はメイが好きだし、こんな形で俺たちの生活が終わってしまうのは嫌だった。
『うーん、正直なところ、貴之が振られたのってある意味昨日僕がけしかけたせいでもあるし、友達としてはこれ以上はいい加減なことを言いたくはないんだよね』
「別にそんなことないけどな」
申し訳なさそうな声音に心の底からのフォローを入れる。あのまま悶々としてたらそれこそ俺は後悔していただろう。宏太のアドバイスは俺にとって感謝こそすれ、恨むなんてことはありえなかった。
『だからさ、こういうのは女子に意見聞くのがいいんじゃない?』
「……ゆりえか」
そういわれて一番の女友達の顔が浮かぶ。気兼ねなく、忌憚ない意見を言ってくれる彼女。確かにメイだって女の子だ。だったら女性にアドバイスを求めるのはとてもいいアイデアのように感じる。今までどうして思いつかなかったのだろうか。それにゆりえの世話焼きな性格は適任だと思う。
『うん、彼女ならメイさんと結構うまくやってたし、旅行で同じ部屋なんだから色々話聞けてるかもしれないよ』
「たしかに、そうだな。素晴らしい案だ。是非採用させてもらおう」
『また、貸し作っちゃったね』
「わかってるよ。必ず、返す。ほんと、ありがとな」
『うん、頑張って』
最後に宏太の励ましを聞いて電話を切る。一旦一息をつく。改めて宏太に心の中で感謝の言葉を述べてから、再びスマホを開きゆりえに電話をかける。
『もしもしー?』
数コールの後、明るい声が鼓膜を震わす。
「ごめん突然。今ちょっといいか?」
『いいけど、どうしたの?あ、わかった。おめでとう!告白早々のろけ話とは中々見せつけるわね』
「……それ、さっきもまったくおなじやりとりしたから」
示し合わせたように同じ反応を返されて苦笑する。
「まあ告白ってのは正解だ。だけど、その、振られた」
『え、ええええええ』
再び既視感を覚えながらも俺はゆりえにことのあらましを話す。俺の話に適度な相槌を打ちつつも、電話の向こうからは納得のいかなさそうな雰囲気を感じる。
『あんた、それ本当?』
「こんな嘘ついてどうする」
『まあ、そうなんだけどさ』
状況を整理しているのか、ゆりえは少しの間考え込むように口を閉ざした後、 まるで複雑な計算式を解いて、解答が1になった時の口調でゆりえが言った。
『やっぱり、おかしいわよ。あのね、昨日あの子と温泉に入ったときなんだけどね』
「ああ」
『まあ、そういう話になったわけよ。所謂、恋バナってやつ?それでさ、私、あんたとの事を色々聞いてみたのよそれでね。そしたら出てくる出てくる、あんたとの楽しい思い出が。もう本当に付き合いたてのカップルかってくらいに、本当に楽しそうに話すんだから。で、もう直球で聞いたのよ。貴之の事好きなのねって』
その先の言葉に俺は少しだけ怖くなる。あんだけこっぴどく振られたのだから、話の流れでわかっていてもどうしても悪い方向に考えてしまう。 そして今度は俺の予想通りの答えが返ってきた。
『好きだって。本当に大好きだって。もう、顔真っ赤にしちゃってさ。こっちが困っちゃったわよ』
ゆりえの話に心の中に余裕が生まれる。しかしそれと同時に、今度は別の疑問が湧いてくる。
だったらなぜメイは俺の告白を断ったのか。もちろん、俺たちはいずれ別れることになるからという理由は既に彼女から聞かされている。納得もできる。しかし、だからこそ俺は彼女の気持ちを聞かせてほしいといった。そしたら……あんなことを言われた。
わからない。実はあれが本心で、ゆりえに嘘をついたのか?いや、それはないと、思う。そんなことをしても何の意味もないはずだ。だったらなぜ。
そして、今更な事実が俺の中で、顔をのぞかせる。それは彼女の出自。……人造人間という存在。人ならざるものという、事実。それが彼女のあの態度の真相だとしたら……?
「もしもし?ちょっと、聞いてるの?」
「あ、ああ、すまん」
いつの間にか黙り込んでしまい、それをゆりえに咎められる。頭に浮かんだ考えを一度横に置き、ゆりえの話に耳を傾ける。
『……もう。でね、だったら付き合っちゃえば?っていったのよ。告白して、たぶん貴之もまんざらでもないと思うからって』
「お前、しれっと何勝手なこと言ってやがる」
『まあまあ。でね、そしたらさ、メイちゃんが急に悲しそうな顔になっちゃってさ』
「悲しそうな顔……」
『自分と貴之は、これ以上仲良くなっちゃダメなんだって。どうしてって聞いても答えてくれないのよ。そこからはなんか暗い雰囲気になっちゃって、私もどうしたもんかと思っちゃってさ、結局それ以上は深く聞けないまま、あたしも無理やり話題変えてなんとか明るい雰囲気に戻って、ホッとしたわけよ。でも、あんたが振られるなんてねー。もしかしたらあたしがしつこく聞くもんだから、はぐらかしたかっただけなのかもって思ってたんだけど』
ゆりえの話を聞いて、さきほどの考えはを確信を帯びる。それが、彼女が俺を拒む理由。
「あんまり無責任なことは言えないけど、もう少し頑張ってみたら?メイちゃんが貴之の事を好きなのは間違いないんだからさ」
ゆりえが後押ししてくれる。そんな彼女の言葉に勇気をもらうと同時に、言いようのない罪悪感を感じる。ここまで親身に本音で話してくれたゆりえに、俺は真実を話していない。もちろん宏太にも。そんな自分の不義理さが、恥ずかしかった。
しかし、尚更俺は立ち止まるわけにはいかなくなった。
「そうしてみる。傍から見たら諦めきれないストーカー野郎だよな」
『良いじゃない。恋愛に限らずそこまで本気になれるのって貴重よ』
意外にもゆりえは賛同してくれた。 なにせ、もう既に二回もこっぴどく振られているのだ。我ながら、引き際をわきまえていないと思う。それでも背中を押してくれた彼女の言葉に、本当に勇気が出る。
「おまえがそういうこといってくれるのも大分貴重だな」
『この貸しは大きくつくわよ?』
「まさか一回の旅行でこんなにも借りが出来ちまうなんて思わなかったよ」
『良い友達に恵まれたじゃない』
「お前が言うな」
皮肉を言いつつ心の中で宏太とゆりえに感謝をする。俺は本当に、良い友達を持ったものだ。
『じゃあ、そろそろいってあげなさいよ。場所はわかってるんでしょ?』
「ああ、ありがとなゆりえ」
『うん。頑張って』
そう言って俺は電話を切った。
思えば、俺は無意識に目を背けていたのかもしれない。初めてメイと会った日、その左右対称な美しさに、心を奪われた。それでいて、一緒にいるときの彼女は、どこまでも人間臭くて、たまらなく可愛くて。そんなメイに、俺は惹き付けられて、俺の生活は鮮やかに彩られて。
だから、好きになった。それだけのシンプルなこと。世の中ではありふれていて、しかし当人にとっては何よりも大切なこと。もう、俺の気持ちは決まっている。それ以外など些末なことだ。全て吹き飛ばしながら、ぶつけるだけだ。決意を強く握りしめながら俺は走り出した。




