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茫然

 今日は俺たち四人の夏のイベントの第二弾、温泉旅行へと訪れていた。一泊二日の初日は観光をしてから旅館に向かう予定で、行き先は温泉街の山頂の公園を観光に決定した。俺たちは麓のコインロッカーに荷物を預けて、身軽な状態になったところでいざ目的地に向かっている。久しぶりの観光と他の三人の盛り上がりに俺も否応なく気持ちが昂っていたが、道中のロープウェイにてその高揚感は一気に吹き飛んでしまった。

「うわー、すごい!ねえたかゆき、あそこもくもくってしてる!」

「ちょっと……あんま暴れんなって」

「すごいなあ、おっきいなあ」

 メイが楽しそうに眼下の景色を見下ろしている。窓の向こうではそれまでの濃い緑が頂上付近で急激に荒涼とした土気色に変わる。そのまるで巨大な生物に抉り取られたような斜面に、恐らく作業用であろう、無骨な石製の段差や通路、さらには鉄塔のようなものが設置されている。ところどころやや不釣り合いな黄色がかった箇所があり、そこから白い煙が絶え間なく立ち上っている立ち上っている。そんな普段の生活ではお目にかかることが出来ない迫力満点な光景に、例によってメイが興奮を隠せない様子だった。

「ははは、貴之って高いところ苦手なんだね」

「ほんと、かっこ悪いわね」

「う、うるせえな」

 思いのほか高さを感じさせる乗り物に、もともと高所恐怖症気味の俺は完全に恐怖で足がすくんでし余っていて、向かい側のシートに並んで座っている宏太とゆりえに煽られる。必死に言い返そうとするが、時折強風にあおられ俺たちの乗っているゴンドラが大きく揺れるせいで、結局好き放題言われるがままになっていまっていた。

 この状況、ほとんどの人間は眼下に広がる景色に感動をするだろう。しかし俺には景色なんかより、真下の地面との距離と自分たちをつるしているロープの耐久性にしか意識が行かない。

「ねえねえ!すごいってほら」

 外が見えないように必死に床を見つめている俺の肩をメイが揺する。

「ばか、揺らすな」

「メイさんの前なんだからもっとかっこいいとこ見せないと」

「そうよー、孝之、男でしょ」

「そんな余裕はないし、性別は関係ない」

 海水浴に行ってからというもの、宏太とゆりえは俺とメイの関係性を突っつくことが多くなった。水着で狭い浮き輪の中で抱き合っていたのだから仕方ないといえば仕方ないのだが、正直あんまり言われるとこっちとしても気恥ずかしくなってしまうのでほどほどにしてもらいたいものだ

「ほらあ、そんなんじゃお姫様を守れないわよ」

「地上に降りたらいくらでも守るさ」

 俺はそんなまるで中学生のような冷やかしを軽く受け流す。今は落下に対する恐怖に俺の心は支配され、他の感情が差し込む隙間はない。ある意味不幸中の幸いという奴だろうか。

「はあ?じゃあ空中でメイちゃんが暴漢に襲われてても同じこと言うの?」

「どんな状況だよ!」

「万が一の話よ」

「その可能性よりは、万が一ゴンドラが落ちることの方がまだ現実味がある。だから想定する価値無し」

「まあ、落ちたらその時は運命だったんだよ」

「そんな簡単に自分の死を受け入れるな」

「だから落ちないって」

「はいはい。これの事はいいから、お前たちだけで楽しんでろ」

「むー、いっしょにみたいのになー」

 俺のつれない態度にメイがつまらなそうな声を出す。普段だったらときめきそうなセリフも今の状況ではただの雑音に過ぎない。

 無心で耐えていると、一際強い風が俺たちの乗るゴンドラを揺らした。その揺れで不安定な座り方をしていたメイが俺の方に倒れこんでくる。シートの重心が移動し、ゴンドラが大きく揺れる。

「お、おまえ、ふふ、ふざけんなって」

 振り子のようなゴンドラの動きに肝を冷やす。思わず手を合わせ神へ祈りをささげる。肩越しにメイの物と思われる柔らかい感触が伝わるが、俺の心には何も伝わらない。今の俺はただ死の空中遊戯を乗り切ることだけに全神経を集中させていた。

「メイさん大丈夫?」

「もう、はしゃぎすぎちゃだめよ」

「ごめんなさーい」

 俺の極限状態などお構いなしに、三人は楽しそうだ。同じ人間とは思えない。

「あ、そろそろ着くみたいよ」

 まるで福音のようなゆりえの言葉に促されて、恐る恐る窓の外を見ると駅のような建物が見え、それと同時にかなり近くに地面があることを認識した。高所にいるという意識から解放されて一気に緊張から解き放たれる。

「ふう、やっと着いたな」

「まったくほんとみっともないのねあんた」

「俺にはむしろなんでお前らがそんな平気なのか知りたいよ」

「いやあ、良い怖がりっぷりだったよね。次からの旅行の楽しみが増えたよ」

「人の恐怖症で遊ぶんじゃない!」

 ゴンドラから降りて踏みしめる大地の確かな感触のおかげで、宏太とゆりえのいじりにも反応する余裕が生まれる。

 地獄からの生還ならぬ、天国からの生還を果たしたこと実感を噛みしめながら、しかしふと最悪な事実に気づいてしまった。

「これ……帰りも乗らなきゃいけないのか」

「そりゃ、そうね」

「はあ……」

 思わず肩を落とす。あの恐怖をもう一度とはどんな苦行だろう。観光とは楽しいものであるはずなのに、初っ端から神経がすり減らされた事に言いようのない理不尽さを感じてしまう。

 到着したばかりにもかかわらず帰りのことを考えてげんなりしていると、メイの明るい声が響きわたる。

「わーいついたついた!」

「あ、おい」

 雪の日に駆け出す子犬のように走り出したメイを追いかける。

 ロープウェイ乗り場を抜けると、そこには広大なパノラマが広がっていた。雲一つない青空を仰ぎ見るかのように無数の緑豊かな山脈が連なり、その向こう側にはひときわ高い山が全身に陽光をまといながら自らの存在を誇示している。そんな風景をバックにメイが子犬の様に走り回る。

「確かに、こりゃすげえ」

「怖がった甲斐があったね」

「お前は、いい加減しつこい」

「そんなのいいから、ほらメイちゃん追いかけないとはぐれちゃうわよ」

「ねー!こっちきて!なんかおいしそうなものがあるよー」

 メイが大きく手を振りながら叫んでいた。いつのまにかかなり先の方まで進んでいて、その左手は隣の建物を指さしていた。その先には「温泉黒たま館」と看板を掲げた土産屋があった。このスポットの観光客の土産事情を一手に担う店の様でその規模の大きさをいかんなく発揮し、遠目からでも店内にはかなりの人で賑わっているのが見えた。

「ねえねえ、これたべよ!」

 そんな繁盛している店舗の一角をメイが指さしている。その先に目を向ける。

「何々……『幸せの黒たまご』?」

 名前の通り黒いたまごが、土産用の売店カウンター内に山のように盛られている。売店の周囲にはそのやや不気味な色をした物体を食べている人が結構いて、中々の人気商品のようだ。

「まあ、小腹も減ったし買ってみるか」

「わーい、やったあ!」

 店員に料金を渡し、商品の入った袋を受けとる。小さめの紙袋に反してずっしりとした重みを感じながら、落ち着きなく俺を見守っているメイの元へ戻る。

「ねえ、みせて、みせて」

「おちつけって」

 急かすメイをなだめながら適当なベンチに並んで座り、二人して紙袋の中を覗き込む。袋の中から二つ取り出し、片方をメイに手渡す。

「すっごい、まっくろ!」

「ほんとだな」

 メイはその不思議な色の卵に目を丸くしている。まるで宝石を愛でるように、角度を変えたり日光にかざしてみたりする。そしてひとしきり観察し終えた後に、いざ食べようとしてその動きが止まる。

「ねえ、これどうやってたべるの?」

「ん、貸してみ」

 彼女の黒たまごを預かり殻をむくと中から真っ白な身が現れた。殻が黒いんだから、中身も黒っぽくなってるのかと思ったらそうではないらしい。若干拍子抜けしつつ、裸になった卵をメイに渡す。

「ありがと!」

 俺もたまごを口に入れる。味は普通の卵と違いが判らなかった。やはり、殻が黒いだけの何の変哲もないたまごだ。ただの卵を黒くしただけでこんなに売れるなんて、なんとボロい商売だ。そんなひねくれた考えを隣のメイは一切持つことなく、実に幸せそうにたまごを口に運んでいる。

「ねえ、このたまごすっごいおいしいね!」

「あ、ああ。ホントだな」

 二人してもそもそと温泉卵を頬張っていると、前から声をかけられた。

「なんか二人で美味しそうなもの食べてるじゃない」

 ゆりえだった。急いでメイを追いかけたせいで置いてきてしまったことを思い出し少しばつが悪い気持ちになる。

「まったく二人して先行っちゃうんだから」

「おいしいよ!ゆりえもたべて!」

「ああ、メイちゃんありがとー」

 ゆりえはメイから受け取った卵の殻を器用に向いて、中身を口に運んだ。思いのほか一口が小さくてなんとなく意外性を感じていると、最後の一口をこくんと飲み込んだゆりえが徐に口を開いた。

「それにしても二人とも仲いいわね」

「え?」

「私たちが遠くから声かけても聞こえてないし、今もこんなに近くまで来てやっと気づくなんて」

「あ、あのなあ」

「これは完全に両想いね」

「ば、別にそんなんじゃないって」

 最近増えた来た俺とメイをいじるゆりえの言葉。しかし実のところ、俺にとって悪い気はしない。最近自覚しつつあるメイへの好意が、認められたような気がするからだ。彼女が俺の事をどう思っているのかはわからないままだが、そんな微妙な距離感に俺は中学生のようにときめきを感じているのだった。

 ちらりと隣に座るメイを見る。すると、彼女は困ったように顔を伏せていた。その様子に俺はメイも同じ気持ちを共有しているのかもしれないという、淡い期待を抱いた。

「どうだか。ねえ、メイちゃんはどう?」

「え、っと、うーん、よくわかんないかも」

「おい、あんまりメイを困らせんなって」

「はいはい。余計なことして悪うございました、彼氏さん」

「だから、そんなんじゃないって」

「先行くわね~」

 ゆりえはほとんど確信をついたワードで俺たちを茶化した挙句、さっさと向こうの方へ行ってしまった。取り残される俺たちに何とも言えないむずむずとした雰囲気が漂う。相変わらず顔を伏せているメイに俺は、気を利かせて声をかける。

「ったく、あいつにも困ったもんだよな」

「……うん」

「よし、食べ終わったなら俺たちも行こうか」

 そういって席を立つ。そして彼女の方へ手を差し伸べる。

「ほ、ほら、行こうぜ」

 俺はさっきのゆりえの言葉に感化されていた。思い付きの紳士的行動に鼓動が高まり、顔が熱くなるのを感じる。手のひらを汗まみれにしながら、俺は彼女の手が重ねられるのを待っていた。

「うん、わかった」

 そして彼女は俺の手を取ることなく立ち上がり、そのまま横を通り過ぎて行った。

「え?」

 何が起こったかわからなかった。誰も出迎えることのなかった右手が虚空をさまよう。先ほどまでの浮いた気分は一気にどん底まで突き落とされていた。先ほどとはニュアンスの違う鼓動の高まりと、震え。ただの一歩も動くことが出来ずにその場で呆然と立ち尽くす。

「たかゆき?いくよ?」

 少し先にいるメイが声をかけてくる。その表情はいつもと変わらない、素の彼女のものだ。俺は先ほどの行動の真意が測れずにいた。

 目の前で俺を見つめる曇りのない双眸。日常の喜怒哀楽を雄弁に映し出して来たその水晶からは、ここ一番で俺にとって今一番しりたい彼女の気持ちは一切投影されていなかった。

「……悪い、今行く」

 心ここにあらずでメイとともに後の二人と合流する。

 その後の俺は、下山まで憂鬱な気分で過ごした。帰りに乗ったゴンドラは、恐怖を感じなかった。



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