謎の武器《鉄山靠》
ノアは扉の前で固まった。
四方へ砕け散った訓練人形の頭を見つめながら、ごくりと喉を鳴らす。
――……ちょっと勢いで来すぎたか?
扉が開いた音に気づいたリナは、真っ二つになった人形を片手で脇へ放り投げた。
そして、長い脚でまっすぐノアのほうへ歩いてくる。
すれ違う空気に、冷たく澄んだ香りが混じった。
リナはノアの目の前で足を止めると、上から下まで一度だけ眺めた。
「新人試験?」
「……はい」
ノアが少し硬い動きで頷く。
リナの視線が、細い腕や肩、まだ鍛えられていない身体を順番になぞっていった。
表情は変わらない。
「震えてるわよ」
「怖いなら、今のうちに帰ってもいい」
「無理をして冒険者になる必要はないから」
ノアはそっと顔を上げた。
清涼な瞳。
淡々とした声。
そして、その目にはほんの少しだけ、
――この程度で怖がるなら、最初から来なければいいのに。
そんな色が浮かんでいるように見えた。
「…………」
ノアの背筋に、ぞくっと何かが走った。
――この目。
――たまらんな。
一瞬前までの緊張が吹き飛んだ。
ノアは勢いよく背筋を伸ばす。
「怖くありません!」
「どうぞ!」
「思う存分、試してください!」
リナの眉がわずかに上がった。
「……そう」
彼女はくるりと背を向け、訓練場の中央へ歩いていく。
「新人試験は、大きく四つ」
人差し指を立てた。
「体力」
「武器適性」
「才能測定」
「最後に模擬戦」
ノアも後をついていく。
リナは淡々と説明を続けた。
「体力試験は、重りをつけて走ってもらう。基礎体力を見るため」
「武器適性では、何種類かの武器を実際に触ってもらう」
「才能測定は、そのままね。戦闘に使える素質があるかを確認する」
そこで一度言葉を切った。
冷たい瞳がノアを捉える。
「最後は私との模擬戦」
「魔力は一切使わない」
「純粋な体術だけで、三十秒耐えられれば合格よ」
「…………」
ノアは先ほど吹き飛んだ人形の頭をちらりと見た。
少しだけ口元が引きつる。
だが。
ここで引くわけにはいかない。
「分かりました」
「やりましょう!」
「よし」
リナは脇に置いてあった防具を一つ掴み、軽々と放り投げた。
「着て」
「おっと」
ノアが両手で受け止める。
次の瞬間。
「ぐっ!?」
予想以上の重さに身体ごと引っ張られた。
足がもつれる。
ガシャァン!
そのまま派手に転び。
よりにもよって、リナの足元へ倒れ込んだ。
「…………」
数秒。
ノアは無言になった。
――待ってくれ。
――一個目からこんなに重いのか?
だが。
その位置から、ふと上を見れば。
視界に入ったのは、リナの引き締まった足首だった。
訓練用のブーツに包まれた細い足。
きっちり締められた紐が、その綺麗なラインを際立たせている。
激しい訓練の直後なのだろう。
ブーツの履き口にはわずかに汗が滲み。
冷たく爽やかな香りの中に、ほんの少しだけ熱の残った匂いが混ざっていた。
「…………」
リナが見下ろす。
ふっ。
小さく鼻で笑った。
「これすら持てないなら、帰ったほうがいいわ」
「冒険者は遊びじゃない」
そう言って。
ブーツのつま先で、ノアの顎を軽く持ち上げる。
冷たい視線が、真上から降ってきた。
「十秒」
「その防具を着て」
「できなければ終了」
「…………!」
つま先越しに伝わる微かな冷たさ。
そして、鼻先をくすぐる爽やかな香り。
それが。
なぜか。
ノアの全身へ一気に活力を叩き込んだ。
「はい!」
ガバッ!
さっきまで地面に転がっていた男とは思えない勢いで立ち上がる。
重たい防具を持ち上げ。
腕を通し。
固定具を締め。
あっという間に装着した。
「…………」
リナが僅かに目を見開いた。
上から下まで、改めてノアを見る。
「……妙ね」
「体力はどう見ても弱いのに」
少し考える。
「根性だけはあるみたい」
ノアは胸を張った。
「ありがとうございます!」
――別の何かで充電された気もするけどな!
そうして。
最初の体力試験が始まった。
重装備のまま。
訓練場を往復する。
一往復。
二往復。
三往復。
「はぁ……っ!」
「はぁ……はぁ……!」
ノアの息は、あっという間に荒くなった。
元々の身体能力は平均以下。
《光属性適性》で多少改善したとはいえ、いきなり重装備を着て走り続けられるほど強くなったわけではない。
そして。
なぜか。
一往復して戻ってくるたび。
「うおっ!」
ズザァッ!
ノアはかなりの確率で、リナの足元へ転がり込んだ。
「…………」
リナの眉が寄る。
ノアは地面に倒れ。
肩で息をし。
もう限界です、と言わんばかりの姿を見せる。
だが。
数秒後には。
ガバッ!
「まだいけます!」
そしてまた走り出す。
「…………?」
リナは首を傾げた。
――何なの、この男。
――転ぶたびに妙に元気になるんだけど。
まさか。
何か特殊な才能でも持っているのだろうか。
転倒することで体力が回復するとか。
……そんな馬鹿な。
リナが真剣に考え込んでいる間にも。
ノアは走り続けた。
一周。
また一周。
ついに。
「っ……!」
最後の往復を終えたところで。
足が完全に力を失った。
そのまま前へよろめき。
どさっ。
またしても。
リナのブーツのすぐ前へ膝をついた。
両手を床につき。
「はぁ……はぁ……はぁ……!」
顎から汗がぽたぽた落ちる。
さすがに今回は、すぐには立てなかった。
リナはそんなノアを見下ろした。
ほんの少し。
目つきが変わる。
「……驚いた」
「本当に最後まで走り切るとは思わなかった」
少し間を置き。
声が、最初より僅かに柔らかくなる。
「合格」
「少し休みなさい」
「次へ進むわ」
そう言って。
リナはその場を離れた。
ノアは。
そのまま仰向けに倒れ込んだ。
大の字。
全身が痛い。
肺も悲鳴を上げている。
なのに。
頭に浮かんでいるのは。
先ほどから何度も鼻先をかすめた、あの冷たく澄んだ香りだった。
「…………」
目を閉じる。
――さすがエルフのお姉さん。
――香りまで強い。
ヴィラが。
焼きたての甘いクリーム菓子だとすれば。
リナは。
氷で冷やした薔薇酒。
冷たく。
澄んでいて。
そのくせ、どこか妙に男心をくすぐる。
一度香るたび。
身体の奥へ電気でも流されたように目が覚める。
ノアは思った。
――教官じゃない。
――人型の充電器だ、この人。
しばらく休んだところで。
ガラガラ、と。
車輪の音が聞こえてきた。
目を開ける。
リナが武器棚を押して戻ってきていた。
そこには。
長剣。
大剣。
戦斧。
槍。
杖。
双剣。
棍棒。
そして。
奇妙な形をしたフレイルまで。
様々な武器が並んでいる。
リナは腕を組んだ。
「全部試して」
「あなたが何に向いてるのか確認する」
「了解」
ノアも素直に立ち上がった。
まず。
長剣。
見よう見まねで構える。
「はっ!」
「せいっ!」
二、三度振る。
自分としては。
かなり格好いい。
前世で見た剣客そのものだ。
リナ。
「力が全部逃げてる」
「次」
「…………」
大剣。
「おおおっ!」
勢いよく振り上げる。
「武器の重さに身体が負けてる」
「次」
戦斧。
「腰が浮いてる」
槍。
「遅い」
杖。
「魔力操作以前の問題ね」
フレイル。
ぶんっ。
ぶんっ。
「危ないからやめなさい」
「…………」
一通り終わったころには。
ノア本人だけが。
なぜか少し満足そうだった。
――俺、結構いろいろ使えたな。
対するリナは。
眉間を指で押さえている。
「…………」
深いため息。
「ここまで全滅する人、逆に珍しいわね」
「基本武器は、どれも適性なし」
「練習すれば使えないことはないでしょうけど……」
「ここまで初期適性が薄いとは」
ノアは武器棚を眺めた。
「でも」
「まだ一つ残ってません?」
「?」
ノアが指差す。
武器棚の一番下。
そこに。
奇妙な装備が置かれていた。
黒い金属で作られた肘当て。
そして。
肩を覆う防具。
武器というより。
どう見ても防具に近い。
リナの表情が変わった。
しばらく。
その装備を見つめる。
「……それは」
声が少し低くなった。
「他の武器とは違う」
「剣や槍は、何千年、何万年も前から存在している」
「でも、それが生まれたのは数百年前」
ノアが興味深そうに近づく。
「数百年前?」
「ええ」
リナはその黒い装備を見ながら続けた。
「当時」
「一人の英雄王がいた」
「彼が生涯使い続けた武器が、それよ」
「武器?」
ノアは肘当てを見る。
どう見ても。
殴るか。
ぶつかるためのものだ。
「これでどう戦うんです?」
「肩」
「それから肘」
リナが自分の肩を軽く叩く。
「普通の武器みたいに斬ったり、突いたりするんじゃない」
「身体ごと相手へぶつける」
「肩撃と肘撃が中心」
「…………」
ノアの目が。
ゆっくりと見開かれた。
「今」
「肘って言いました?」
「言ったけど」
「その英雄王」
「何か異名とかありました?」
リナは少し考えた。
「確か……」
「《肘撃王》」
「…………」
ノアの身体が硬直した。
嫌な予感。
いや。
妙な予感がする。
「ちなみに」
「この装備の名前は?」
リナは答えた。
「《鉄山靠》」
「…………」
ノア。
完全に黙った。
リナはそんな彼を見て、少し首を傾げる。
「王国でも何百年も研究されてるけど」
「その四文字が何を意味するのか、誰にも分かってない」
「英雄王本人にも聞いたらしいわ」
「でも」
「『これは神聖な名だ』」
「それしか答えなかったそうよ」
「…………」
肘撃。
肩でぶつかる。
鉄山靠。
そして。
異世界では誰にも意味が分からない謎の言葉。
ノアの口元が。
微かに引きつった。
――……おい。
――これ。
――絶対、俺と同じ世界から来た奴だろ。
まさか。
四百年前にも。
自分と同じような転移者がいた?
ノアは思わず身を乗り出した。
「その英雄王!」
「今どこにいるんです?」
リナが眉を上げる。
「知らない」
「もう四百年以上、記録が途絶えてるから」
「最後に姿を見た人間も、とっくに亡くなってる」
彼女は少し遠い目をした。
「歴史に突然現れて」
「彗星みたいに一気に名を上げて」
「そして、ある日突然消えた」
「それっきりよ」
「…………」
ノアは長く息を吐いた。
――残念。
――同郷の先輩なら、とんでもない太い脚だったかもしれないのに。
まあ。
本人がいなくても。
残したものはある。
ノアの視線が。
《鉄山靠》へ向く。
――でも。
――この武器なら。
――俺、たぶん使い方分かるぞ。
「ちょっと」
リナが何か言うより早く。
ノアは武器棚へ歩み寄った。
黒い肩当てと肘当てを取る。
「待ちなさい」
「それは扱い方を間違えると――」
ガチャ。
ガチャッ。
「…………」
リナの言葉が止まった。
ノアはすでに。
装備を身につけ終えていた。
不思議なほど。
しっくり来る。
肩。
肘。
腕。
まるで。
最初から彼の身体に合わせて作られていたようだった。
「…………」
リナが眉を寄せる。
先ほどまで。
どの武器を持っても素人丸出しだった男。
それが。
今は。
ただ立っているだけなのに。
妙に様になっている。
「……あそこ」
リナが。
訓練場中央の木製人形を指差した。
「一度」
「好きに打ってみて」
「分かりました」
ノアは人形の前に立つ。
足を開く。
腰を落とす。
深く息を吸う。
「…………」
全身に。
静かに力を溜める。
そして。
次の瞬間。
一歩。
踏み込む。
身体を捻り。
肩から。
そのまま。
全身ごと叩き込んだ。
「――ッ!」
ドンッ!!
鈍い爆音。
空気が震えた。
次の瞬間。
重たい木製人形が。
地面から浮いた。
数メートル。
そのまま一直線に吹き飛び。
バァン!!
壁へ激突。
木屑が盛大に飛び散った。
壁面にまで。
浅い亀裂が走る。
「…………」
ノアは。
肩を前へ出したまま固まっていた。
少し息が上がっている。
だが。
口元には。
抑えきれない笑みが浮かんでいた。
――気持ちいい。
そして。
その後ろ。
リナは。
完全に固まっていた。
目が。
珍しく大きく開いている。
吹き飛んだ木製人形。
ノア。
もう一度、人形。
「……あり得ない」
小さく呟く。
「あなたの身体能力」
「どう見ても平均以下なのに」
「今の威力は……何?」
「もう一回」
「え?」
「もう一度やって」
リナに言われ。
ノアは別の人形へ向かう。
踏み込む。
ドンッ!
一体目。
さらに。
ドンッ!!
二体目。
そして。
「はっ!」
ドォン!
三体目。
やればやるほど。
動きが滑らかになっていく。
重い衝撃音が。
訓練場中へ何度も響いた。
木製人形が。
次々と傾き。
吹き飛び。
木片が床に散乱する。
リナは。
腕を組んだまま。
黙ってその光景を見ていた。
目つきが。
少しずつ変わっていく。
最初の。
どうせすぐ諦めるだろう。
そんな冷めた視線ではない。
観察。
興味。
探究。
「……面白い」
ぽつり。
リナの口元が。
ほんの僅かに。
上がった。
「本当に面白いわね」
だが。
すぐに軽く咳払いする。
表情を戻す。
いつもの。
淡々とした教官の顔。
「十分」
「武器適性は……」
一度。
《鉄山靠》を見る。
「特殊装備適性あり、としておくわ」
「次」
「才能測定」
「はい」
ノアは《鉄山靠》を外した。
肩を回す。
少しだけ。
じん、と痛む。
それでも。
妙な安心感があった。
――そうか。
――俺だけじゃなかったんだな。
四百年前。
同じ世界から来たかもしれない人間が。
確かに。
ここで生きていた。
少なくとも。
この世界で。
完全に一人というわけではない。
「…………」
そして。
すぐにもう一つ思う。
――まあ。
――綺麗なお姉さんが何人か隣にいてくれたら。
――もっと孤独じゃなくなるけどな。
そんなことを考えていると。
リナが。
透明な水晶球を一つ持って戻ってきた。
片手で支えながら。
「手を置いて」
ノアが近づく。
「これは?」
「才能測定用の水晶」
リナは簡潔に説明する。
「触れれば、あなたが持つ最も強い《特性》に反応する」
「色でレアリティが分かるわ」
「一番下がアイアン」
「そこから」
「ブロンズ」
「シルバー」
「ゴールド」
「プラチナ」
「ダイヤモンド」
「超越」
「そして最高位が――」
少し間を置く。
「神話」
ノアの目が。
僅かに輝いた。
――ということは。
――ヴィラからコピーした《光属性適性》も。
――これで分かるのか?
少し。
楽しみになってきた。
ノアは手を伸ばす。
そして。
ゆっくりと。
掌を水晶球へ置いた。




