第4話 美人教官リナ
ノアはこれ以上ないほど真剣な顔で、アレンへ二歩ほど近づいた。
「アレン爺さん、ちょっと考えてみてくださいよ」
「俺の身体、どうして急に良くなったと思います?」
「前は治療法なんてないって言ってたでしょう? でもさっき、俺は見つけたんです!」
ノアはぱん、と膝を叩いた。
「それはつまり、美少女に踏まれ――」
一瞬で言い直す。
「じゃなくて、美人のお姉さんたちと親密に触れ合うことです!」
「実際、触れ合ったあとから息苦しさもなくなったし、身体も軽くなった。気分まで前向きになった!」
「だから俺の病気と美女は、ものすごく深い関係があるんですよ!」
「…………」
アレンは呆然とノアを見つめた。
しばらく何も言わず。
やがてもう一度、ノアの身体を調べる。
さらにもう一度。
どうしても納得できないらしく、何度も確認した末。
「……あり得ん」
ぼそりと呟いた。
「こんなことが、本当にあるのか……?」
しばらく考え込んでいたが。
最後には大きく咳払いし、白い髭を撫でた。
「まあいい」
「理由はどうあれ、実際に身体が良くなっているのは事実だ」
「なら、ひとつ真面目な方法を教えてやろう」
「お願いします!」
アレンは人差し指を立てた。
「冒険者になれ」
「できることなら、一流の冒険者にな」
ノアが目を瞬く。
「冒険者?」
「ああ」
「強くなれば、自然と強者との縁も増える」
「有名な冒険者、騎士、魔術師……お前の言う、その……モンスター娘と知り合う機会も増えるだろう」
「それに実績を上げれば、王国から貴重な薬や魔道具を与えられることだってある」
「もしかすると、その病気を完全に治す方法へ辿り着けるかもしれん」
「なるほど!」
ノアの目が輝いた。
確かに。
冒険者として強くなれば。
珍しい《特性》を持つ相手と出会う機会も増える。
それだけではない。
ノアの頭に、もう一つ素晴らしい未来が浮かんだ。
「しかも身体を鍛えて、腹筋までバキバキになったら……」
「将来いろんなお姉さんと“交流”するときも、圧倒的に有利じゃないですか!」
「…………」
アレンは何も言わなかった。
ノアはそんな老神官へ深々と頭を下げる。
「ありがとうございます!」
「俺、冒険者になります!」
言うが早いか。
そのまま治療室を飛び出していった。
足取りは、驚くほど軽い。
アレンは遠ざかっていく背中を見つめながら、深いため息をついた。
「……あいつ」
「冒険者がそんな簡単な仕事だと思ってないだろうな……」
*
ノアは小走りのまま、冒険者ギルドの受付までやってきた。
カウンターの向こうにいたのは、長い兎耳を生やした若い女性だった。
勢いよく駆け込んできたノアに驚き、耳がぴんっと立つ。
「冒険者になりたいです!」
「は、はい?」
一瞬きょとんとしたものの。
すぐに営業用の柔らかな笑顔へ戻った。
「かしこまりました」
「では、まずこちらの用紙へ必要事項をご記入ください」
一枚の紙を差し出す。
「記入が終わりましたら、教官による簡単な適性試験を受けていただきます」
「合格すれば、仮登録の冒険者として活動できますよ」
「試験があるんですか?」
ノアが目を丸くする。
受付嬢はこくりと頷いた。
「もちろんです」
「町の外にいる魔物は、本当に危険ですから」
「最低限の実力がなければ、冒険者として外へ出すわけにはいきません」
少し困ったように笑う。
「それでも、毎年かなりの方が命を落としているんですけどね……」
その時。
少し離れたところから、押し殺した笑い声が聞こえてきた。
何人かの冒険者が肩を組み、こちらを見ながら笑っている。
「おいおい」
「あれ、《宵星亭》で皿運んでる奴じゃねえか?」
「マジで冒険者になる気かよ?」
「その細腕で?」
一人が腹を抱える。
「ゴブリンどころか、雪山のアイスビートル一匹倒せるかも怪しいだろ!」
「はははは!」
周囲から遠慮のない笑い声が上がった。
受付嬢は少し気まずそうな顔になる。
「ええと……」
ノアをちらりと見る。
「正直に申し上げると、ノアさんの場合は……もう少し身体を鍛えてからのほうが安全だとは思います」
「ギルドには訓練施設もありますよ」
「月に銅貨八十枚で、訓練場や器具を自由に使えます」
「…………」
ノアは笑っている冒険者たちを一瞥した。
まあ。
言っていること自体は間違っていない。
《光属性適性》を手に入れたとはいえ。
まだ自分は、その力をほとんど使いこなしていない。
いきなり試験を受けて。
盛大に失敗でもしたら。
それはそれで格好悪い。
――少し鍛えてからにするか?
そう考え始めた。
その時だった。
カツ、カツ、カツ。
ギルドの奥から。
迷いのない、鋭い足音が響いてきた。
それだけで。
先ほどまで騒がしかった空気が、少しずつ静まっていく。
奥の通路から、一人の女性が姿を現した。
背が高い。
身体にぴたりと沿う訓練着を身につけており、鍛え上げられた身体のラインが隠しようもなく浮かび上がっている。
すっと伸びた肩。
引き締まった腰。
長く、しなやかで、それでいて力強い脚。
一目見ただけで。
長年、剣を振り続けてきた人間だと分かる身体だった。
胸元には女性らしい豊かな丸みがあり、訓練着を押し上げている。
だが。
それ以上に目を引くのは、その顔だ。
美しい。
そして、冷たい。
整った眉。
鋭い目。
誰に対しても一定の距離を置いているような、近寄りがたい空気。
彼女が周囲を一度見回しただけで。
さっきまで下品に笑っていた冒険者たちが、一斉に背筋を伸ばした。
腹を引っ込め。
胸を張り。
それぞれ自分が一番格好よく見える角度を探し始める。
「…………」
ノアの口元がひくっと動いた。
分かりやすすぎる。
とはいえ。
彼自身も、つい二度見した。
――これはまた。
――身体も雰囲気も、とんでもないな。
――うん。
――かなり好き。
女性は、そんな男たちの必死のアピールなど存在しないかのように、まっすぐ受付まで歩いてきた。
「今夜の新人試験は、私が臨時で担当する」
短く。
よく通る声だった。
「新人が来たら、第六十九訓練場へ」
「分かりました、リナ教官」
それだけ告げると。
リナはすぐに踵を返した。
誰にも目を向けない。
そのまま奥の通路へ歩いていく。
後ろ姿になったことで。
鍛え抜かれた身体のラインは、さらに分かりやすくなった。
引き締まった腰。
その下で、歩くたびに滑らかに動く丸み。
長い脚は一歩一歩が安定していて、女性らしいしなやかさと、戦士らしい力強さが同居している。
男たちの視線が。
綺麗に、その背中を追っていった。
やがて。
リナの姿が通路の向こうへ消える。
数秒。
ギルド内は不自然なほど静かだった。
そして。
「くそおおおお!」
一人の冒険者が頭を抱えた。
「なんで俺は新人じゃねえんだ!」
「今から登録し直せねえのか!?」
「ちくしょう! 俺もリナ教官に試験してもらいてえ!」
別の男が、はっとした顔になる。
「待てよ」
「俺たち、新人のふりすればよくね?」
「…………!」
何人かの目が、一斉に輝いた。
受付嬢がにこにこと笑う。
「いいと思いますよ?」
「おっ」
「ただし」
笑顔のまま。
少し首を傾げた。
「リナ教官、嘘が大嫌いなので」
「バレたら……どうなるんでしょうね?」
「…………」
男たちの顔から、一瞬で血の気が引いた。
「……やめとくか」
「ああ」
「命は大事だ」
そのやり取りを。
ノアはじっと見ていた。
そして。
表情が変わった。
真剣そのもの。
ばんっ!
受付台へ片手を置く。
「決めました」
受付嬢がびくっとする。
「今日」
「試験、受けます」
「えっ?」
兎耳がぴくぴく動いた。
彼女は改めて、ノアを上から下まで眺める。
「ほ、本当にですか?」
「はい」
「でも……」
少し声を落とす。
「リナ教官、今日が初めての新人試験なんです」
「加減が分からなくて、少し厳しい試験になるかもしれませんよ?」
その瞬間。
さっきの冒険者たちが吹き出した。
「はははは!」
「やめとけって!」
「どう見ても目的が試験じゃねえだろ!」
「身の程知らずにもほどがある!」
「その身体でリナ教官に近づこうって?」
「カエルが白鳥に求婚してるようなもんだぞ!」
「試験で見るのは口の上手さじゃねえ!」
「実力だ、実力!」
笑い声が響く。
視線には。
明らかな侮りがあった。
だが。
ノアは気にしなかった。
受付嬢へ向き直る。
そして。
妙に真剣な顔で言った。
「男なら」
「目の前に壁があれば、逃げるんじゃなくて越えるべきでしょう?」
「どんな困難が待っていても」
「まずは、自分から一歩踏み出す」
「俺は、そういう男でいたいんです」
「…………」
受付嬢が瞬きをした。
さっきまで。
どこか軽そうに見えていた男が。
急に。
真っすぐな目で、そんなことを言う。
不意打ちだった。
彼女の胸が。
どくん、と。
一度だけ大きく鳴った。
頬が。
ほんの少しだけ赤くなる。
「……は、はい」
兎耳がそわそわと揺れた。
「では、ご案内します」
「こちらへどうぞ」
受付から出ると。
彼女はノアの前を歩き始めた。
背後では。
まだ冒険者たちが笑っている。
「格好つけたって弱いもんは弱いだろ」
「一分後には泣いて帰ってくるんじゃね?」
「まあいいじゃねえか」
「今日の見世物が一つ増えたと思えばさ」
ノアは完全に聞き流した。
受付嬢について、訓練区画へ向かう。
そして。
少し歩いたところで。
「……ん?」
ノアはふと違和感を覚えた。
さっきまで。
受付嬢の歩き方は普通だった。
仕事中らしい、てきぱきとした足取り。
それが今は。
何となく。
腰の動きが大きい。
右。
左。
右。
左。
どう考えても。
さっきより少しだけ、意識して歩いている。
その瞬間。
ノアの視界に。
見覚えのある表示が浮かび上がった。
【兎人族・エイミー】
【コピー可能特性:《高速ピストン》】
「…………」
ノアの足が。
一瞬だけ止まった。
《高速ピストン》。
「…………」
もう一度読む。
《高速ピストン》。
――名前。
――絶対そっち系じゃないか?
ノアは思わず真顔になった。
先ほどの言葉で。
好感度が一定ラインを超えたのだろう。
だから《特性》が見えるようになった。
それは分かる。
問題は。
この《特性》だ。
――でもまあ。
――兎人族だしな。
ノアは妙に納得した。
兎といえば。
あっち方面の生命力が強いことで有名だ。
この《特性》。
もし手に入ったら。
自分に使っても。
かなり夢がある。
そして。
もしこれをヴィラに付与したら?
「…………」
ノアの頭の中に。
一瞬。
よからぬ想像が浮かんだ。
いつも偉そうなお嬢様が。
《高速ピストン》を身につけて。
自分へ――
「…………」
いかん。
想像だけで楽しくなってきた。
ノアは咳払いする。
何気ない顔を作り。
前を歩くエイミーへ声をかけた。
「エイミーさんって」
「すごく可愛いですよね」
「……え?」
エイミーの身体がぴくっと揺れた。
足を止め。
髪を耳へかける。
「な、なんですか、急に……」
「彼氏とか、いるんです?」
「か、彼氏?」
エイミーはちらりとノアを振り返った。
頬がまた少し赤くなる。
「……いませんけど」
声が。
心なしか、さっきより柔らかい。
「どうしてそんなこと聞くんですか?」
ノアは意味ありげに笑った。
「いや」
「こんなに可愛い人なら、もう誰かいるのかなって思っただけです」
「でも、いないんですね」
一拍置く。
「じゃあ」
「いつかエイミーさんを独り占めできる男は、とんでもなく運がいいな」
「俺だったら毎日」
少しだけ声を落とした。
「朝から晩まで、じっくり“仲良く”したくなります」
「……っ!」
エイミーの顔が赤くなる。
意味を察したらしい。
「もうっ!」
ぺしっ。
ノアの腕を軽く叩いた。
「何言ってるんですかぁ……!」
口ではそう言いながら。
声はどこか甘い。
そして。
歩き始めた腰の動きは。
さっきより。
ほんの少し大きくなっていた。
ノアの視界で。
ゲージが動く。
【《高速ピストン》コピー進行度:12%】
ノアの口元が緩んだ。
――また一人。
――とんでもない宝物を見つけてしまった。
しばらくして。
二人は第六十九訓練場の前へ到着した。
エイミーが足を止める。
「ここです」
「中に入ったら、『新人試験を受けに来ました』って伝えてください」
そして。
少し心配そうな顔になる。
「無理だけはしないでくださいね」
「怪我しないように」
「ありがとうございます」
エイミーは最後に。
ぱちっ、と。
軽くウインクした。
そして。
どこか弾むような足取りで、受付へ戻っていく。
ノアはその後ろ姿をしばらく見送った。
「…………」
やっぱり。
いい世界だ。
やがて。
ノアは気持ちを切り替える。
目の前の扉へ手をかけた。
ぎいっ。
扉を押し開けた。
その瞬間。
「ハァッ!」
中から。
鋭い気合いの声が響いた。
直後。
ドンッ!
重い衝撃音。
訓練用の木製人形。
その頭部が。
目の前で。
粉々に吹き飛んだ。
木片が。
床いっぱいに飛び散った。




