3:余命、二年半延長
「違う違う!」
ノアは軽く咳払いすると、慌てて手を振った。
そして、何事もなかったかのように真面目な顔を作る。
「お嬢様の勘違いです。ちょっと嬉しいことを思い出して、つい笑ってしまっただけですよ」
ヴィラはぱちぱちと瞬きをし、疑わしそうにノアを見つめた。
「嬉しいこと?」
ノアはにっこり笑う。
その視線だけは、まっすぐヴィラに向いたままだ。
「もちろん」
「お嬢様と、こうして少しでも長く一緒にいられることです」
「……え?」
ノアはほんの少し距離を詰め、声を落とした。
「それに、お嬢様ってすごくいい匂いがするんですよ」
「うちで一番いい花酒より、よっぽど酔いそうなくらい」
「近くにいるだけで、身体の力が抜けそうです」
「なっ……!」
ヴィラの身体が固まった。
次の瞬間。
ぼんっ、と。
顔が一気に真っ赤になる。
耳の先まで見事なほど赤い。
「な、何言ってるのよ、あんた!」
慌てて靴をひったくると、まともに履き直す余裕もないまま足を突っ込んだ。
そのまま数歩逃げるように歩き。
ふと立ち止まる。
くるりと振り返り、ノアをきっと睨んだ。
「つ、次また変なこと言ったら!」
「あんたの給料、減らすんだからね!」
そう言い残すと。
ヴィラは真っ赤な顔のまま、逃げるように去っていった。
ノアはその背中を見送りながら、顎に手を当てた。
「…………」
この《万象特性システム》。
とんでもない代物かもしれない。
今までは、綺麗な女性を見ても「美人だな」で終わっていた。
だが今は違う。
誰を見ても。
――この人、どんな《特性》を持ってるんだ?
そんなことばかり考えてしまう。
ノアの視線が、ふと酒場のカウンターへ向いた。
そこでは、女主人が帳簿をつけていた。
今日は身体のラインがよく分かる濃い色のドレスを着ている。
豊かな胸元は布地を大きく押し上げ、帳簿へ視線を落とすたび、柔らかな曲線がわずかに揺れる。
それに対して腰は細い。
そこから下へ視線を落とせば、椅子に腰掛けたことで丸みを増した腰回りが、ぴたりとドレスに包まれていた。
顔立ちも華やかだった。
目尻には生まれつき色気があり、鬢の髪をさらりとかき上げるだけで、少女にはない大人の女性特有の艶が漂う。
優雅な雰囲気と。
少し目を離せば男を惑わせそうな色気。
とても辺境の小さな町だけで育った女性には見えない。
ノアは少し考えた。
――ヴィラとは、もっと仲良くしておいたほうがよさそうだな。
上手くいけば。
とんでもなく太い縁に繋がるかもしれない。
そんなことを考えていると。
さっきの従業員たちが、にやにやしながら寄ってきた。
「おいノア!」
「お前、いつからあんな口が回るようになったんだよ!」
「ああ。前まで女の前じゃ借りてきた猫みたいだったくせに」
「さっきの台詞、聞いてるこっちがむず痒くなったぞ!」
ノアは隠すこともなく肩をすくめた。
「勇気のある男だけが、誰より先にアワビを味わえるんだよ」
一拍置いて。
「ああ、違った」
「誰より先に、この世界を楽しめるんだ」
「…………?」
男たちが顔を見合わせる。
そのうち一人が、真剣な顔で首を傾げた。
「なあノア」
「前から思ってたんだけどよ」
「その“アワビ”って、何なんだ?」
「お前の本にもよく出てくるよな」
「俺たち何回読んでも、いまいち意味が分からねえんだ」
ノアは意味深に笑った。
そして、ひらひらと手を振る。
「それはな」
「言葉で説明するものじゃない」
「心で感じるものだ」
「なんだそれ!」
男たちはさらに追及しようとしたが。
ノアは笑いながら、そのまま酒場を出ていった。
外はすっかり夕暮れ色に染まっていた。
だが、大通りは昼間以上の賑わいを見せている。
道端の鍛冶屋では炉が真っ赤に燃え。
カン、カン、カン、と。
金属を叩く音が一定の間隔で響いていた。
火花が散るたび、職人の煤けた顔が明るく照らされる。
少し先からは、焼いた魔物肉の香ばしい匂い。
香辛料と酒の香りまで風に混ざり、嫌でも腹が減ってくる。
露店の店主が、大声で焼きたての魔物串を売り込み。
その周りでは冒険者たちが肉を頬張りながら、今日の戦果を自慢し合っていた。
ノアは立ち止まり。
大きく息を吸った。
街の匂い。
煙。
酒。
肉。
鉄。
人の熱気。
すべてが一気に肺の奥まで入ってくる。
「…………」
苦しくない。
胸も詰まらない。
三ヶ月ぶりだった。
こんなふうに。
何も気にせず、思いきり息を吸えたのは。
ノアの口元が自然と緩む。
そのまま冒険者ギルドへ向かって歩き始めた。
《光属性適性》を手に入れたことで。
自分の身体が、実際どれくらい改善したのか。
そして。
他の《属性適性》を持つ人間と、どうすれば出会えるのか。
情報が欲しかった。
歩いている途中。
すれ違う若い女性たちが、何人もちらちらとノアを見ていることに気づいた。
ノアも特に避けることなく、笑顔を返す。
すると。
相手の頬がほんのり赤くなり。
慌てて視線を逸らして、足早に去っていく。
「ん?」
ノアは首を傾げた。
通り沿いの店。
ガラス窓に映った自分の姿が目に入る。
「……お?」
思わず足を止めた。
明らかに顔色が違う。
以前は血色が悪く。
頬も少しこけて。
目元には疲れが溜まり、どこか陰気な印象があった。
それが今では。
頬に血色が戻り。
瞳にも力がある。
身体つきこそまだ細いものの、以前よりずっと健康的に見えた。
病弱そうな青年から。
少し爽やかな青年へ。
たった一つの《特性》で、ここまで変わるのか。
ノアが満足げに自分の顔を眺めていると。
背後から、激しい馬蹄の音が聞こえてきた。
「レックス様のお通りだ!」
「道を空けろー!」
通りにいた人々が、慌てて左右へ避ける。
表情には、憧れと畏れが入り混じっていた。
豪華な馬車が、ゆっくりと通りを進んでくる。
その中には、派手な服装をした青年がいた。
レックス。
その両腕には、それぞれ一人ずつ狐人族の美女を抱き。
さらに隣にも、もう一人。
三人とも艶っぽい笑みを浮かべながら、彼へ身体を寄せていた。
レックスは周囲を見回す。
人々から向けられる羨望と畏怖。
それを浴びること自体が気持ちいいのだろう。
口元には満足げな笑みが浮かんでいる。
わざわざ御者に合図して。
馬車の速度まで少し落とさせていた。
もっと見ろ。
そんな態度だった。
ノアの耳に。
近くにいた少女たちの小声が届く。
「レックス様、今日も格好いい……」
「一度でも目をかけてもらえたら、それだけで人生変わりそう」
「この町じゃ、レックス様の家に逆らえる人なんていないものね」
「あの馬車に乗せてもらえるだけでも羨ましいなぁ……」
「私、一度でいいからレックス様にお茶を出してみたい……」
ノアは小さく笑った。
特に気にはならない。
――そのうち。
この町で一番名前を知られる若者が、別の人間になるかもしれない。
それだけだ。
もっとも。
道端の女の子たちを片っ端から攻略するつもりもない。
《特性》にも当たり外れがある。
狙うなら。
より珍しく。
より強力な《特性》を持つ相手。
そのほうが効率はいい。
そんなことを考えながら、ノアは冒険者ギルドへ入った。
すると。
入口近くで何人かの冒険者が、声を潜めながら盛り上がっていた。
「なあ、聞いたか?」
「新しい教官が来たらしいぞ」
「大都市のほうから来た女だってよ」
「聞いたどころか、今日見たぜ!」
一人の冒険者が興奮気味に身を乗り出す。
「いや、あれはヤバい」
「スタイルもすげえし、美人だし」
「何より剣がめちゃくちゃ強え!」
「模擬戦を見たけどよ、一連の動きが綺麗すぎて目が離せなかった」
「でも弟子を取る基準がかなり厳しいらしいぞ」
「金持ちだからって相手にしない」
「才能があるかどうか、それしか見ないって話だ」
「ああ、それ!」
別の男が笑う。
「この前、レックスが近づこうとしたらしいけど」
「完全に無視されたらしいぜ」
「いつも偉そうなレックスが、めちゃくちゃ気まずそうな顔で帰ってったってよ」
「マジかよ!」
「じゃあもし俺が弟子になれたら……」
「レックスより才能があるってことじゃねえか!」
「しかも毎日あんな美人に剣を教えてもらえるんだぞ?」
「そのうち何かこう……な?」
「へへへ……」
男たちは揃って締まりのない笑顔になり。
互いの肩を叩きながら盛り上がっている。
ノアは横を通り過ぎながら。
何気なく掲示板へ目を向けた。
そこには、新任教官の紹介が貼り出されていた。
「…………」
ノアの足が止まる。
――おいおい。
これはまた。
とんでもないのが来たな。
肖像画に描かれていたのは、一人の女性だった。
涼しげで。
どこか近寄りがたい美貌。
瞳は冷たく澄み、簡単には他人を懐へ入れなさそうな雰囲気がある。
髪の隙間からは、細く尖った耳が覗いていた。
エルフの血を引いているのだろう。
整った顔立ちだけでなく。
どこか高貴で、人間離れした美しさがあった。
――典型的な、クール系のお姉さんだな。
ノアは顎に手を当てる。
前世。
ゲームの企画に関わっていた頃。
こういうキャラクターは何人も見てきた。
表面は冷たい。
口数も少ない。
でも実際は面倒見がよく。
一度懐へ入れば、とことん世話を焼いてくれる。
そんな設定が王道だった。
しかも。
大都市から来た。
「……面白い」
ノアの目に、少しだけ期待の色が浮かぶ。
――機会があれば、話しかけてみるか。
上手くいけば。
面白い《特性》を持っているかもしれない。
ノアは掲示板から視線を外すと。
ギルド内の治療室へ向かった。
そこにいたのは、アレンという老神官だった。
白髪と白い髭。
いつも穏やかな笑みを浮かべている。
この町で病気や怪我をすれば。
大半の住民は、まず彼を頼る。
ノアの身体を以前診てくれたのも、アレンだった。
「おや?」
ノアが入ってくるなり。
アレンは目を丸くした。
上から下まで、じっくり眺める。
「ノアじゃないか」
「ずいぶん顔色がよくなったな」
「何かいいことでもあったのか?」
ノアは、得意げに笑った。
「お嬢様の綺麗な足に、ご褒美をいただきまして」
「…………」
アレンの動きが止まった。
片方のまぶたが、ぴくっと痙攣する。
「……何を言ってるんだ、お前は?」
「気にしないでください」
ノアはすぐに手を振った。
そして真面目な顔に戻る。
「今日は身体をもう一度診てもらいたくて来たんです」
「今の俺が、前と比べてどれくらい良くなったのか知りたい」
アレンはしばらく怪訝な顔をしていたが。
やがて諦めたように髭を撫でた。
「まあいい」
「そこへ座りなさい」
ノアは椅子に座る。
アレンが片手を差し出した。
「腕を」
ノアが差し出した手首に、アレンは指を添える。
目を閉じ。
体内を流れる生命力と魔力の状態を、静かに探っていく。
しばらくして。
アレンの眉が少しずつ上がった。
「……ほう」
「これは驚いた」
もう一度。
念入りに確認する。
そして。
目を開いた。
「確かに良くなっている」
「しかも、かなりだ」
「本当ですか?」
「ああ」
アレンは髭を撫でながら、しばらく計算するように考えた。
やがて。
「この調子なら……」
「以前より、二年半ほど長く生きられるだろうな」
「…………」
ノアの笑顔が固まった。
二年半。
以前は。
せいぜい二年。
つまり。
全部合わせても。
あと四年ちょっと?
「…………」
思ったより。
まだ短い。
ノアは心の中でため息をついた。
それでも、表情には出さない。
「ありがとうございます」
素直に頭を下げる。
アレンはそんなノアを見て、穏やかに笑った。
「十分すごいことだ」
「生きられる時間が増えたんだからな」
「そもそも今は、王国全体が落ち着かん」
「魔物も年々増えている」
「寿命が何十年あったところで、明日どこかで巨大な魔物に踏み潰されるかもしれん時代だ」
「生きられる一日一日を大事にしろ」
ノアは神妙な顔で頷いた。
「確かに」
「その通りですね」
そして。
一拍置いて。
ノアは少し身を乗り出した。
表情はこれ以上ないほど真剣だった。
「じゃあアレン爺さん」
「一つ聞きたいことがあるんですけど」
「うむ?」
「強い女性冒険者と、たくさん知り合う方法ってあります?」
「できれば美人のお姉さんで」
「モンスター娘のお姉さんでも大歓迎です」
「…………」
アレンの身体が固まった。
髭を撫でていた手まで止まる。
信じられないものを見るような顔で、ノアを見つめた。
「……ノア」
「ついさっきまで」
「お前の余命の話をしていたんだよな?」
「はい」
「そこから、なぜ急に」
「“美人のお姉さんと知り合う方法”になる?」
ノアはきょとんとした。
アレンは眉間を押さえた。
「話が飛びすぎだろう……」




