《光属性適性》、初体験
ノアの視界の隅で、一本のゲージがぴくりと動いた。
【《光属性適性》コピー進行度:8%】
「……!」
ノアの胸が高鳴る。
やっぱりだ。
重要なのは、何をするかじゃない。
**相手の感情をどれだけ大きく揺らせるか。**
ヴィラを照れさせても、驚かせても、怒らせてもいい。
とにかく感情が大きく動けば、それだけコピーが進む。
仕組みを理解した瞬間、ノアの顔つきが変わった。
きりっ。
いかにも忠実な従者です、と言わんばかりの真面目な表情を作る。
「お嬢様、誤解です」
「俺はただ……お嬢様の靴を、心を込めて磨こうとしているだけですよ」
そう言うや否や。
ノアは手早く動いた。
ぽん。
ぽん。
ヴィラの革靴が、両方とも脱がされる。
「…………え?」
ヴィラは固まった。
何の心構えもないまま、白い素足が酒場の灯りの下にさらされる。
細い足首。
柔らかな曲線を描く足の甲。
つま先が戸惑うように、きゅっと縮こまった。
「な……」
ヴィラの顔が、みるみる赤くなっていく。
「な、ななななっ……!」
両足を慌ててばたつかせる。
「変態っ!」
「早く履かせなさいよ! ばかぁぁぁっ!」
勢いよく蹴り飛ばそうとした、その足を。
ぱしっ。
ノアは危なげなく受け止めた。
手のひらに伝わるのは、柔らかな感触と、ほんの少しひんやりした体温。
そして次の瞬間。
ノアはその白い足の甲へ、恭しく唇を落とした。
ちゅっ。
「…………」
ヴィラの動きが止まった。
ぴしり、と。
まるで時間でも止められたかのように、全身が硬直する。
ノアは何事もなかったかのように顔を上げた。
表情だけ見れば、神聖な儀式でも終えたかのような真剣さである。
「どうか動かないでください、お嬢様」
「必ずや、一点の曇りもないほど綺麗にしてみせます」
「~~~~っ!」
ぼんっ、と。
ヴィラの顔が首筋まで真っ赤になった。
目尻にはうっすら涙まで浮かんでいる。
「だ、誰かぁ!」
「変態よ! 変態がいるぅぅぅっ!」
【《光属性適性》コピー進行度:8% → 45%】
跳ね上がった数字を見て、ノアは内心で拳を握った。
――よし!
効果抜群だ。
となれば、手を抜く理由はない。
ノアはあくまで真剣な顔のまま、柔らかな布を手に取った。
ヴィラの足をそっと支え、足の甲の丸みに沿って、丁寧に布を滑らせていく。
その眼差しは真剣そのもの。
傍から見れば、足を拭いているというより、美術品でも手入れしているようだった。
その時。
「お嬢様!」
「どうしました!?」
悲鳴を聞きつけた酒場の従業員たちが、慌てて駆け込んできた。
ヴィラの顔がぱっと明るくなる。
救援だ。
震える指で、足元のノアを指差した。
「こ、この変態が……!」
「いきなり人の靴を脱がしたの!」
従業員たちの視線が、一斉にノアへ向く。
ノアはヴィラの足を片手で支えたまま、黙々と磨いている。
数秒の沈黙。
やがて一人が、困ったように頭をかいた。
「……でも、お嬢様」
「さっきノアを呼んで、『靴を磨きなさい』って言ってませんでした?」
「今まさに……磨いてますよね?」
「そうそう」
隣の男も頷く。
ヴィラの口がぽかんと開いた。
「ち、違うの!」
「こいつ、あたしの足をずっと見てたのよ!」
「それに……」
一瞬、声が小さくなる。
「……あ、足にキスまでしたんだから!」
「…………」
再び、妙な沈黙が落ちた。
一人の従業員が腕を組む。
「でもお嬢様」
「足を見ないで、どうやって靴を綺麗にするんです?」
「そこじゃないわよ!」
「それにですよ」
別の男が、妙にもっともらしい顔で続ける。
「貴族様なんかは、敬意や愛情の証として女性の手の甲に口づけするじゃないですか」
「うんうん」
「ノアはそれを、さらに一歩進めたんでしょう」
「手じゃなくて足に口づけした」
男は神妙な顔で頷いた。
「つまり――」
「お嬢様への敬意も愛情も、普通の人より一段上ってことです」
「なるほどなぁ!」
「深い!」
ヴィラ。
「…………」
口を開けたまま、言葉を失った。
何だ、その理屈は。
どう考えてもおかしい。
……はずなのに。
周囲の男たちがあまりにも当然の顔で頷いているせいで、一瞬、自分のほうがおかしいのではないかという気までしてくる。
しかし。
二秒後。
ヴィラははっと我に返った。
「いやいやいや! やっぱり違うでしょ!」
「私は靴を磨けって言ったの!」
「あたしの足まで磨けなんて、一言も言ってないんだから!」
「こいつ今、どう見てもあたしの足で遊んでるじゃない!」
すると。
従業員たちは、また互いに顔を見合わせた。
「お嬢様……」
先頭の男が、ひどく残念そうに首を振る。
「それはさすがに、ノアが可哀想です」
「なんでよ!?」
「考えてみてくださいよ」
男はぱん、と手を叩いた。
「足と靴は一心同体でしょう?」
「足が汚れてたら、せっかく磨いた靴を履いても、また中が汚れる」
「だったら足から綺麗にする」
「問題を根本から解決してるんですよ!」
「…………」
「ノアは表面じゃなく、本質を見てるんです!」
「さすがだぜ、ノア!」
「俺たちには真似できねえ!」
ノアはヴィラの足を支えたまま、重々しく頷いた。
「分かってくれるか」
「もちろんだ、兄弟」
男たちも誇らしげに胸を張る。
当然だった。
普段からノアは、自作の“大人向け芸術作品”が完成するたび、この連中に真っ先に読ませている。
彼らの価値観は、とっくの昔にノア色へ染め上げられていた。
ヴィラはそんな男たちを見回し。
次に、自分の足元で真剣な顔をしているノアを見る。
そしてまた男たちを見る。
「…………」
分からない。
自分がおかしいのか。
それとも、この酒場全体がおかしいのか。
「もしかして……」
ヴィラはぼそりと呟いた。
「……あたしの考えすぎ?」
大きな瞳に、純粋な迷いが浮かんでいる。
もう一度、ノアを見る。
あまりにも真剣だ。
変なことをしている自覚など、欠片もなさそうに見える。
しばらく悩んだ末。
ヴィラは顔を赤くしながら視線を逸らした。
そして蚊の鳴くような声で、
「……ご、ごめん」
「ノア、変態じゃなかったのね……」
ちょうど片足を拭き終えたノアは、その言葉を聞くと。
もう一度。
恭しく、その足の甲へ口づけした。
「お気になさらず、お嬢様」
顔を上げる。
柔らかく、誠実そのものの笑顔。
「俺にとって、お嬢様は地上に舞い降りた天使ですから」
「っ……!」
ノアはそう言うと、今度こそ革靴を手に取り、何事もなかったかのように磨き始めた。
【《光属性適性》コピー進行度:45% → 69%】
数字が跳ねる。
ノアは口元が緩みそうになるのを、必死で堪えた。
――勝ったな。
しばらくして。
磨き終えた靴を、ノアは丁寧にヴィラへ履かせた。
ヴィラは椅子から降りる。
まだ頭の中が整理できていないのか、ふらふらと階段へ向かっていった。
だが。
階段を上がる直前。
ぴたりと足を止める。
振り返ったヴィラは、もじもじしながらノアのところへ戻ってくると。
その手のひらへ、銅貨を数枚押しつけた。
「……まあ」
「靴は……綺麗になったし」
それだけ言うと。
耳まで真っ赤にして、逃げるように二階へ駆け上がっていった。
ノアはその背中を見送り、思わず笑う。
――最後にはチップまでくれた。
世の中、何が正しいか分からないものである。
ヴィラが消えると。
さっきの男たちが、待ってましたとばかりにノアへ群がった。
「ノア! やるじゃねえか!」
「ところでさ!」
「あの新作、いつ完成するんだよ?」
「俺たち、ずっと待ってるんだぞ!」
ノアは貰った銅貨を懐へしまいながら、わざと勿体ぶった。
「明日かな」
「新刊も、そろそろ仕上がる」
「よっしゃあ!」
男たちから、妙に息の合った歓声が上がった。
それぞれ上機嫌で仕事へ戻っていく。
だが。
誰も気づいていなかった。
二階の手すりの陰から。
金色の頭が、ひょこっと半分だけ覗いていたことに。
ヴィラだった。
手すりに身を預け、大きな瞳をくるくると動かしている。
「新作……?」
「芸術作品って、何のことかしら……」
首を傾げる。
毎日、酒を運んだり靴を磨いたりしているだけの、あのノアが。
実は“作品”まで作っていた?
ヴィラは下唇を軽く噛んだ。
視線は、自然と階下のノアへ吸い寄せられる。
「…………」
一冊くらい。
見せてもらってもいいかもしれない。
ほんの少しだけ。
本当に、ほんの少しだけなら。
*
ノアは男たちを見送ると、自分のことへ意識を戻した。
念じる。
すると視界に、半透明のステータス画面が浮かび上がった。
【名前:ノア】
【筋力:4】
【体力:4】
【敏捷:4】
【精神:4】
【感覚:4】
【魅力:7】
【特性:なし】
【※成人男性の平均値は5】
「…………」
ノアは並んだ数字を見つめ、しばらく黙った。
全部4。
見事なまでに、平均以下。
そりゃ酒を何往復か運ぶだけで息切れするわけだ。
さらに《特性》の項目へ意識を向けると、追加の説明が表示された。
【《特性》とは、生まれ持った才能や資質に近いものです】
【強い者ほど、より多く、より希少な《特性》を持つ傾向があります】
【レアリティ】
【アイアン → ブロンズ → シルバー → ゴールド → プラチナ → ダイヤモンド → 超越 → 神話】
【そして、そのさらに上には――】
【伝説上にのみ存在すると言われる《創世》があります】
「なるほどな……」
ノアは顎に手を当てた。
この三ヶ月。
酒場で冒険者たちの自慢話を嫌というほど聞いてきた。
その断片を繋ぎ合わせれば、この世界の常識もそれなりに分かる。
そもそも。
大半の一般人は、目立った《特性》など持っていない。
持っていたとしても、せいぜいアイアン級。
人生を大きく変えられるほどの力ではない。
だが。
戦闘向きの《特性》を持って生まれれば、話は別だ。
普通の人間より遥かに高い素質を持ち、冒険者として成功する可能性も跳ね上がる。
たとえば、この町の町長の息子。
彼が持っているのは、たった一つのシルバー級《特性》だ。
それだけで町では将来有望な若者として扱われ。
金も。
装備も。
人脈も。
ついでに女の子まで、向こうから集まってくる。
それに対して。
ノアは。
「…………」
可愛い女の子と少し距離を縮めて。
照れさせて。
ドキドキさせて。
たまにちょっと大胆なことをしてやれば。
普通なら一生かけても手に入らない《特性》が、向こうから自分のものになる。
「……いや」
「これ、ヤバくないか?」
しかも。
もし、だ。
いつの日か。
本物の女神と出会って。
その女神をドキドキさせることまでできたなら。
――《創世》級の特性だって、コピーできるんじゃないか?
想像した瞬間。
ぞわっ、と背筋が震えた。
夢がありすぎる。
だが。
ノアはすぐに頭を振った。
まだ早い。
物事には順序がある。
強力な特性になればなるほど、コピーに必要な感情ゲージも増えるはずだ。
女神相手に、ちょっと褒めて、ちょっと触って、はいコピー。
そんな都合のいい話ではないだろう。
そもそも今の自分は。
女神どころか、普通の冒険者に小突かれただけでも寝込みかねない病弱男だ。
まずは目の前。
ヴィラの《光属性適性》。
こいつを確実に手に入れる。
話はそれからだ。
方針が決まれば、ノアの行動は早かった。
それから数日。
ノアは以前にも増して“熱心”に、ヴィラの靴磨きを引き受けるようになった。
毎日。
欠かさず。
しかも、少しずつ新しい工夫まで加えていく。
ある日は、仕上げに恭しく足の甲へ口づけ。
ある日は、温めた柔らかな布で足を包み。
またある日は、前世で覚えた簡単なマッサージまで試してみた。
親指で、足裏をゆっくり押す。
強すぎず。
弱すぎず。
ちょうど気持ちいいところを探りながら、少しずつ力をかけていく。
「ん……」
ヴィラはいつものように、お嬢様らしく澄ました顔を保とうとしていた。
だが。
足の裏からじわじわと広がる心地よさに、次第に力が抜けていく。
そして。
「ぁ……♪」
柔らかな声が、思わず喉から漏れた。
「…………!」
一番驚いたのは、ヴィラ本人だった。
ぼっ、と顔が赤くなる。
慌てて両手で口元を押さえると、潤んだ瞳でノアを睨みつけた。
けれどその眼差しには、いつもの鋭さが少し足りない。
その瞬間。
ノアの視界が、金色の光で満たされた。
【ピロン♪】
【《光属性適性》の感情ゲージがMAXになりました!】
【特性コピー成功!】
【ゴールド級《光属性適性》を獲得しました】
【《光属性適性》】
【光属性の魔力と高い親和性を持つ】
【周囲の光魔力を自然に取り込み、身体へ馴染ませることができる】
【体力+1】
【精神+1】
【魅力+1】
【光属性の魔法・剣技の習得速度が大幅に上昇する】
「……っ!」
ノアはすぐにステータスを開いた。
【名前:ノア】
【筋力:4】
【体力:4 → 5】
【敏捷:4】
【精神:4 → 5】
【感覚:4】
【魅力:7 → 8】
【特性:ゴールド級《光属性適性》】
【※成人男性の平均値は5】
その瞬間だった。
身体の奥から。
何か温かなものが、じわりと湧き上がってきた。
《光属性適性》。
手に入れたばかりのその特性が、まるで最初からノアの一部だったかのように働き始める。
周囲に漂っていた光属性の魔力が。
細い糸のように。
少しずつ。
身体の中へ流れ込んでくる。
温かい。
優しい。
そして何より。
苦しくない。
三ヶ月もの間、ずっと胸の上に乗っていた重い石が、ほんの少し持ち上がったような感覚。
胸の圧迫感が消えていく。
ノアは無意識に、大きく息を吸い込んだ。
「……!」
深く。
もっと深く。
肺いっぱいまで空気が入る。
胸も痛まない。
途中で息が詰まることもない。
こんなに気持ちよく呼吸できたのは、この世界へ来て初めてだった。
ノアは手首を回し。
拳を何度か握ってみる。
いきなり怪力になったわけではない。
身体もまだ細い。
それでも。
三ヶ月ずっとまとわりついていた鉛のような怠さが、明らかに軽くなっている。
身体が軽い。
頭もすっきりしている。
「はは……」
自然と笑みがこぼれた。
世界を旅して。
剣一本で魔物を斬って。
各地の美女たちと“文化交流”に励む。
そんな壮大な夢には、まだ程遠い。
だが。
少なくとも。
一歩目は踏み出せた。
そこで。
ノアはふと考えた。
自分の身体が弱っている原因。
それは、この世界の魔力に適応できないことだった。
そして今。
《光属性適性》を手に入れたことで。
初めて、光属性の魔力だけは自然に受け入れられるようになった。
その結果。
身体が明らかに楽になった。
なら。
「…………待てよ」
ノアの呼吸が止まった。
光は、数ある属性の一つにすぎない。
火。
水。
風。
土。
雷。
氷。
もし。
それらすべての《属性適性》を集めることができたら?
この世界に存在する、ありとあらゆる魔力を。
自分の身体が受け入れられるようになったら?
「……そういうことか」
ノアの目が、大きく見開かれる。
治療法がないんじゃない。
まだ。
**自分に必要な特性が揃っていなかっただけだ。**
属性適性を集める。
一つずつ。
すべて。
そうすれば。
この身体を蝕んでいる“魔力への不適応”そのものを、完全に消せるかもしれない。
目の前に。
今まで見えなかった一本の道が、はっきりと現れた気がした。
「よし……!」
そう呟いた、その時。
「ちょっと!」
目の前から、鋭い声が飛んできた。
ノアは我に返る。
そこでようやく気づいた。
自分はさっきからずっと。
ヴィラの足を両手で持ったまま、にやにや笑っていた。
「…………」
ヴィラは真っ赤な顔で彼を睨んでいる。
さっき変な声を出してしまったのが、相当恥ずかしいらしい。
頬を膨らませ。
唇を尖らせ。
目尻まで赤くしている。
「な、何よ!」
「さっきから一人でにやにやして!」
そして。
さらに顔を赤くしながら叫んだ。
「もしかして……あたしのこと笑ってるの!?」
「失礼なんだからっ!」




