継承 5
長野県大町市 環境化学研究機構甲信研究所
千人塚研究室
『吸血病』なんていう、こと国内においては時代錯誤も甚だしい騒ぎを経て漸く甲信研に帰ってこられたわけだが……
「あーあ……埃が凄いねぇ……今日は掃除かなぁ……」
真冬の東欧旅行も含めると数ヶ月間留守にしてしまったのだ。
本当だったら施設課の管理班が清掃に入ってくれたりもするのだが、昨今幾つもの案件において“専従”指定を受けてしまったせいで研究室への立入りに必要な情報管理権限は脅威の“黒1”である。
なんというか、日本語の乱れがお部屋の乱れに繋がるというよくわからない学びを得はしたがそれによって齎される種々の不都合を差っ引けば圧倒的にマイナスであることは誰の目にも明らかだろう。
「まあまあ、これぐらいだったら博士のお家と較べればかわいいものですよ」
さっそくモップとモップを絞るアレを準備して掃除する気満々のがっさんが実に失礼な事を笑顔で仰ってきた。
「そうはいうけどねぇ……そもそも比較対象が廃墟な時点でどうなのかって思うよ、私は」
「廃墟の自覚はあるんすね……」
「アレみて人住んでるって思うヤツはやばいって」
肩にポリッシャーを担いだ大嶋くん
彼らは自衛官時代の習性か、大掃除となるとやたら張り切る傾向がある。あるのだが40kgとかあるポリッシャーをわざわざ担ぐ必要もなかろうしそもそも
「あと別に埃とか溜まってるだけだからポリッシャーはいらないんじゃ無い?」
「いやいや、こんだけ放置したら床のワックスもくすんじゃってるんで」
「相変わらず几帳面だなぁ……」
見た目だけならその辺の鹿とか殴り倒して丸齧りしてそうな程にワイルドでマッチョなうちのDSのみんなは第一印象に反比例するように几帳面で綺麗好きだ。
自衛官時代の教育の賜物らしいが、ズボラで不精者が多い『機構』職員の中ではある種異質というか唯一の良心というか……少なくともかなりの数の研究室が自衛隊出身のDS職員のお陰で文字通りゴミ屋敷の汚名から逃れていることはある種『機構』の慣習となっていると言えるだろう。
「まあその辺はいつも通り大嶋くん達の指示に従うよ」
なので私達みたいなのは彼らの指揮のもと駒要員に徹するのもまた『機構』の慣習だ。
「とりあえず今も頑張ってる諏訪先生達が気持ちよく帰ってこられるようにピッカピカにしちゃおう!」
東京都八王子市 環境科学研究機構東京医療研究所 高度管理事案性疾病病棟区画
「ーーと、このように吸血病患者の犬歯は産卵のための器官に作り替えられてしまうわけです。なので処置を行う際にはまずこの空洞を塞いで下さい。これで処置中のリスクは限りなくゼロになります」
話しつつ諏訪医師は流れるような手つきで処置を進めていく。それは熟練の包丁人が魚を捌くかの様に澱みない手際だった。
「口腔内が終わったらいよいよ本番、主病巣です。ああ、そうそう患者さんをうつ伏せにするときには暴れるかもしれないので気をつけて下さい。拘束具があるとは言っても油断すると思わぬ怪我をすることもありますし、この手の拘束具はコツさえ掴めば案外外しやすいですから」
小粋な冗談なのか本気なのかいまいちどちらなのか判りにくいことを言いながらも澱みなく、流れる様に患部の切開を始めていく。
気を付けて観ていなければこの場にいるまさに不世出と呼ぶに相応しい医師達ですら準備段階からの移行に気付かぬほどである
「摘出にあたって最も大切な事は主病巣が取り除かれるまで女王を傷つけてはならないという事です。吸血虫の中にあって『増える』『繋ぐ』だけに特化した女王は主病巣外殻外での生存すら困難、外気に触れただけで宿主の脳幹を道連れにしてしまいます」
主病巣外殻を露出させ、周囲に観察を促す諏訪医師
彼が示す先の主病巣外殻は資料ですらそうそうお目にかかれないほどに肥大化し、本来の宿主の脊柱を包んでいる。
首を前に突き出す様に描かれることのおおい吸血鬼であるが、その原因がこの主病巣外殻の肥大化である。
首周りの姿勢の悪さが即ち症状の進行の度合いであることを思えば、本来の人間の筋力では直立することも困難なほどに姿勢の悪くなったこの患者の症状のほども察することができるだろう。
「UNPCCのガイドラインではまず励起状態の摘出器で癒合部分を素早く摘出すべきとなっていますが、この手法では処置に手間取ってしまうと神経系にダメージが残ってしまう可能性があります。もちろん患者さんの生存が最優先ですし、
そういう面でいえばこの手法が最適ではありますがこれ以降も患者さん達の人生が続いていく事を思えば後遺症のリスクは低いに越した事は無いでしょう」
そう言って諏訪医師は癒合部分の一部、患者側を切り取り頸の筋肉に押し付けた
「なのでこのように寄生されて吸血虫に代替されている部分に繋いでやってください。真社会性を持ち、患者さんの脳を処理装置として用いるとはいっても個々の吸血虫はそこまで賢いわけではありません。それぞれが本能に基づいて女王を生かそうとする習性を利用してしまえば治療において最大のリスクである壊死を限りなく減らすことができるのです」
それは諏訪医師がかつて編み出した手法である。
各国から追われる彼を匿ってくれたインド北部の村において数百人を手術した臨床経験に由来する技術であり、超常医療の歴史を変えうるものではあるものの、その難易度の高さから一般化していない。
もちろん女王に栄養を補給し続けるバイパスを設ける事は理にかなっているが、そもそも個体毎に異なる切除の許容量を見極めて1/100mm単位で適切な量を切り取り、バイパスする吸血虫代替部分も栄養供給のボトルネックにならず、かといって過剰な供給が行われない適切な箇所を選ばねばならないのだ。
それらの判断に明確な基準は存在せず完全に感覚頼りである。
『機構』としても本来であればこの様な手法に頼ることこそないし、多数の比較的軽症の患者達は国際基準に則った手法を用いて処置が行われている。
この場において諏訪医師達に任されているのは特に症状の進んだ患者達であり、彼らに諏訪医師の手法を用いるべきと主張したのは現場の医師達だ。
普段の言動を鑑みればマッドサイエンティストの好奇心の暴走に映ることだろう
勿論高難度の手法を試すということに対する高揚感は皆少なからず抱いているし、国内において試す機会が殆どない『吸血病』に対して色々試してみたいという欲求が無いのかと問われれば、無いと断言できる者も居ないだろう。
しかし、諏訪医師の手法を用いるべきと主張した者達も、この場に集められた『機構』最高の臨床医達も、あの諏訪光司ですら心は一つである。
それは偏に患者達の術後の生活がより幸福なモノである様にという医療の道を行く彼らにとって本質に近い、それ故に『機構』の様な団体にあって抱き続けることの難しい理想を追い求める事に尽きるだろう
諏訪医師が手本を示してから87時間後、安曇梓は千人塚研究室の三人に割り当てられた控室の椅子に座り放心していた。
何かを思うでも考えるでもなく、文字通りの放心である。
長時間に渡ってノンストップで行われた処置に参加したとあっては流石の彼女の脳ですら殆ど機能が停止してしまっても無理はない。
「あれ? 梓主任、まだ起きてたんですか? 仮眠とった方がいいですよ」
端末とコーヒーを持って部屋に入ってきた猪狩医療研究員が声をかけても反応がない。
「梓主任! こんなとこで寝てたら風邪ひきますよ!!」
「うぎゃっ!! へ? 猪狩さん……?」
訝しんだ彼が耳元で呼びかけると漸く奇声とともに反応があった。
「全く、慣れない事をこれだけぶっ続けでやったんだからちゃんと休まないとダメですよ? 青白い顔してフラフラしてたら患者さんも安心できないでしょう?」
「あ、はい……というか休まなきゃっていうのは分かってるんですけど……なんか妙に興奮しちゃって眠れそうにないんです」
これはいい訳ではない。彼女自身処置の途中から異常な興奮状態にあることは自覚していた。
「ふむ、おそらく疲労と長時間の集中によるものでしょう。そういう時にぴったりのハーブティがありますから淹れましょうか?」
猪狩医療研究員に続いて部屋に戻ってきた諏訪医師が自然な流れで診察と処方をしてきた。
「あ、ありがとうございます。いただき--」
「ちょっと待った!!!」
諏訪医師の申し出を受けようとした彼女の言葉を遮ったのは猪狩医療研究員だ。
「諏訪先生、茶葉を見せてもらえますか?」
「はっはっは、急に大きな声を出してどうしたんですか? あなたらしくもない」
そう言って諏訪医師は部屋の片隅に置かれた小洒落た革製のトランクから小瓶を取り出して猪狩医療研究員に手渡した。
「本来は門外不出の秘伝の調合ですが、私と猪狩さんの仲ですからな、特別にお教えいたしましょう」
「はいはい、そりゃどうも」
悪戯っぽく言った諏訪医師に対して素っ気なく返した猪狩医療研究員は小瓶を開けると中身を観察し、匂いを嗅ぎ、安心したようにホッと息を吐いた。
「今回のは大丈夫そうですね。梓主任も諏訪先生に出されたものを簡単に口に入れようとしないでください!」
「え……あっ!」
普段だったら敬愛する諏訪医師であってもその本性を知っている以上は彼女も警戒心を抱くところではあろうが、現状の疲労が彼女の明晰な判断力さえも著しく低下させてしまっている。
「おや、私は植物由来の安全なハーブティしか出しませんよ?」
「私にボタニカル詐欺が通用するとお思いで?」
「はっは、これは手厳しい!」
研究室では毎日のように繰り返されるやりとりだが、彼女はそれを羨望のこもった目線で見つめる。
「どうしました?」
その視線に気づいたのは諏訪医師だ。
「いえ……何でお二人はそんなに元気なんだろうって……」
「おや、私はもうお爺さんではありますが猪狩さんはまだまだ働き盛りですよ?」
「あ、違います違います!! そういう意味で言ったんじゃないんです! ただあれだけ長い時間私の何倍も働いてたのに何でそんなに元気なんだろうって……えーと、あー言葉がまとまらない……」
「大丈夫です。言いたいことは分かります。しかし……諏訪先生はどう思います?」
彼女の問いを受けて猪狩医療研究員が首を捻る
「ふむ……そう言われてみれば考えたこともなかったですが……気持ち、というのは陳腐ですしそもそも梓さんの情熱は我々にだって劣るものではないでしょうし……ふむぅ……」
諏訪医師の反応も猪狩医療研究員と似たようなものである。
「そういえば昔は諏訪先生も大手術の後は爆睡してましたよね?」
「そういう猪狩さんもではないですか……いつから寝なくても平気になったのか……」
うんうん唸りながら二人の名医が悩んでいる。一才の迷いも澱みもなかった処置中とは真逆の状況である
「お二人とも全く疲れてないんですか?」
「いやいや、流石の私だってクタクタですよ! 諏訪先生だってほら、目も充血してるし珍しく髪型も乱れてますし!」
「おっと、そんなに見た目に出てましたか。これはお恥ずかしい。しかし猪狩さんの言う通り私も倒れそうなほど疲れてはいますよ」
この二人は『機構』でも名の知られた医療研究者でもあると同時に千人塚研究室の医療セクションを統括する立場でもある。
役割として研究室所属人員の健康管理についても責を追っているのだが、こと自らの専門に関すること限っては研究室内における健康維持の大問題児でもある小笠原研究員に勝るとも劣らない社畜ぶりを発揮すると言うことだろうか? と安曇梓はぼんやりと思いながらも、二人のやりとりに曖昧な笑みを浮かべるに留めておいた。
「さてと、それでどうでしたか?」
「どう……というのは?」
諏訪医師が給湯室に向かってのちに、猪狩医療研究員が安曇梓に尋ねてきた
「今まではあくまでうちの研究室の中での仕事ばかりだったでしょう? 今回のような、初めての本格的な医療研究員としての動員に関する感想を聞いておこうと思いまして」
それは雑談半分、役割半分の質問だろう。
特に彼女のような二毛作職員は『機構』においてもなかなか珍しいものであり、それ故に専門教育はOJTに頼る部分が多い。
その上で彼女の教育に関する責任は千人塚博士とともに複数の指導教官が負うことになっている。
猪狩医療研究員はその中で臨床に関する指導教官の責を負っているのだ。
加えて言えば生理学研究に関する指導教官は新潟医療研究所の横手主務医療研究員、野外衛生研究の指導教官は中部研究所の豊川主務医療研究員、そして彼女の医療研究員としてのテーマである神経工学分野における指導教官は六ヶ所村医療研究所所長の姉帯主務医療研究員と、『機構』の真っ当な研究者の中において最高の人材が揃えられている。
そこから見ても、彼女がどれだけ『機構』から期待されているのかがわかるというものだろう。
「そうですね……こんな言い方をするのは不謹慎かもしれないんですが……」
そう前置きして彼女は問いに答える。
「正直言ってかなり楽しかったです」
「というと?」
「今まで学んできた事を活かして新しいことに挑戦できる機会というのも、ベテランの皆さんの手腕を直接見ながら仕事ができるというのもかなり……それこそ休憩するのも惜しいと思えるくらい楽しくて、それで私が関係した患者さんの処置が無事に終わった時なんかはもう疲れなんて一気に忘れるくらい達成感があって……ごめんなさい。正直医者としてはあまり褒められた感想じゃないかもしれないですけど……」
「いいではないですか! 実に素晴らしい!」
彼女の言葉に答えたのは質素なお盆にハーブティーを入れたそれぞれのカップを乗せて持ってきた諏訪医師だった。
ちなみに言うと本来であれば彼女の直接の医療研究員としての上司として指導教官の立場にあるべきだが、彼は『諏訪光司』である。『機構』と千人塚博士の判断で指導教官の任は付与されていない。
「患者さんを救うことと私達が楽しむこと、その両立が出来ているもならばそれに越したことはないでしょう。むしろそれこそが私達の存在意義と言っても良いのではないですかな?」
「まあ……諏訪先生ほど極端にやられてしまうとそれはそれで困りますけどね。ただ言葉通りの意味で言えば私も先生の言うことには完全に同意見ですよ」
「それで……今回の案件が忙しすぎてずっと聞きそびれていたんですけど……」
安曇梓は頼れる二人の上司に質問を投げかける。
「千人塚博士がずっと言ってた『脊柱殻』って何ですか?」




