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継承 6

長野県大町市 環境科学研究機構 食堂


「簡単に言えば敗北宣言だね」


ワックスが乾くまでの間暇なので私たちは食堂に避難しておやつタイムと洒落込んでいた。

なにしろ今日は食堂の野牛島主席給養員がアン・マリーを超える事を目的としたケーキの生産試験の日程だからだ。


「敗北宣言? 『脊柱殻』って主病巣の事ですよね? どう言う事なんですか?」


試作品のラズベリーソースがかかったレアチーズケーキを食べながら納得のいっていなさそうな顔で修くんが聞いてくる。


「うん、まあざっくり言いすぎたけどね。どう言うことかって言うと当時の超常管理組織だった陸軍の憲兵司令部分権隊と協力関係にあった伝染病研究所、あとは内務省だったり時期によっては厚生省だったり石井機関だったりが一生懸命頑張って治療方法を研究してたんだけど、結局全くうまくいかなかったから『吸血病』感染者を伝染病感染者としてではなく侵略的な人類の変種として駆除対象に指定した名残だよ」


要は『吸血病』の対処は治療ではなく駆除による根絶を目指すという方針転換である。その中で超常特性を有する人類の変種として『吸血鬼』と言う存在の持つ身体的特徴として『脊柱殻』という神経器官を持つというように定義づけられていたのだ。

その中において現代で『脊柱殻』とほぼ同様の意味を持つ『主病巣』のように病気であると言うことを示すような言葉は徹底的に排除されていた。多分、病気に冒されただけの人々をあくまでも敵性存在として駆除するということに罪悪感があったのだろう。


「あー……だから日本って『吸血病』の根絶が早かったんですね」


「そう言うこと。他の国では治療によるアプローチが継続的に行われてたんだけどね。日本の場合島国で『吸血病』のアウトブレイクが即座に破局を招きかねないっていう判断で早いうちに駆除に舵を切ったってわけ」


ただ、この決定に至るまでの会議はかなり紛糾した。最終的には内閣を含めた会議でも決着が付かず、御前会議でどうにか決まったようなものである。


「御前会議ですか、なんか意外です」


ケーキにセットでついてきた紅茶を飲みながら言ったのは静代さんだ。


「色々お勉強してる感じだと、天皇陛下が決定に関わった時はもっと穏健な方にいくイメージがあったんで」


「うん、そのイメージは正しいと思うよ。基本的には日本人を害することは歴代よしとしてはいなかったし、この時だって最初は完全に反対の立場だったしね」


ただし、だ。

あの頃の情勢を考えれば善良な判断を尊重するのが善なる選択とは必ずしも言えなくなっていたのも事実である。


「満蒙とか租界への変異株の流入だったり、その頃私……私のご先祖様が所管してた南洋の島でのアウトブレイクだったり、それこそこっち側での『吸血病』の脅威はスペイン風邪や天然痘とは比較にならないレベルだった。そういう大陸や南洋の詳細なデータを提示されたら判断は一気に難しいものになるでしょ?」


危うく私の当時の立ち位置を食堂で話すところだった。

研究室内に限って秘密の共有が認められてしばらく経つせいで油断していた。危ない危ない


「実際南洋では支庁判断で駆除を目的とした武力行使はすでに行なって一定の成果を上げてたし、大陸の方も大体おんなじようなものだったって聞いてる。それに当時最も『吸血病』汚染の少なかったイタリア半島は伝統的に異端審問や魔女狩りだなんだって名目でバチカンが積極的に駆除を推し進めてた地域だったって話もある。ともかくとして治療法が存在しない時代だったって考えれば、研究や治療目的での行動より純粋な武力行使で駆除するのが最も手っ取り早くて効果的だったってことだね」


「……なんか、その……ずいぶん緩くないですか?」


とは小県ちゃんだ。彼女は甘いものを食べてたらしょっぱいのが食べたくなったとかで塩鮭定食を食べている。

うん、よく食べるのは良いことだ。


「分権隊含めて政府の対応がってこと?」


「はい、いや別に悪くいうつもりとかはないですし時代背景的なこととかも全然わかってるわけじゃないんですけど……駆除が効果的ならさっさとやっちゃうほうが結果的に被害は少なくなると思いますし、多分『機構』なら迷わずそっちを選ぶんじゃないかなって」


彼女のいうことは正しい。少なくともここまで私が話してきた内容のみを判断基準にするのであればその通りだ。


「720万人」


「え?」


「その頃の日本の支配領域内に存在するとされた『吸血病』患者の総数、正確に言えばその最も悲観的な推計値だよ」


実際にはそれよりかなり少ない人数の患者しか存在せずに済んだのだが、駆除か治療法の模索かの会議の中で基準として用いられたのはこちらの人数だ。

しかしそれがわかったのは国内での根絶宣言が出されたあたりでの話であり、この段階では現在の埼玉県の人口ほぼ丸々分の人間の生死をこの会議で決定しなくてはならなかったのだ


「多分それだけの人数の駆除となったら『機構』だって二の足を踏むレベルだよ」


そもそも中にいても勘違いしてしまいがちだが、『機構』は民間人の被害をよしとしているわけではない。

あくまでも『機構』が許容するのはその犠牲によってより多くの命が救われる場合のみだ。

そういった精神教育みたいなものは組織の特性から考えてもしっかりと行なっていかなければならないのだが、ほとんど行き届いていないというのが実情である。


「そういうわけだから、みんなも付帯的被害って言葉に逃げないようにしてね」


「確かに最近はそういう部分の教育みたいなことやってなかったですもんね……」


がっさんが言うように、うちの研究室がこんなに忙しくなる前はちょいちょいそういう教育を行ってはいたのだ。


「精神教育……あー、自分も物部博士のところにいた時は受けたことあります。ただ物部博士のとこだともっと具体的な感じの……規則だとか判断の基準とかそういった感じのやつだった気がします」


「うちだって似たようなもんだよ。だってみんなみたいに賢い子達だと道徳の授業みたいな内容だとメタ読みして真面目に聞いてくれないでしょ?」


『機構』における精神教育みたいなものは大体そんな感じだ。

特に研究職に関しては尖ってる若手も、既存のやり方に慣れ切ったベテランも、そのやたらと高性能な脳みそでうまいこと『こなして』しまうのだから、教育を実施する側はしっかり工夫をしなくてはならない。


「ま、教育も時間ができたらやるとして、とにかく『脊柱殻』に関してはそういう暗い歴史があるからね、国家主導から『機構』主導の超常管理に移行してからはあんまり使われなくなった言葉ってわけ」


ちゃんと人を人として扱う

それは理想であり、私たちが厳に目指すべきものだ



東京都豊島区池袋


暗い路地裏、立ったまま完全に体の自由を奪われた男の首筋に白く細い指先が触れる


「ああ、辛かったろう……もう大丈夫」


彼女は優しい声音で語りかける

続いてバチンと空気が爆ぜるような音に続いて男の身体は地面に崩れ落ちた。


「……殺したのか?」


「殺したと思うかい?」


レイスの言葉に矢島は首を横に振った


「生憎と殺したって聞かされても信じないだろうよ。あんたとはそこまで付き合いが長いわけじゃないが、それでもあんたのお人好し加減はよくわかってるつもりだ」


謎の集団……だと思っていた団体、『環境科学研究機構』通称『NERO』の手から彼女の一党に救い出されて、流されるまま彼女らと共に環太平洋地域を彷徨いていた彼は、気がつけば新たな顔と身分を手に入れて再び日本に戻ってきた。

最早過去の全てを捨てて命を拾った彼ではあるが、しかしただ唯一残った一つだけを頼みに今日までの日々を生きてきた。

それは、報道の使命

人々が知るべきこと、隠されたそれを人々のもとに渡すこと

そのためにレイス達に付き従っている。


「しかし……奇妙だね」


「奇妙? 奇妙じゃないことなんてここ最近あったか?」


「まあ私たちの業界はそういうものだからね……ただ、今回わざわざ日本に戻ってきた理由、覚えてるかい?」


「『吸血鬼』だったか……? さっきのを見てなきゃとんだ与太話だろうって思っただろうけどな……」


「『吸血鬼』じゃない『吸血病』だよ」


「ああ、そうだったな悪い」


レイスから受けた説明では『吸血鬼』というのは『NERO』の全身である帝国陸軍の機関が『吸血病』患者の治療を諦めて駆除するために付けた、人を人ではなく化け物だとして呼ぶ時の自己正当化と欺瞞に満ちたものなのだという。

だからこそ彼女や彼女を支える『雨傘製薬』において『吸血鬼』という呼び名はある種のタブーになっているのだそうだ。


「それで『吸血病』が流行ってるから騒ぎに乗じて帰国……だろ? 予定通りなんじゃないのか?」


「うん、予定自体は問題ないんだけどね……あまりにも少なすぎるんだ『吸血病』患者の数が……」


「そう……なのか? 平均がわかんないんだが……」


「ああ。『雨傘』からはかなりのパンデミックになっていると聞いていたし、『NERO』の対応も遅いはずだったんだけど……」


彼女が言うには『吸血病』の痕跡、治療されて身体のコントロールを取り戻した人にこそ出会えど、実際にコントロールを奪われた患者には先ほどの一人にしか未だ出会っていない。


「私も専門家じゃないから詳しいことはわからないんだけどね……『吸血病』の治療には特殊な治療器具が必要で『NERO』はその器具の備蓄が極端に少ないらしいと聞いてたんだ。それで『雨傘』を含めた国内の専門の企業にどうにか在庫を調達できないかというオファーがあったって話だったんだけどね」


「治ってる……ってことは在庫を確保できたんじゃないのか?」


「いや……国際的な流行だから各国それぞれ自分たちの分で精一杯だって聞いていたんだけど……」


悩んでいたレイスが言葉を切って背後を振り返った


「やあ、こんばんわ」


「あんたら何してんだ」


レイスの視線の先にいたのは二人の男だ


「それは私達が聞きたいよ、彼と一緒に……ねえ? そういう気分になってここに来たら人が倒れてたんだから」


二人の男のうち若い方が倒れている男に駆け寄って脈をとる


「息はあるみたいです!」


「あー、とにかく通報するからちょっと待っててもらえるか?」


まずい……矢島は自らの鼓動が早くなるのを感じていた。

こんな場所で警察と関わり合いになるのは彼らにとって歓迎すべきことではない。


「ふむ……私達はこの件に関わりがないと思うんだが?」


「いや、そういうわけにもいかないんだ。一応第一発見者ってことにはなるからな」


言葉ではそういっているものの、確実にこちらを怪しんでいるのは明かだ。


「なるほど、君達は警察官なんだね。大変な仕事だが、尊敬されるべき重要な仕事だ。そうだろう? 梅島警部補」


「そりゃどうも……ん? 知り合いだったか?」


「そんなことは大した問題じゃないさ。それで、どうしたんだい? そこの倒れてる人は? 君たちがやったのかい?」


焦る矢島に対してレイスは冷静で余裕な口調を崩さない。

そして内容は支離滅裂だ……


「何を言って……ん? いや……俺たちが来た時には倒れて……?」


「ふむ、君たちがここで倒れている彼を見つけて手当しているところに私達が偶然来てしまったとそういうことだね?」


「ああ、そうだ。倒れているこの男を見つけて手当をしているところにあんたらが偶然来ただけだ」


「なら、私達はもう行ってしまって大丈夫だね? なにしろ私達は単なる野次馬だからね」


「ああ、あんたらは単なる野次馬だから行ってしまって大丈夫だ」


「だそうだ。行こうか」


レイスに促されて矢島は路地裏を出た。


「……何をしたんだ?」


「めいざふぉーすびーうぃずゆー」


超能力者……矢島がレイスについて知っている数少ない部分の一つだ。

彼女の友人である異形だが心優しい少女の様に目立つ念力はそこまで使えないが、人の精神に働きかける能力に関して言えばかなり強力なのだと聞いている。


「そういえば、さっきの若い方……彼も虫にやられた痕があったね」


「そんなのもわかんだな」


「治っても少し虫の声が残ってるからね」


「……全く、常識がどんどん壊れてくよ」


「しかし、アイツらがどうにもならなくなってまた『駆除』なんて言い始めるかもと思って見回りをしてたけど、どうやら大丈夫そうだね。帰ろうか? 詳しいことはカマさんやお薬屋さんとコンタクトを取れたら聞いてみればいい」


二人は堂々と、しかし道ゆく誰の目にも留まらずに消えていった

二人の警官の記憶からも、人々の意識からも



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