継承 4
群馬県桐生市内
「博士、お弁当買ってきましたよ」
「せんきゅう! こっちもあとこの配線付け直したら終わりだからちょっと待ってて」
楽しい楽しいショッピングを終えて、関東全域を巡るドライブの復路最終チェックポイントであるこの場所に辿り着いた頃にはすっかり日も暮れてしまっていた。
「おっけいおっけい! これであとはぶつけないで返せたら上々だね」
「正直そこが一番心配なんですよね……やっぱり私が2台とも運転した方が良い気が……」
東京のレンタカー屋で借りた車とこの辺で借りた車の2台、町外れに隠しておいたせいで店まではそれなりに距離がある。
それこそ徒歩で移動するには距離がありすぎるし野面で監視カメラに映るのはあまりよろしくない。
「いや、流石にバス……は無さそうですけどタクシー使いますって」
「ずずず……がっさん、ドラレコの映像なんてウチのデカめな情報源だよ?」
インスタントのお味噌汁が染みる。
シジミか……流石がっさん、センスがいい。
「あー……そういえばそうでしたね……でも本当に大丈夫ですか? それこそ車内カメラ塞いで事故なんか起こしたら余計目立つんじゃないですか?」
がっさんがずっと心配しているのは私が東京で借りた方を運転して桐生市の市街地に車を返しに行くがっさんを追走するという部分だ。
運転が下手くそな自覚はあるが、それはあくまでも『機構』職員のレベルに合わせて考えた場合である。
一般的な基準で言えば盆暮ドライバーの平均を2割ほど下回る程度なのだから一般道を普通に走行するくらいのことで事故なんてそうそう起きやしないだろう。
客観的に見て事故を起こす確率としては精々60%程度だ。
「そんな心配してたってしょうがないよ、それよりがっさんもご飯食べな?」
「はあ……いや、まあいいですけど……ヤバい話に付き合わせる割にそういうとこ杜撰、というかギャンブラーですよね」
がっさんがアルコールティッシュで手を拭きながら残念なものを見るような視線を向けてくる。
「流石にいつもだったらもっと入念に準備するし隠善のお頭とももっと何回も打ち合わせするんだけどね……ただまあ今回は諏訪先生が割と本気めで怒ってたからさ」
「……諏訪先生そんなに怒ってたんですか? アレくらいだったらちょくちょく見るような気もするんですけど」
「がっさんが来た頃にはある程度は治ってたからね。必死で堪えてはいたけど諏訪先生が他人を絞め殺しそうになるくらいに怒ってるのなんてこの20年は見たことないよ」
普段だったらプライド……と言うべきか、もしくはある種の信仰と呼ぶべきかは分からないが『作品』を用いるだけの分別は保っている。それこそ多少感情的になったとしてもだ。
その分別さえ保てなくなったら彼は銃を用いる。曰く『下品で効率的な手段』
それらは問題ない。拘りにしろ効率にしろ、とにかく行動の前に考えてはいる。即ち人間として他者に危害を加えているのだ。
しかし今回は私が止める直前に彼は手を相手の首元に伸ばそうとしていた。
他の誰かだったら恫喝のために襟元を掴むようなことも考えられるが、諏訪光司という人物の行動に恫喝なんていう回りくどい概念は存在しない。
彼は生命に対する敬意と尊重の大きさと比例するかのように他者の命を自らが奪うことへの躊躇いがないのだ。
故に今回の彼の行動は確実に思考の介在しない感情的なものであったと考えて間違いはない。
それは獣の行動だ
「だから今回は本当にちょっとかなりすごくヤバい事態だったんだよね」
「なるほど……?」
「分かんなくていいよ、流石にがっさんにまで『あっち側』になられたら身がもないしね」
ただでさえ次世代の諏訪先生になりそうなお嬢さんがいるのだ。
対応の効率化において見れば理解は武器にもなろうが、それで呑まれた人間はそれこそ両手足の指でも足りない。
「そんな緊急事態なら私来ないほうが良かったんじゃ……」
「うん、本当だったら日を改めてゆっくりと……ってしたかったとこなんだけどね……こっちはこっちでのっぴきならない事情があったから」
「……まだなんか厄介ごとがあるんですか?」
「こっちは厄介ごとってわけじゃないよ? むしろおめでたい話じゃないかな?」
「おめでたい話……あっ! もしかして」
流石にがっさんも気付いたようだ。
「車の研究費おりたんですか?!」
「そう! ……ん? 車の研究費……? 何それ」
「何それってちょっと前に申請したじゃないですか! 『ジェットババア』用の装備開発したいから研究用途で車買ってくださいって」
ああ、あったなぁ……あくまでより安全かつ確実に『ジェットババア』を管理収容するためでございって感じで猪口才に整えられた申請書
その実としては各国各メーカーのスーパーカーやらなんやら所謂がっさん好みの車を大量に購入しようとしてたそこらの自治体の予算を軽く上回りそうな額のいかれた怪文書であったが
「アレなら私で却下したでしょ?」
「てっきり人情で上に掛け合ってくれたのかと……じゃあなんです?」
しっかり出鼻を挫かれてしまったし、なんなら今の話を聞くと伝えないほうがいい気がしないでもないが……まあいいか、慶事には変わりはないのだ。
「えーと、まだ正式ってわけじゃないんだけど……がっさん、室長になれるって」
「室長……? えっ……室長って……え? あの室長ですか?」
「どの室長かにもよるだろうけど多分その室長のことだと思うよ?」
「はえぇ……誰がです?」
「いや、だからがっさんが……」
「私ですか……?」
おや、なんか険しい表情だ。嬉しくなかったかな……
「え? 私が室長……? え、待ってうそ……」
「そんなウソつかないよ。まあまだあくまで内々定みたいなもんでは--」
話していたら急にがっさんが蹲ってしまった。
「どうしたの? 大丈夫?」
「違うんです。大丈夫です。こうでもしとかないと嬉しすぎて大声出しちゃいそうで……」
なるほど。確かにほぼ人目はないとはいえ、この辺も全くの無人というわけでもない。高い保全意識ゆえのことと言うわけだ。
「まあそう言うことだから正式に文書が回ってくるまではあんまり大っぴらには言わないようにね」
この様子を見るに平気ではあるんだろうが
「それと、喜んでるとこ非常に申し訳ないんだけど……」
「な、なんでしょうか……」
「がっさんの能力面は全く関係なく、あくまで実務上の都合としてだけなんだけど……」
「は、はい……」
ああ、せっかくこんなに喜んでくれてるのに水刺すようなこと言いたくないなぁ……
「しばらくの間はうちの附帯研究室って形になっちゃうんだ……ごめん」
正直なところがっさんは今すぐに第一線の独立した研究室を率いたところでなんの不足もない事は理事会だってわかっているし、誰よりも私が一番よく知っているつもりだ。
しかし『ジェットババア』に『アゴ』に『レイス』、加えて昨今の慌ただしい業界の国際情勢にも色々対応しなければならない都合上今がっさんが完全に独立という形になってしまうとうちや甲信研のみならず10部と9部、CTCや情報本部の仕事まで大幅に滞りかねない。
「はぁ……え? 何がごめんなんです?」
「え、いやだってせっかくのがっさんの城だよ?」
「うーん……あんまり嫌じゃないですね。むしろ博士と一緒なのは嬉しいですよ?」
「いやいや、うん。まあそう言ってくれるのは嬉しいけど……ごめんね? なんかさらに気を使わせちゃって」
「いや、別にそういうわけじゃ……」
「ただ! もちろん私も十河の爺さんも! あと八街理事とか三國理事とかがっさんを見込んでる理事達もごめんねで済ませるほど薄情じゃないからね、ちゃんと代わりに凄くいいモンもぎ取ってきたよ!」
「え、まだなんかあるんですか……? 正直今の段階でも過呼吸になりそうなくらい嬉しいんですけど……」
まったく、気を遣っちゃってまあ……
「研究室のメンバー選定に関しては全『機構』職員に対するスカウトを許可する運びになりました!! はい拍手!!」
「お、おお〜!」
「所掌部またぎだろうが、秘書科だろうが特殊部隊だろうがベテランだろうが新人だろうががっさんが欲しいと思って相手方もOKしてくれれば誰でも……は流石に言い過ぎだわごめん。特別な事情がある諏訪先生とか藤森ちゃんみたいなの以外なら誰でも最優先で引っ張って来られます!」
「えっと……いいんですか? なんかよくしてもらいすぎな気がするんですけど」
「んなこたないよ、むしろこんなことしかできなくてってのはこの件に関わる全員の共通認識だよ」
がっさんは『機構』内において異例の出世頭であることは間違いない。
しかし主幹昇任の審査は本部のゴタゴタのせいで延期に延期を重ねてきたし、室長としての能力と資質に関してはずっと前から認められていたのだ。
規模だけでいえば世界第3位タイの『機構』ではあるが、慢性的な人手不足に悩まされてもいる。
『事案』発生件数の膨大さに対して基幹要員の数が足りていないとか、波及被害の局限化のために一つの『事案』対応に複数の研究室があたる制度だとか、その要因はいくつもある。
ただ、種々の問題を抱えながらも私たち『機構』がうまくやれているのは集団としての能力、そしてそれを形成する個の能力を大切にしているからに他ならないと言っても過言ではないだろう。
故にだ。高い能力を有している人材には相応しいポストにて報いることを怠ることは即ち組織の根幹を蔑ろにするのと同義であるとさえ言える。
「そういうわけだからがっさんが気にするようなことは何もないしなんならもっと色々要求したっていいくらいだよ!」
「あはは……いや流石にこれ以上……あ! それならさっきも言ったあの予算を--」
「それは却下」
「えー……」
「言ったでしょ? 能力を大事にしてるって。あんなんでせっかくのがっさんがバカだと思われちゃたまんないよ」
東京都千代田区 環境科学研究機構本部庁舎 統制本部交通課 電算機室
完全に足取りの消えた千人塚博士と小笠原主幹研究員の二人
『機構』のシステムを用いてすら全く痕跡を追えない、どころか何者かが意図的に隠蔽している兆候さえある。
『日の出の魔女』千人塚由紀恵、『薔薇色の指もてる暁』小笠原富江両名の天才性を思えばそれすらも当人達による何らかの工作と見ても何ら違和感は無い。無いのだが、二人の興味や嗜好を考えるとここまでのことを成し遂げるだけの知識を蓄えているのかという部分にどうしても違和感を感じてしまう。
それ故に彼はこんなところに出向いてきているのだ。
(勘違いならそれでいい。けど……)
千人塚博士は言うに及ばず、小笠原研究員も国際的に高名な研究者である。特に『サンタクロース案件』において彼女の研究に多くの命を救われた欧州においては暁の女神の雅称をもって呼ばれるほどである。
昨今の情勢を鑑みれば『機構』における重要人物全てを抹殺対象としてきた『保全財団』の危険はそれほど大きく無いとはいえロシア連邦政府の脅威は今までの『保全財団』以上に大きい。
(全面超常戦を覚悟しているなら二人は喉から手が出るほど欲しいはず……何かあるなら助けに行かないと)
そう考える彼は自身がロシア側から見た最上級の賞金首『キエフの亡霊』であるということはすっかり忘れてただの『機構』の裏方高度情報管理員の片切信三であると思っている。
「片切くん、何やってんの?」
「ジェ、『ジェットババア』に……つな、繋がりそうなアレを、えっと情報を、探して、ます」
あくまでもこの場の設備を使うための方便である。
日本全土と台湾、今は遮断されているが極東ロシア沿海域の交通監視システム、沿道の監視カメラ等を複合的にオーバーライドする『機構』の交通監視システムへのアクセス自体は彼の持つ職掌上の権限で十分に可能ではあるが今は探し出そうとしている情報がともすれば上司の不利益にも繋がりかねないが故の配慮である。
「へぇ……仕事熱心だねぇ……もう遅いんだから程々にしときなよ?」
「は、はい……」
「博士、なんか私に言う時と違いすぎません?」
「片切くんはがっさんとは違ってちゃんと無理しない加減ってもんを心得てるからいいんだよ。ねえ」
「えっと、あの、小笠原さん……はその、えっと常軌を逸してるので……あっう、あの、いい意味で」
「えー……ひどく無いですか?」
「酷くないよ、むしろいい意味でなんて嘘つかせるがっさんの方がひどいって」
「あ、あはは……」
「何だかなぁ……それで関東に目星をつけてる感じなんですか?」
「え、あ、その……」
実際に追っているのは『ジェットババア』ではなく千人塚博士と小笠原研究員の行方である。
(まさか博士達に目をつけられるとは……ん?)
「えっと……は、博士……?」
「はいはい博士だよー」
「えっ……あの……あー……あぅ」
疑問がそのまま口から出そうになるのを堪えた彼は逡巡の後に今のところ判明している二人の移動ルートを地図上に反映させた端末を無言で差し出した。
「ん? あー……そう言うことかぁ……心配かけちゃったみたいだね」
「よくここまで追えましたね……もうあとちょっとで……ねぇ?」
「い、いえ、その……あの、えっとおかえ、りなさい」
「うん、ただいま」




