継承 1
東京都千代田区 環境科学研究機構本部庁舎
地下22F 所掌第10部フロア 臨時吸血病対策要員エリア
「……またですか?」
『すみません……ですがこうなっては千人塚博士しか頼れる人もいなくて……』
「いやいや、いくらでもいるでしょう? 山陰研には相談したんですか?」
『荒事ならそうなんでしょうけど、磐長比売命のケアを任せられるような博士はいないですよ。過激派ばっかりじゃないですか』
「まあ……それは確かに……あ、そうだ。三島には相談しましたか?」
『一番最初にしてますよ、今治にも富士宮にもとにかくもう頼れそうなところには片っ端から!』
「で、結局どこもどうもできなかったと」
『そうなんですよ……もう博士しか頼れる人がいないんです! どうかお願いします!!』
「はぁ……わかりましたよ。ただ今は案件対応中なんで直接出向くことは難しいんです。あとで電話かけてみますけど……番号変わってないですよね?」
『えっといつ頃の番号持ってます?』
「前回が確か2019年だったはずです」
『それだと……あー8回変わってますね』
「ペース早くないですか?」
『最大限努力はしてるんですけど……』
「とりあえず最新の番号をこっちに送っといてください。あと私の方から電話はしてみますけど多分それだけじゃ解決しないと思うんで普段通りのケアは継続して行ってください」
『分かりました。それではくれぐれもよろしくお願いします』
非常に複雑な構造をしている本部庁舎、普段なら永遠にも感じる所掌部区画を跨いだ移動であったが、西研宗教部の鞍馬特任研究員からの非常に厄介な長電話のおかげで気がつけば目的のフロアに到着していた。
電話の内容は簡単に言ってしまえばメンタルが不安定な女の子のケアだ。
精々が一万歳程度の小娘なんて思春期みたいなもんだしわざわざ『機構』が大騒ぎするようなことでもないのだが、残念なことに彼女は高位の神格性事案でもある。流石に無視するわけにもいくまい……
本当ならこの後静代さんを連れて浅草と銀座に観光しに行く予定だったんだけどなぁ……
「貴方達は人の命をなんだと思っているのですか!!」
「諏訪先生、落ち着いて!!」
「誰か! 班長か特殊部隊の人呼んで!!」
この後の予定について考えながら私たちに割り振られた部屋のドアを開けるとさっきの電話の数万倍は厄介そうな騒ぎが起きていた。
ので、バレないようにそっとドアを閉め--
「あ! 博士丁度いい所に!」
ようとしたところで宮田くんに見つかってしまった。
優秀な全般職種調査員である彼の目を逃れるのは難しい。うん、実に出来る子だ。とても誇らしい。
「最悪のタイミングで帰ってきちゃったね……で? だいぶ荒れてるけど何があったの?」
「待って……先に止めてください! もうちょっとムリっす!」
身体を入れてどうにか諏訪先生を押し留めている彼の必死の叫びが響く
よくよく見てみれば足元にはウチがいつも諏訪先生に使う自動注射器が粉々に砕け散って転がっていた。
なるほど、流石に赤マル急上昇中の宮田くんでも諏訪先生の相手はまだ厳しいみたいだ。
「おーい、諏訪先生! 落ち着いて何があったのか報告しなさーい」
一応呼びかけてみるがこっちには反応がない。正面で縮こまる中年の医療研究員になにやらひたすら捲し立てているみたいだ。
内容はよくわかんないがどうやら医者としての義憤大爆発系らしい。かなり面倒なパターンだな! うん、帰りたい!
「博士!」
おろおろしていた梓ちゃんが泣きそうな顔でこっちに寄ってきた。
ええと……拳銃拳銃
「大丈夫? 怪我とかしてない?」
「私は大丈夫ですけど……諏訪先生が……!」
弾倉はどこ入れてたっけ……ああ、喪服の内ポケットだ
「何があったの?」
「えっと……資材が足りなくて吸血病感染者の治療を打ち切るって話を聴いたらあんなことに」
「博士! マジで! マジではやく!! もうムリっす! うわっ、力つええ!!」
「博士、私たちじゃもう無理です! 諏訪先生を--」
銃口を諏訪先生に向けて五回連続で引き金を引く
よし、諏訪先生がこっちを見た。
他のみんながキョトンとしているが一先ずそれは無視だ。
「諏訪先生、一旦落ち着こうか」
「い……言ってる場合ですか!! 応急処置を……あれ?」
諏訪先生に駆け寄った梓ちゃんが驚いているが……
「空砲だよ。諏訪先生は良いとしてもどこに弾が飛んでくかも分かんないんだから実弾なんか使うわけないでしょ? はい、薬室よーし」
「や、薬室よし」
軽くパニックにはなっているものの、それでも安全点検に付き合ってくれる辺りに梓ちゃんの真面目さが垣間見えている。
……これでマッドに入れ込んでなけりゃあなぁ……いや、言うまい。
「それじゃあとりあえず全員から話を聞かせてもらおっか?」
何が起きていたのか、簡単に言えば『吸血虫』の摘出に必要な器具が感染者に対して圧倒的に足りていない。そういうことらしい。
何しろ日本では数十年間国内での感染事例が無かった、根絶された伝染病という立ち位置の病気だったからだ。
外科的な治療法が確立されたのは1960年代後半の事であり、日本国内における『吸血虫』の根絶宣言が出されたのは1940年の2月のことだ。
即ちどこかに埋蔵金のように器具が備蓄されている可能性も限りなく低い。
一応応急での対処用に5部が少数の器具を備蓄してはいたのだが、今回発見された吸血病患者のコロニーの規模は概ね600人程度と非常に大規模なものであり備蓄で賄い切れるようなものではない。
平素であれば『機構』は記憶処理薬輸出によって得た金の力にモノを言わせて海外から物資を買い漁って対応するのだが、今回の流行は日本国内のみならず北半球の大部分に及んでいるとのことでどこも自国で精一杯であり輸出するだけの余力がある国はほぼない。
『機構』に恩を売りつける絶好の機会であるにも関わらず昨今距離を詰めてきている『機関』や『保全財団』からすら色良い返事が得られなかった辺り状況の悪さは推して知るべきという所であろう。
「そういうわけで諏訪先生にはどうにかすると言っちゃったものの……状況を聞けば聞くほどどうにもならない感が強いわけよ」
「ええ……何にも当てがないのに安請け合いしちゃったんですか? 博士らしくも……無くはないのか? むしろ博士らしい?」
修くんがなんか失礼なことを言っているが、そもそもハッタリで場を納めたのは間違いないので反論のしようがない。
「まったく当てがないわけじゃないけど、それでも確実とは言えない……かな?」
「……その器具がどんなものなのか分からないですけど、なんか手に入るもので代替品を作ったりってできないんでしょうか? 色々備蓄はあるわけですし」
がっさんの非常に前向きな提案……しかしそれは前向きな天才ばかりが揃っているこの業界では遥か昔から試みられてきた話でもあり、必要な器具自体が西洋の超常技術を結集して発明された人類智の結晶とも呼ぶべきものなのだ。
感染者の命も永遠ではないし、何より国内の施設に『吸血虫』及び感染者を抱えていること自体をリスクと考えている5部のことを思えばタイムリミットはかなり差し迫っている。
おそらく悠長に技術開発を行っているほどの時間は残されていない。
「何しろメインで必要な材料がオリハルコンなんだよね……」
「ああ……なるほど」
がっさんも納得する。彼女は昔この手の合金について仕事で色々調べているから詳しいのだろう。
「オリハルコン……確かベリリウム銅に近い組成の物質なんですよね? 確か4部が少量のサンプルを保管しているって聞いたことがあります。どうにか分析して再現できないでしょうか?」
「難しいでしょうね」
梓ちゃんの問いにがっさんが答える。
「オリハルコンの再現は4部で昔から何度も試みられてるんです。ただどう頑張っても出来上がるのは組成としてオリハルコンと同一のべリリウム銅で、オリハルコンにとって最も重要な要素である超常エネルギーの貯留性、身近な所だと『ヒヒイロカネ』にみられるような性質を得るには至っていないんです。勿論挑戦する価値のあるテーマだとは思いますけど今の所私たちが持っている知見では今回の案件に間に合わせるにはどう頑張っても時間が足りない……ですよね?」
「うん。正直みんなでも厳しいと思う。猪狩くん、たとえば器材を準備できなかったとして他の方法で『脊柱殻』を外す方法とかって無いかな?」
見えてる部分では否定要素ばかりが出てくるのであんまり見えていない分野に投げてみる。
正直お祈りみたいなもんだ。結果は想像がついている。
「既存の外科的手法以外での『主病巣』の除去は困難でしょうね。『結節制御個体』……俗にいう女王と主病巣外殻は脳幹から大脳基底核までと完全に癒合している状態です。適切な器具以外での処置は患者に致命的なダメージを与えるでしょうし、主病巣外殻を破って『結節制御個体』のみをを駆除したとしても癒合した部分から致命的な壊死が起きます。患者を助けることを念頭に置いた場合はまず外科的手法以外の選択肢はないでしょうね」
だろうなぁ……
その後もみんなであーでもないこーでもないと話し合いはしたものの、残念ながら良いアイディアが出る気配はない。
こうなっては仕方がない。あまり軽々に使うべき方法ではないし褒められたモンでもないが、唯一持っている『当て』を使ってみるか……
仮に最悪の最悪の結果が待っていたとしても、諏訪先生の暴走を招くよりはずっとマシだろう。
東京都江東区有明
「それでわざわざレンタカーを借りてまで何をしようとしてるんですか? そろそろ教えてもらいたいんですけど……」
「ちょっと待ってねぇ……あとこのカーナビだけだから……よし、おっけい!」
借りたのはオンボロのマツダボンゴだ。最新の車よりはマシだとはいえ、追跡の役に立ちそうな電子機器全てを外すのはそれなりに骨の折れる仕事である
「で、なんだっけ?」
「私たちはどこになんの目的で向かってるのか、『機構』が作ったモノじゃない偽装の身分証使って民間のレンタカー屋さんから車を借りたのか、あとそもそもこの車が他所様からの借り物だって分かってるのかとか色々ありますよ? どれから話してくれます?」
事情も話さず無理やり引っ張ってきて連れ回したからだろう。温厚ながっさんもちょっとばかし怒っているようだ。
「うーん……一番の目的は人命を救うことかな? 二つの意味で」
「例の手術に必要な機材の調達って事ですか?」
「そうなるね」
約六百人の患者は勿論だが、それ以上に諏訪先生が暴れてしまうとその数倍から数十倍の人命が失われてしまうことになる。
「……なんだか予想がついてきました。正規のルートじゃないから『機構』が発行した身分証は使えない感じって事ですか?」
「さすが、よく分かってるね」
「そりゃまあ博士とはそれなりに長いですから……ただここまでやばそうなのは初めてな気がします。割と懲戒ものな感じですよね?」
「表沙汰になったらそうだろうね。一応十河の爺さん通じて根回しはしてあるし隠善党が目眩しに動いてくれてもいるけど、それでも堂々とやるべきじゃないことは確かだろうね」
非合法な手段は『機構』においては日常茶飯事ではある。
そもそもが国家の統治機構から独立し、かつ所管業務に係る部分においては国家に対して指導的立場をとることも多い現代の超常管理組織が従わねばならぬ法などというものは究極的には存在しない。
「だからこそ私達は厳密に定義された職責と規定に忠実たるべきであり、意志や情勢民意に翻弄される無法者に成り下がることは即ち破局へと至る道に他ならぬことを厳に自覚すべきものであるってね」
「『四谷誓文』ですか……?」
「よく知ってるね、こんな古臭いモノ」
「そりゃ『十人の宣誓』は『機構』に入って真っ先に教わる話じゃないですか」
『十人の宣誓』は『機構』設立に際して今で言う執行部理事会、当時の十人委員会の各人がそれぞれの名の下に職員全員が共有すべき原理原則の根幹を誓文という形で発した言うなれば『機構』の基本理念である。
私が口にしたのは『四谷誓文』の前文であり、既存の如何なる価値観にも勢力にも従わないんだから死んでも自分たちのルールは守りなさいっていう話だ。
今でもこの内容は『機構』という組織にとって最重要な事項だと信じているし、その理念に疑いはない。
その上で、だ。
「今日は『四谷誓文』に唾吐くようなやり口をがっさんに教える……というか引き継ぐのもまあ目的の一つって感じかな」
「……大きく出ましたね」
「そう? まあこれが良くないことだって分かってくれてるのは私としては嬉しいけどね。手札の一つとして持っといて損はないよって話だし使う使わないはがっさん次第だよ」
そもそも知ったからといってすぐに切れる類のカードというわけでもない。
根回しも工作もたんまり必要になる非常に面倒な話でもある。
ただ、『機構』の未来において確実に枢要な役割を担うであろうがっさんにとっては使うと使わないに関わらず知るだけで役に立つ類の話であることもまた事実だ。
綺麗で正しいことだけではうまく回らない場面もある。
これはそういう話、ある種現場だからこそ教えられる、そんなOJTだ




