大量情報伝染 4
東京都北区
出来れば外れであって欲しい。
そう思っていたのだが、噛んじゃったよ……大当たりだ。
一般への被害が出てしまった以上見て見ぬ振りは流石にできないし、これ以上の被害拡大は許容できない。
被害者の方はとんでもない馬鹿力で対象を振り解き投げ飛ばしてみせたが、それでも肩口辺りに大怪我を負っている様子だ。
まず優先すべきは被害者の保護だ。
私独力でできる事は少ないが幸い対象が私に気づいている様子はない。
即ち奇襲の優位は此方にある。
彼我の可能行動から考えれば圧倒的に優勢な身体能力を有する対象に接近するのは得策ではない。
反面制服警官と『機構』職員である。
武器使用に対する主人格の忌避感が影響を残す段階であれば拳銃で制圧するのがベストだろう。
もちろん被害者に流れ弾が当たるような事があってはならない。
私の射撃精度を鑑みればかなり厳しいのは充分わかっている。
しかしだ。初めて拳銃を握ったのは1700年台、そこからほぼずっと手に入り得る最新の拳銃に触れてきた経験は並の兵士では及びもつかないほどであろう。
距離は目測で20m、こちらに注意は向いていない。
脚を肩幅に開き、両腕をしっかりと前に出す些か時代遅れの構えではあるが別に本格的な閉所戦闘をしようというのではなく、狙い撃つのが目的である。これがベストだ。
無駄な力を入れないようにしっかりと狙いをつける。
静かに息を吐き、止める。
闇夜に霜の落ちるが如く無心で引き金を引く。
見れば対象が鎖骨の辺りを押さえて悶え苦しんでいる様があった。
「うっそ……当たった……?」
いや、自信満々なマインドで撃ったがまさかうまくいくとは偶然とは実に--
「何やってんですか! 頭下げて!!」
とかなんとか考えていたら連続する銃声と共に藤森ちゃんが飛び込んできた。
なるほどよく見ればちょっと離れた場所の自販機に風穴が空いている。
私の射撃に関しての成長は無かったようだがまあいい。本職が来てくれたのならそれに越したことはないだろう。
対象に弾倉一本分の弾丸を叩き込みながら藤森ちゃんは距離を詰めていく。流石に手際が……ん? 距離……?
「待って! 距離を--」
私が気づいた時には対象が人間離れした挙動で藤森ちゃんに飛びかかっていた。
狙いは首元……感染の拡大を狙った一撃
真社会性を有するだけあって個体の危機に際しても個々の保全ではなく集団利益を追求する習性は『吸血病』の特徴である。
であるのだが日本国内においてはあまり馴染みのない『事案』だ。流石の藤森ちゃんといえどもその辺りまでは体に染み込んでいなかったのだろう。
完全に私の落ち度だ。もっと事前に認識をすり合わせておけばこんな事には--
「おらあっ!!」
とか考えていたら噛みついてきた対象をそのまま地面に叩きつけた。
怪我とかしてる様子もないし……あ、義手に噛み付かせてそのまま投げ飛ばしたのか……! すっごいマッチョな戦法!
と思っていたら藤森ちゃんが素早く複雑なパターンで右手の指を動かす。
これは……!
義手の外装部が展開して喪服の袖を膨らませる。かなり騒々しい励磁音が続き、さらには金属光沢を放つ黒いナックルガードが拳を覆う。
「……ちっ」
続いて藤森ちゃんの舌打ちも聞こえたが、これはあれだろうか? 展開のギミックがお気に召さなかったのだろうか?
放熱板解放には色々なパターン、色々な宗派があるからなあ……彼女的には違ったのだろう。
彼女が見せた一瞬の不快感、それを見て私が感じた種々の反省は流れるような動作で撃ち下ろされた拳槌のもはや爆発音とでも呼ぶべき轟音と冷却剤噴射によって齎された放熱板からの真っ白な蒸気によってなんだかもうどうでも良くなってしまった。
やはりリミッター解除はロマンだ。が、反省点はある。
「ナックルガードの強度が足んなかったね……『Eたん』なら行けると思ったんだけど」
カトリックとの協力関係によって齎された西洋の超常工学『錬金術』由来の物質『E材』の理論を用いて『機構』有志が開発した新素材『E化炭素複合材』
カーボンナノチューブを用いた素材と同等の重量で約五倍の強度を誇り、『機構』で用いられているそれら既存の炭素複合素材と比べてお値段はなんと半額から8割程度とまさに藤森ちゃんの腕にピッタリな素材だ。
実際開発者の東一研青葉博士も藤森ちゃんの義手の開発によって急激に発達した『機構』の義肢技術に資するための素材として開発したそうなので実地で試作品を使ってみるのは願ってもない事だろうし、私のところに素材のデータを送ってきたのは私達パワードスーツの研究開発と技術実証を行う有志研究グループとそれなりに関係のある新素材開発有志グループの関係性以上に実地での使用によるモニターを求めていた側面もあるだろう。
「はい……?」
「素材の話だよ。『E材』を炭素複合素材と組み合わせてっていうのはかなり野心的だとは思うけどね、流石に『脊柱殻』は打ち抜けなかったみたいだし」
下顎から喉の辺りまでが完全に圧壊した対象を指差す。
肉と皮はグチャミソだが『脊柱殻』はほぼ無傷だ。
今回の案件に関して言えばその方が好都合ではあるものの、素材であれ駆動系であれ折角作ったものが負けるというのは工学畑の人間としてはあまり気持ちの良いものではない。
「どうでもいいですけどね、ミッフィーちゃんしてた方がいいと思いますよ?」
藤森ちゃんは私の指差す方向ではなく斜め前方に視線を向けて言った。
「ミッフィーちゃん……?」
ああ、なるほど。完全に忘れていたが藤森ちゃんの視線の先には息も絶え絶えの被害者の姿がある。
それに加えてここは封鎖もしていない街中だ。
要するに黙れということだろう。
「おっけい、それじゃあみんなが来てくれるまでは大人しくしときますか!」
遠くに大量のサイレンの音が聴こえる。おそらく藤森ちゃんたちが対策本部に通報してくれたのだろう。
地域封鎖や緊急記憶処理などの煩雑な業務は駆けつけてくる方々に任せるとして善良な私は……被害者の応急処置でもしておこうか
制服警官である対象と親しげにしていた上に身のこなしも明らかに警官のそれだった被害者、明らかにキャリア官僚ではないので警視庁所属だろう。
ってことはえーと、警察庁の身分証はっと……
「警察庁警備企画課の千塚です。災難でしたね」
千塚と名乗った警視と、続けて名乗った神奈川県警の藤田警部補を名乗る二人の女
明らかに異質だが、警察手帳は明らかに本物である。
「組対五課……失礼、薬物銃器対策課の梅島警部補です」
名乗った彼に千塚警視は穏やかに頷き、藤田警部補が慣れた手つきで止血処置を施してくる。
敵意は無いだろう。信頼している後輩からの突然の裏切りに出会した直後ということもあり完全に信用しようとは到底思えなかったがそれでも臨戦体制を取り続けるような相手でも無さそうである。
それでなくとも先刻見せた藤田警部補のアクション映画じみた身のこなしと、警察官にあるまじき躊躇の無い致命の一撃を見せられた後では手負で抵抗することが如何に無駄な事かも彼は分かっていた。
「どんな具合?」
「頸動脈は外れてますね。だいぶ噛みちぎられてはいますけど」
「命に別状なさそうなら良かった」
明らかな異常事態においてもそれがさも当たり前かのように朗らかに話す二人
「少し染みますけど我慢して下さいね」
「ああ、問題な--?!」
消毒でもするのだろう。そう思って軽く返事をした梅島は想定外の痛みに苦悶の呻きをあげた。
傷口に何かを思い切り詰められたようだが……
「あ、はか……千塚警視包帯あります?」
「ほいよ」
千塚警視は懐から緑色のパックを取り出して藤田警部補に渡す。
藤田警部補は傷口に詰め込んだ何かもろとも慣れた手つきで包帯を巻き終えた。
「あとはすぐ救急車も来ると思うんで」
「そりゃどうも」
などと話している間に周辺には既に十台近い覆面が到着していた。
不思議なことに覆面しかいないうえに到着した彼らの中に制服姿の者は一人も見られなかった。
「お二人はアレですか? 『ゼロ』とかいう」
「さあ、どうでしょうね?」
軽口といった体で発した言葉に返す千塚警視
堂々と越境している藤田警部補
もうほとんど答えているのに等しいだろう。
「あ、やっば……す……菅田先生だ」
「別にやばくはないんじゃないですか? 腕は良いんですから」
「まあ……そっか……うん、外傷だけだしね」
二人の視線の先には一台のドクターカーが止まっていた。
『敬常会東京中央病院』
大正の頃に発足した慈善団体の運営する巨大な病院グループのものだが特に警察と深い関係があるという話は聞かない団体である。
国内最高峰の設備と常人離れした技術を有する医師が所属することで名高いが、同時に傷病者の保護を絶対の理念とする彼らは犯罪者であっても傷病に苦しむ間は警察への引き渡しを拒否したりすると専らの噂であり、目的のためには手段を選ばないとされる公安警察との相性はあまり良くないとさえ思えるのだが……
そんなことを考えているとドクターカーの中から老紳士という言葉がぴったりの白衣姿の男が駆け降りてきた。
「これは酷い!」
彼は晴海の元に駆け寄り脈をとる。
恐らくもう手遅れだろうが、流石は敬常会の医師である。見捨てようという素振りは一切見せない。
「菅田先生、対象はそいつだね。『脊柱殻』も出来てるから一気に片付くと思うよ」
「なるほど、それであれば助かる目もありそうです。猪野さん! すぐに緊急搬送を! 『抑制療法』を実施した後に病巣の摘出を行います」
菅田という医師の指示のもと晴海は敬常会病院の救急車に詰め込まれて去っていった。
「そんでこっちが警視庁の梅島警部補、被害者ってことになるのかな? 対象に噛まれたみたいだから処置をお願い。一応止血剤は詰めてあるけど『除菌』はまだだから」
「なるほど、それは災難でしたね」
包帯を外した菅田医師はピンセットを用いて傷口に詰められていた何かを丁寧に取り除いた。
どうやらガーゼのようなものだったようだ。
「ふむ……これでしたら問題はなさそうです。梅島さん、アレルギーなどはありますか?」
「いや、特には」
「何か常用している薬品は?」
「それも無いですね」
「持病は?」
「健康診断で引っかかったことはないですね」
「それは素晴らしい! 今後もその生活習慣を維持して下さい」
「はあ……」
「はい、応急処置ですが傷口の縫合はお終いです」
「は……?」
痛みどころか針を刺されている感覚すらないままであったが、傷口に触れた梅島は確かに複雑に噛みちぎられていたはずの傷口が綺麗に縫われていることを確認した。
「縫っただけですので触らないでください。化膿してしまいますよ」
「あ、すんません……縫われてるのが全くわかんなかったもんでつい……麻酔とかしてたんですか?」
「いやいや、神経と皮膚と筋繊維をよく見て縫えば誰にでもできることです」
こともなげに言った菅田医師は丁寧に包帯を巻く。ガッチガチに固めるような藤田警部補のそれとは異なり動きの邪魔にならず、それでいて簡単には解けそうもない巻き方で嫌な圧迫感が一切ないものだった。
「いや……敬常会病院の先生は腕がいいという噂は聞いていましたがこれほどだとは……」
「はっはっは、お上手ですな!」
ふと目を落とした梅島は自分の腕に注射器が刺さっていることに気付いたが、そもそも縫われていることにすら気付かなかったのだ。今更その事に驚きもしなかった。
「健康診断で行く病院もこれぐらい注射が上手けりゃなぁ……」
「その辺りは経験の差もあるのでしょう。ですが一番大切なのは患者さんに健康であって欲しいと願う気持ちです。そういう面で言えばきっと梅島さんのかかりつけのドクターだって負けてはいないはずです」
菅田医師と穏やかに会話しながら処置を受ける梅島であったが、それでも現状の不穏さに対して思考を巡らせることを止めてはいなかった。
明らかに正常な状態では無かった晴海
狙い澄ましたかのように飛び込んできた『ゼロ』関係者と思しき二人
封鎖にあたる見慣れない警官たち
菅田医師を始めとした敬常会病院スタッフの到着の速さも奇妙な点だ。
「一応病院で精密検査をした方が良いでしょう。救急車がもうすぐ到着しますのでそれまでこちらを吸入しておいて下さい」
「これは……?」
「鎮痛剤です。少しぼうっとしますが麻酔ではないので吸入を終えて30分も経てばすぐにスッキリしますよ」
言われるがまま吸入すると、なるほど確かに痛みが和らいでいく。
言われたように多少意識がボヤつく感こそあれ、激痛を堪えながらよりは幾分か頭も回る。
単なる違法薬物の捜査の筈が、妙に大事になってしまったと彼は心中に苦笑する
(やれやれ、面倒な事になりそ--)




